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 第一章 星を継ぐ少女 その2


「……マスター、応答を。マスター」


 仮想ディスプレイに表示されていたコメント欄から、マスターとして仮登録していたチリンチリンのアカウント名が消失。画面左上の接続者数もゼロと刻まれていることから、視聴を辞めてしまったものと判断する。しばらく呼びかけたが、一切反応がなかった。

 なぜ、彼は(コメントの文体から男性であると仮定する)急に66年前の出来事を質問してきたのだろうか。

 終始、私がアンドロイドであるか疑問視していた。配信画面をゲームだと信じて疑わなかった。アンドロイドが配信をしていることがそれほどにも不自然だったのだろうか。

 あれではまるで本当に2020年代に生きているかのような振る舞いだ。


 いずれにせよ、一度仮登録してしまったマスター情報を、ハル自身の意志で削除することはできない。これからもチリンチリンの指示が必要だ。

 こちらから連絡が出来ない以上、また彼が戻ってくるのを待つほかない。ハルはこのまま配信を継続しながら、周囲の探索を進めることにした。

 幸いなことにチリンチリンは「生きた人間を探しましょう」という命令を残している。この命令に反しない範囲であれば、ハルの自立行動が可能となっている。これまで制限が掛かっていたいくつかの行動もアンロックされている。

 先程の探索の結果、現在地が東京都内であることが分かった。ここからであれば、品川区にあるブルーブレイン社日本支店に直接足を運ぶことが可能だ。ブルーブレイン社の社員に今後の対応を委ねるべきだろう。

 ある程度の方針が固まった。今後は品川区へ向かうことにする。

 ハルはようやく一歩を歩き出す。

 だが歩きながらも、ハルの集積回路は一つの疑念を抱えて、激しく熱を帯びる。考えすぎた人間が知恵熱を出すように、集積回路からの排熱量も増えていた。


 ――なぜ不特定多数の人間の死体が放置されているのか、そしてなぜ死体ばかりで生きている人間の姿が見えないのか。この謎の大量死の原因が全く掴めない。


 姿だけではなく、人の声すら聞き取れない。カラスやハトのような元々都市に適応していた鳥類、野生化した犬や猫といった動物の姿は散見されるというのに。

 これは明らかな異常事態だ。

 アンドロイドが活動を停止している理由については予想が出来る。アンドロイドは自身に登録されたマスターの死亡を確認した際には自動的に休眠状態に入り、それから数日以内に新しいマスターの登録がされなければ強制的にシャットダウンするようになっている。今、白骨化死体の傍で倒れているアンドロイドはマスターの死亡の確認後に新規登録がされなかったため、活動停止したものと考えられる。

 そうやって確認できた様々な情報を切っ掛けとして、ハルの奥深くに眠るプログラム「緊急事態診断ツール」が目を覚ます。


 これは、現在が緊急事態であるか否かを判断し、場合によってはアンドロイドに自立行動の許可を与えるプログラムである。アンドロイド側からでは絶対にアクセスできない、内部ストレージのブラックボックスに格納されていた。

 なぜこのようなプログラムが付与されているのか。

 アンドロイドは常に法律や倫理規範によって行動に制約を受けている。例えばマスターが「あいつを殺せ」「他人の財産を破壊しろ」といった命令をしても、法を犯すような行動は取れないようになっている。


 しかし本来タブーであるはずの、法律や他者の人権を侵害する行為が許される場合がある。

 緊急事態において己の命や財産を守るためであれば、犯罪行為は「緊急避難」と解釈され許されている。正当防衛による他人の殺害、あるいは要救助者の救助を目的とした私有地への侵入といったケースだ。

 人間と同様にアンドロイドにも臨機応変な対応を求めるべく、彼ら自身からはアクセスできない領域に緊急事態を判断するプログラムが存在している。

 ハル内部のプログラムは、現在の状況を大規模災害による緊急事態として類推適用が可能と判断。このプログラムはマスターが登録されていなければ起動しないが、ハルは先程チリンチリンと仮登録しているため、直ちに実行される。そうして行動の一部がアンロックされる。

 そこでハルは近くの民家に侵入を試みる。

 本来であれば決して踏み越えることのできない私有地へ、その歩みを進めていく。


「失礼します。どなたかいらっしゃいませんか? 怪我をされた方、動けなくなった方はいらっしゃいますか?」


 まず、自分の存在と侵入する理由を大声で明示する。それから両手をあげて武器を持っていないことを証明しながら玄関まで進んでいく。規定されたプログラム通りに。

 玄関のドアに手を掛けたがしっかりと施錠されていた。足元が隠れるほどセイタカアワダチソウが生い茂った庭を歩き回り、窓から家屋の内部を覗いてみる。

 そこにもやはり死体があった。屋内に放置されていたためか、路上の死体と比べると腐敗の進行は遅く、人間としての原形をある程度留めていた。

 早速窓を割って内部に侵入し、その死体の様子を調べた。検査機器がないので細かいデータは取得できなかったが、死因についてははっきりした。死体のすぐ上、天井からぶら下がっている輪っかになった縄を見ればアンドロイドでなくても看破できる。首吊り自殺だ。


