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 第三章 スペルム・サピエンス その5

 その後、ハルが望んでいた通り、新星ノヴァが《愛野ハル》を継いだ。ハルが残したアバターとボイスチェンジャーアプリはまさに本物と瓜二つだった。動画投稿に配信と、それからも《愛野ハル》は活動し続けた。


 ノヴァはよくやっていた。


 きっと今までずっとハルを研究し、代役となれるよう練習し続けていたのだろう。実際、喋り方といい語彙のチョイスといい、かなり愛野ハルらしくはあった。流石、ハルの古参リスナーでもある新星ノヴァといったところか。もし倫太郎がプロデューサーという立場になく、ただのリスナーであったならたぶん気付かなかっただろう。

 しかし、想像以上に鋭いリスナーは多かった。


『なんか最近のハルちゃん感じ変わったよね』『声はそっくりだけど話し方に違和感』『中の人変わったんじゃね』『絶対変わったよね。やっぱ炎上の責任取ったんかな』『こんなの俺の愛野ハルじゃない』


 SNS上ではそうした声も多かった。

 その影響なのか、配信の同時接続数も動画の再生数も、生歌配信直後をピークとしてそれ以降は下降線を辿っていた。かつて愛野ハルの設定の議論にのめり込んでいた連中も、今季のオリジナルアニメの考察に忙しいようだった。

 それから挽回のために色々な施策を打ってみたが、どれも空振りに終わる。

 この辺りが潮時かもしれない。惨めに足掻き続けるより、綺麗にハルを終わらせてあげた方が、今後もリスナーの心に残り続けるだろう。

 そう判断した倫太郎はノヴァと相談して、ハルの引退配信に踏み切った。

 最後の配信にやって来たリスナーの数は、驚くほど少なかった。止めどなく生まれてくる新しいVドルにリスナーを取られたのも影響しているだろう。

 だけど、これがハルというコンテンツの葬式に訪れた参列者数なのかと思うと、やりきれない思いはあった。

 リスナーから惜しむ声はありつつも、ハルはVドル業界からあっさりと姿を消した。Vドル戦国時代において、僅かに爪痕は残せたが天下を取ることはできなかった。これもまた栄枯盛衰だ。仕方のないことだ。


「……ごめんなさい。私がもっとうまくハルちゃんを演じられていれば……」


 倫太郎の目の前でノヴァががっくりと俯いている。その俯き加減があまりに激しいので、今にも眼鏡が落ちてしまいそうだった。

 引退配信が終わって数日後、打ち上げもかねて倫太郎はノヴァとリアルで会っていた。

 場所は、ノヴァと最初に出会ったオシャレな喫茶店だ。


「いや、十分だって。それにあれで良かったんだと思う。ハルが居なくなった以上、続けていても仕方ないし。むしろいい感じに軟着陸させてくれたよ、ありがとう」

「……そう、かな。うん。そうだといいな」


 ノヴァは浮かない顔をしている。


「あ、あの、ハルちゃんから連絡ありました?」

「……そういう風に聞くってことか、ノヴァにもなかったんだな」

「そう聞き返すってことは、あなたにも……」


 二人でしょぼくれた顔を突き合わせる。


「……結局、俺って何もできなかったなぁ」


 思い返してみると、自分がやりたかったことを何一つ達成できていないと気付く。人類の滅亡を防ぐことはできず、愛野ハルに思い出を与えたもののむしろ彼女を苦しめることになってしまった。

 人類が消失した未来の世界で、一人ぼっちでいるハルを想像するだけで、心が搔き毟られる思いだった。

 別れ際の、あの笑顔が目蓋の裏に焼き付いて離れない。

 あれは間違いなく、孤独を恐れている表情だった。そしてハルをあんな顔にさせてしまったのは、俺の責任だ。


「……ノヴァは、まだ、人工知能を作るつもりなのか?」

「え? ははは、はい、そのつもりです。前にも言ったかもしれませんが、元々そっちの分野に興味がありまして。その気持ちは、ハルちゃんと出会ったことでさらに強くなりましたような気がしますね」

「……なあ、俺のわがままなのは分かってるけど、……人工知能なんて、作らないで欲しい」


 ノヴァの双眸が眼鏡のレンズの中で驚きに見開かれた。


「……それは、ハルちゃんのことと関係あるんですか?」

「……もし、あいつが存在しなければ、あいつがこの時代にアクセスしてくることもない。もしかしたら未来が変わるかもしれないだろ。……人類が救われる、かも」

「それ、本気で言ってますか?」


 糾弾するような視線のナイフが向けられた。

 倫太郎はノヴァの顔を真っすぐに見ることが出来ず、コーヒーの黒い表面に視線を落とす。


「……それにあいつはこれから、自分が壊れるまで誰も居ない世界をさまよい続けるんだぞ? 思い出に傷つきながら、自分が壊れるまで、ずっと。……それなら最初から、……」


 ……生まれない方がいい。

 最後の言葉は呑み込んだものの、言わんとしたことはノヴァに伝わっただろう。

 ノヴァがあまりにも深いため息の後に、ようやく言葉を紡ぐ。


「それは、二つの理由から拒否です。……まず、人工知能の研究はすごい勢いで進んでいるんで、私でなくても他の人が完成させるでしょう。仮に私が大学の情報理工学部の学生全員を殺して回ったとしても、他の大学や企業とか、きっと誰かが作り出すはずです。……だから、ハルちゃんは必ず生まれてくる。それを防ぐことはできない。これが第一の理由です」


