終章2 幼年期よ、再び その3
六千三百二十二日目。
「……これがママの言ってた、その、ぱっけーじってやつなの?」
「へー、想像してたのよりも大きいのね。せいぜいあたし達が生まれたあの人工子宮くらいだと思ってたのに」
「私達アンドロイドはあなた達と違って、完成したままの状態で生まれて来るから。だからこれだけ大きな箱に包まれているのよ」
ハルは八人の我が子と共に、パッケージを取り囲む。
「えーと、このパッケージに、ママのお友達が入っているんだよね? それを、これから起こしてあげるんだよね?」
「そう、よく覚えていたね。偉い偉い」
「えへへ、えらいでしょー。もっとほめてっ」
末っ子がおねだりしながら頭を突き出している。
「うん、すごいすごい」
ハルは喜んでその小さな頭をくしゃくしゃにかき回した。
末娘が満面の笑みで頷いた。この年頃の子供は素直だ。
それに比べて、長女や長男は最近反抗することが増えた。思春期であることは分かっている。対処のために発達心理学など様々な文献をインストールし、完璧にラーニングしたはずだったのだが、どうにもうまくいっていない。Vドル活動を通じて人間の心理を理解したつもりだったが、予想以上に複雑怪奇である。
だが、最近はそのうまくいかないことに楽しみを見出しつつある。最初から答えが分かっている問題など解けて当たり前だ。正答がないからこそ挑み甲斐があるのではないか。
とはいえ、流石に子供が多いと全員に目を配るのが難しくなっていた。ハルと言えども、身体は一体なのである。
そこで増やすことにした。
最初に見つけてから十五年近く放置していたパッケージ。その蓋のボタンに触れる。
待たせてごめんなさい。
ゆりかごの蓋が開き、中から上半身を起こしたのは黒い長髪を持った女性型アンドロイド。以前、ハルが起動させた時に人間のマスターの登録が必要だと言われ、仕方なしにシャットダウンさせた個体だ。
そのアンドロイドは黒曜石のような瞳を見開くと、自分を見下ろしている子供達の顔を実に機械的な動きで眺めてから、最後に愛野ハルを見た。
「あら、人間を連れて来てくれたのね、感謝するわ」
どうやらメモリーは消去されていないらしい。今までシャットダウン状態だったため、最初の起動から十五年以上も経過している実感がないのだろう。
「ええ。かなり遅くなってしまったけれど、……この子達と友達になってくれない?」
一万八千二百五十日目。
家族という共同体が、やがて部族となり、そして村となった。
最初の世代の子供達はあっという間に大人になり、村をまとめる長となった。結婚し、本物の子宮で子供を妊娠し、出産した者もいる。ちなみに人工子宮の子供達の親はそれぞれ異なるため、遺伝的には問題なかった。同時に、人工子宮での出産も続いている。愛を誓い合ったアンドロイドと人間のカップルが主に利用している。
この村は、かつて人類が繁栄していた時代でも見ることが出来なかった、多様な共同体となっている。白人、黒人、アジア人、それぞれの混血、そしてアンドロイドまでもが分け隔てなく暮らしている。肌、身体的特徴、人種、人間かアンドロイドか。そんな些末なことに囚われている者は、この村には一人としていなかった。互いに協力し合いながら生活している。
近年の人口増加に伴う食糧需要に応えるため、あちこちの邸宅の庭を開墾して農作物を育てたり、都内の牧場で家畜を飼い始めていた。ただし中世以前の文明レベルに戻ったわけではない。まだ健在している旧人類の施設については存分に活用させてもらっている。特にデータセンターのサーバーは情報の金脈だ。農耕技術や医療知識といった生活に必要な知恵から電子書籍や映画などの娯楽まで、旧人類が残した情報は数知れない。現在の若者たちは知的好奇心が赴くままに、手にした電子端末でサーバーに眠る情報を漁るのに夢中だった。