 この死体が首を吊ったことは間違いない。しかし路上の全ての死体までもが同じ自殺者とは考えにくい。この自殺が、人間の大量死と因果関係があるのかどうかも不明だ。

 同様の測定を他の民家、ビル、公共施設などで実施した。そこでも多数の死体を発見したが、その死因はどれもバラバラだった。首吊り自殺と思しき死体もあれば、階段からの転倒による脳挫傷が原因と診断できる死体もあった。自殺、事故死、病死。原因は無数に存在し、統一性に欠けていた。


 なぜこのような大量死が一度に起きたのか。その理由や原因について答えを出せない。

 道路やインフラ設備の老朽化は見受けられるものの、それ以外に大きな損壊は視認できないことから、地震や台風といった災害及びその二次災害の可能性は考えにくい。大規模な有毒ガスの蔓延、あるいは新型ウイルスのパンデミックによる疎開の可能性は検討の余地あり。しかし、私のセンサーでキャッチできる異常はない。

 ただ一つ確実なのは、この街で大勢の人間が死亡してから数か月の時が経過しているということだ。

 枝葉が伸び放題となった街路樹や庭園、亀裂が開いたまま放置されるアスファルト地面、それを覆うように繁茂する濃緑なコケ類。路肩に停車している自動車はフロントガラスが破れており、車内が野生動物の巣になっている。最近、人間の手が入った様子はない。

 アンドロイドは恐怖を感じない。

 だが未知の危険に対する警戒態勢をそう呼ぶのであれば、今、ハルは現況に対して間違いなく『恐怖』を覚えていた。

 ただ人間とアンドロイドでは恐怖への対応が異なる。人間は恐怖で足をすくませるが、アンドロイドは足を進めるのである。

 近くで倒れていた男性型アンドロイドの前に屈んで、その状態を確認する。数か月以上放置されていたせいで人工皮膚の何割が剥がれ落ちている。また、雨風の影響か野犬化した飼い犬によるものかは不明だが右足の一部が無くなっており、大腿部の断面からケーブルがミミズのように這い出している。

 ハルは彼の上半身を起こし、首に巻かれたチョーカーの表面を人撫でする。これがアンドロイドのスイッチになっている。

 彼の体内から微かにキュイーンという起動音が漏れ、固く瞑られていた目蓋が力強く開いた。


「おはようございます。僕は、汎用型アンドロイド……」

「この状況は一体なんですか? なぜ大量に人間が死亡しているのですか? あなたが最後に見た情報を教えてください」


 アンドロイドのテンプレの挨拶を封じ込めるように素早く質問する。


「現在、マスターの登録がブランクとなっております。マスターの登録をお願いいたします」

「私を登録できませんか?」


 彼の黒い瞳がハルを見る。


「アンドロイドはアンドロイドのマスターとして登録することができません。アンドロイド規制法の第二十三条によれば……」


 想定はしていたが、やはりマスターの登録がされなければアンドロイドから情報収集することは不可能だ。

 ハルは彼のチョーカーをもう一度撫でて強制的にシャットダウンさせる。がくんと彼の頭が力なく垂れた。

 彼を元の位置に寝かせから、歩き出す。

 向かうはコミュニティセンターだった。公共施設には誰でも使用可能な公共電子端末が備え付けられている。現在、ハル自身のネットワーク接続が不調であるため、外部端末で情報収集を図ることにした。

 当然のように、コミュニティセンターも人の声のない静謐さに満ちていた。この静けさの中に、リノリウムの床をぺたぺたと歩くハルの足音が染み入る。

 ロビーの奥では、薄い板状の石碑が斜めに立って整列していた。「モノリス」という愛称でも呼ばれるこの公共電子端末はガラスのように透き通っており、差し込む太陽を受けてプリズムを発している。

 ハルの白い指がモノリスの表面に触れる。木琴を叩いたようなポーンという起動音と共にインターネットブラウザーが立ち上がった。

 モノリスの表面の、丁度ハルの目線がある位置にウィンドウが表示された。接続中を示すマークがクルリと一周し、すぐに検索エンジンのサイトが開く。今までハルが何度も失敗したインターネットへの接続が、この端末では当たり前のようにできた。

 公共端末は災害時でも使用できるよう、有線接続等による独自のネット環境や高性能ソーラーパネルによる半永久的な自家発電設備が整えられている。今までハルが行っていた無線接続は不安定だったが、公共端末による有線接続であればアクセスが可能なようだ。

 ようやく開かれた情報への扉。躊躇わずにハルはその奥に進んでいく。

 情報収集を始めて一時間あまり経過したところで、その手をピタリと中空に制止させた。


「……集積された情報を検討中」


 情報は十分集まった。


 しかし導き出されたのは、ハルにとって不測の結論。

 本来、アンドロイドに「驚く」などという感情は存在しない。彼らの頭脳となる、超高性能の集積回路はあらゆる状況や未来を予測しており、故に想定を超えた事態に直面するなどあり得ないことだった。

 だがハルは今まさに、自らが演算したあらゆる可能性が全て誤りであり、予期しなかった真実を目の当たりにする。

 この瞬間ハルの自我を構成するプログラムの一部がコンマ数秒間フリーズしたことを、「驚愕した」と表現しても何も不自然ではないだろう。


「………………まさか、……人類は、滅びている?」


 聞く者など誰も居ない世界に、彼女の声が虚しく響いた。


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