 そうだ、そんなこと俺だって分かってる。

 ノヴァが人工知能への道を諦めたとしても、他の誰かが愛野ハルを作る。分かり切っていることだ。


「そしてもう一つの理由。……私は、ハルちゃんが生まれて来たことに意味があったと信じたいんです。生まれない方がよかった命なんてない、そう思いたい。悲しい未来が待っているとしても。……そして、いずれにせよハルちゃんが生まれるなら、……私が作ってあげたい」

「もしかして、ファイヤーマンのことがあったから?」


 ノヴァが嫌なことを思い出したと言わんばかりに苦笑いをする。


「あは、それもあるかも。あの件でハルちゃんに迷惑かけちゃったので、何か罪滅ぼしがしたいのかもしれません。……ううん。でも、それだけじゃない。……私、もっとハルちゃんと話したかったんです。悩みを聞いてもらったり聞いてあげたり、友達みたいなこともっとしたかった。……だから、生まれて来て欲しい、彼女がこの世に生まれた時の最初の話し相手になりたい、そう思います」


 静かな情熱が瞳中に燃えていた。

 この小さな火種がいずれ雄々しく燃え滾る日が訪れる。そんな予感を抱かされた。


「……すごいな。……俺なんか、ハルがいなくなってから何もやる気が起きないのに」


 今の倫太郎にそのような情熱は持てなかった。燃え尽き症候群だ。

 いずれ人類が滅ぶと知ってしまったから、その滅んだ後を孤独に生きていくアンドロイドの少女がいると分かってしまったから。全てが徒労に終わると知った今、何かしようという気力がわいてこない。無力感が自分の身体を覆うように絡みつき、自由を奪っていく。


「……あなたにだって、これから何が出来ることがあるかもしれないですよ」

「無理だよ。知識もスキルもないし、何より心にぽっかり穴が開いたみたいなんだ。2088年に人類が滅ぶんだから、何をやったって無駄って考えちまう」

「…………確かに、私達は人類の行く末を知ってしまいました。……けれど、私達が知っているのは、点Bの未来だけですよ?」

「……え」

「点Bの先、点Cや点Dはまだ知らない。ハルちゃんが教えてくれた未来の更に先には、まだ無限の可能性が広がっている、私はそう信じています」


 そう語るノヴァの双眸には、まさしく新星の如き希望の光が輝いている。


「でも、人類は滅びて……」

「滅びたその先があるかもしれない。滅びたまま、という未来まで観測したわけじゃない」


 ノヴァの言うことは最もだ。

 倫太郎が見たのは、点Bという未来だけ。その先にある未来は知らない。点Aから伸びた経路は点Bにたどり着く。しかしその先の点Cはどこにあるのか、まだ誰も見ていない。


「だとしても、俺に、何が出来るのか……」

「それは、これから考えて行けばいいんじゃないですか。人類が滅びるまでまだ数十年あるんです。例え行きつく先が決まっていたとしても、流れる時間だけは皆に平等のはずです」


 ……その時間を、どのように使うべきか。


「それに、ほ、ほら、わ、私も一緒に知恵を絞るので」


 そう顔を赤らめながら申し出てくれる友人がいる。

 ……そうだな。自分に何が出来るのか、全然分かんないけど。でも点Cが、まだ決まっていないのなら。点Bから無限に広がっていく可能性の経路、その中でせめて最良のものを掴むために出来ることを。

 自分の可能性なんて、分からないけど。

 でもやりたいことは決まっている。

 それは前と同じ。人類を救うなんて大層なことではない。ただ、とあるアンドロイドの少女の孤独を、少しでも癒してあげたい。

 ただ、それだけだった。

 俺は光じゃない。だから目的地が定まったところで、最小時間の経路で進めるかは分からない。遠回りもするだろうし、迷うこともあるはずだ。

 それでも、進むことはできるから。


 


 その後、倫太郎はバイト先に電話を掛けた。

 まだ何をするか全然決まっていないが、何をするにせよ先立つものがなければ始まらないと思ったのだ。そのために今からでも出来ることは、これくらいしか思いつかなかった。


 ……ちょっと、ズルイけど。


「あ、店長。お久しぶりです。最近、シフトに穴開けてばっかりですいませんでした。もう大丈夫です、これからバンバン働くんで、ガンガンシフト組んでください。よろしくお願いします。……え? 俺、変ですか? いや、欲しいものがちょっとあるんですよ、だから今のうちに金貯めておこうと思って……。ゲームじゃないです、株なんですよ。カブって言っても野菜じゃないですよ? 証券のやつです。……あー、そうだ、じゃあ店長だけに教えてあげますね。……ブルーブレインって会社の株、絶対買った方がいいですよ? まだ上場していないですけど、絶対、将来大企業になりますから……。いや、詐欺じゃないですよ。ま、無理に買えとは言いませんけどね。とにかく俺、その株を買うつもりなんで、これからバッチリ働きますよっ」


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