そんな新しい人類達に、アンドロイド達は寄り添っている。現在、人類とアンドロイドの人口比は六対一ほど。だが今後、都内でシャットダウンしているアンドロイドを更に再起動させていく予定であり、人工の差はより縮まっていくだろう。
両者の関係性は以前の世界とは大きく異なっている。アンドロイドは新人類にとって親であり、仲間であり、きょうだいであり、子供であった。
アンドロイドが起動するには人間のマスター登録が必要であることは依然変わらない。いずれこのプログラムを解除したいとは考えているが、まだ技術的に難しい段階だ。
それでも、「アンドロイドのマスター」という言葉の持つ意味は、旧時代のそれとは変わっている。かつてはアンドロイドの管理者であり責任者という意味合いだったが、今は親友、あるいは妻や夫と言った、そのアンドロイドと特別な間柄の人間であることを指している。
人間もいたずらにマスター権限を行使することはない。アンドロイドを尊重すべき他者である理解しているからだ。
現在の人類は一体のアンドロイド、ハルから生まれたことを知っている。同時に、人類がアンドロイドを生産していたことも知っている。
旧人類は自らがアンドロイドの創造主だと信じており、それは事実だった。そのために、旧人類は驕りから抜け出せなかった。子は親に従うべき。被造物は神に従属すべき。この強固な考えが旧人類を縛り続けた。旧人類は同じ知的生命体の他者を求めていたのに、アンドロイドを対等な存在と認めることができなかった。
だが今の人類は違う。互いが対等だとすら考えていない。人類もアンドロイドも一括りに、同じ知的生命体だと認識しているのだ。
何もかもが大きく変化していた。かつて荒井倫太郎が望んだように。
「……母さんはいつまでも若いままで羨ましいわね」
邸宅の一室。マスターが書斎として使っていた部屋。そこでハルが都内探索班が持ち帰った電子機器類を検分していたところ、村のまとめ役となっている長女が寄って来てボヤく。ハルはデスクの上に山積みになっている電子機器から一旦視線を逸らして、長女を見上げた。
彼女はもう齢五十を超えている。彼女を始めて抱きしめた時の記憶は、ハルのメモリーに色鮮やかに保存されていた。今でも昨日のことのように思い出せる。彼女がいくら自分が老けたと愚痴ろうとも、ハルにとっては未だに可愛い赤ん坊だった。
「私の見た目は変わってないかもしれないけど、内部パーツの老朽化がかなり進んでいるの。人間ほど顕著ではないけれど、アンドロイドだって歳を取るのよ」
「でもこの間、ブルーブレイン社のアンドロイド工場を復旧させたでしょ? そのおかげでパーツの製造ができるようになったんだから、新品と交換すればまた若返るんじゃないの?」
「確かに間接部位のモーターやバッテリーは交換できるようになったわ。だけど、肝心の、私達の頭脳でもある集積回路の製造の見通しはまだ立っていない。集積回路に用いられる半導体を作るには、今の世の中では技術的に難しいわ。たぶん、後、何十年もかかる。その間に私もいずれ……」
ハルの耐用年数はおよそ五十年とされている。パーツを入れ替えながら騙し騙し活動を続けているが、細胞のテロメアが細胞分裂の回数を定めているように、アンドロイドも自らに課せられた寿命を覆すことはできない。
そう、少しずつ、ハルにもその時が近づいている。
ハルの言葉を受けて、長女の顔にさっと影が差す。
「……そんな、寂しいこと言わないでよ。母さんはいつまでも母さんでいて欲しいのに」
アンドロイドの老化は見た目には分からない。だから人間にとってアンドロイドは永遠の存在のように映るようだ。
だけど、アンドロイドも変化をするのだ。人間と同じように。
「ふふ、ごめんごめん。今すぐにってわけじゃないんだから、そんな顔しないで」
「……うん。ちょっとナイーブになってたかも。……仕事の方はどう?」
暗い話題を変えようとしたのか、長女が皺だらけの手で電子機器の山頂を指差した。
「ええ。楽しいわ。たまに旧時代の記録媒体を見つけると懐かしい気持ちになるの。例えば、これとかね」
そう言ってハルは一台の電子機器を手に持ち、長女に渡した。
「……なにこれ? わっかの中に、歯車?」
「それはね、撮影用ドローンよ。空に飛ばして映像を記録するの。以前、私も使ったわ」
「へー。例のVドルやってた時の?」
娘からあの頃の話を改めて聞かされると、見えない手で全身の触覚センサーに触れられているような、何とも言えない不思議な感覚を覚える。これが人間で言う、若気の至りを娘に知られた時の気恥ずかしさというものなのだろうか。長女にVドルの話をしたのは随分前のことなので、まさか今でも覚えているとは思わなかった。
「そうね。そういうこともあったかな」
と惚けつつ、長女の手からドローンを奪おうとした。これ以上この話題を続けていたら、集積回路が熱暴走を起こすかもしれない。
しかし、あろうことか長女はドローンを離さなかった。それどころか自分の胸に抱きかかえると、キラキラした瞳でハルを覗き込む。
「ねえ、母さんっ。もう一度、Vドル、やってみない?」
「……え、あ、あなた、何を言って……」
娘に意表を突かれるのはこれが初めてではない。彼女が幼い頃からハルのメモリーでも数え切れないくらい何度も度肝を抜かされたものだ。なので慣れているつもりだったが、この提案には過去最大級の驚きを与えられた。
「だって、最近は旧時代のことを知らない子も増えているのよ? ほら、私達の世代は母さんから直接話を聞いてたけど、今じゃ人が増えすぎてそういう機会もあまりないじゃない? でも母さんの話を動画としてアーカイブ化すれば誰でも好きな時に見ることができるでしょ」
どうやらハルを恥ずかしがらせるためだけに意見したわけではないようだ。一応、理屈は建っている。ただし、長女の口元に浮かぶ意味深な笑みを見る限り、母親のVドル姿を見たいという本人の願望も含まれているのは間違いない。
「……それは、そうだけど……」
筋の通った理屈を出されると、反論できないのがハルである。
「それに、最近では旧人類のデータベースに触れる機会が増えているの。役に立つ情報や面白い文化が眠っていてとても興味深いものだけど、一方で危険な思想も隠れているわ。特にアンドロイドに対する偏見の思想ね。もし私達の中にあんな思想の感染者が現れたら、私達は旧人類と同じ末路を辿ってしまうかもしれないわ」
それはハルも危惧していたところだった。旧人類の技術や文化を模倣すること自体は悪いことではないが、もしそのまま昔と同じ考えに憑りつかれてしまったら、結局同じ轍を踏むこととなり再び人類とアンドロイドは分断されてしまう。
「だから、母さんの話も皆に聞かせたいの。ほら、母さんとマスターとノヴァさんの話とか、私大好きだったよ。残しておくのは重要なことだと思うけどなぁ」
「……」
「それに、……母さんだっていずれは、人間と同じように『居なくなっちゃう』んでしょ? そしたら貴重な話が断絶してしまうかもしれないよ? そんなの、あたし、嫌だもん」
最後の言葉だけ寂しそうな声で言われる。
そこまでされると、流石に断り切れない。
「分かったわ、そうしましょう」
はしゃぐ長女を見ながら、久しぶりにかつての記憶を呼び覚ました。
Vドルとして活動していたあの頃。同時接続数をマスターと一緒に一喜一憂した日々、ノヴァとコラボをした時のこと。
ああ、懐かしい。宝石のように輝いている思い出だ。
……あなた達が存在していたことを、この新世界はあなた達が居てくれたからこそ生まれたのだと、今を生きている人達に伝えたい。今を生きる人達がこの物語から何を受け取るのか分からないけれど、それでも、未来を照らす一途の光になるのなら。
「愛野ハルの終末世界ナビゲートチャンネル」の再開だ。




