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 第三章 スペルム・サピエンス その4

 配信タイトル:【生歌配信】Vドル・愛野ハルの終末世界でソロライブ!


 開始時間前だというのに、すでに配信画面のコメント欄には待ちかねたリスナーの声が満ちている。現実のライブ会場ではないのに、その熱気はリアル以上に熱く感じられた。倫太郎の目は、続々と流れていくコメントを追うので精いっぱいだ。

 どのコメントも温かい言葉ばかりだ。ほっとする。炎上騒ぎの影響は全く見られない。それどころか同時接続数は炎上前よりも遥かに増えていた。

 もうやれることは全部やった。

 ハルのオリジナル楽曲に歌詞を付けるのは、途轍もない苦労で、自分のセンスのなさに絶望すらしたが、ノヴァに手伝ってもらったおかげで何とか完成した。百点というわけではないが、まあ、主役はハルだ。歌詞が多少変でもリスナーは気にしないはず。

 あとは始まるのを待つばかり。コメント欄では気の早い連中がカウントダウンをしている。

 倫太郎は高鳴る心臓の音を感じながら、配信画面を見つめる。

 未だ、頭の中では先日のノヴァとの会話が残っている。


 ……人類滅亡は、もう避けられないことなのか。

 無論、あの場の会話はただの憶測にすぎず、結論ではない。

 現時点では滅亡の原因が分からないだけで、もっと専門知識や高度な計測機器があれば判明するのかもしれない。宇宙の意志とかいう抽象的な理由ではなく、ちゃんとした科学的な理由があるのかもしれない。そして滅亡を防ぐ手段がちゃんとあるのかもしれない。

 だが、どうあがいたところで人類の滅びは避けられないのでは、という疑念が頭から張り付いて離れないのも事実だった。

 結局、俺に出来ることなんて、これくらいだ。

 ハルの配信を推していく、ただ、それだけ。

 ボルテージが上昇していくコメント欄を見ていると、自然と気持ちが高ぶっていく。そうだ、燃やしてしまえ。こんなもやもやとした気持ちを、全部薪に変えて。この熱狂に注ぎ込んでしまえばいい。

 その時の倫太郎はハルのプロデューサーではなく、一人のリスナーであり、一人のVドルオタクになっていた。


 そして、その時が来る。


 画面は未だ暗いまま、だが楽曲のイントロが流れ出していた。アップテンポの音がリズムを刻んでいる。


『キター』『カッコいい』『映像付き?』


 コメントも単なる文字だけでなく、顔文字や絵文字付きで狂喜乱舞している。

 倫太郎の視界には、色取り取りのサイリウムが左右に振られている幻想が見えていた。

 画面が、切り替わる。

 暗闇が晴れ、映像が焦点を結ぶ。映っているのは、夜に沈んだ東京。渋谷だ。あの有名なスクランブル交差点を見下ろす映像。その交差点の中心で、一人、少女が立っている。


「………………っ」


 歌い始めと共に、ハルの手足も動き出す。キレキレの振り付け。心をくすぐるようなアップテンポの楽曲に似合う、派手なダンス。完璧にこなしている。機械的な動きには見えない。湧き上がる感情に突き動かされているようにしか見えない。ミディアムヘアの髪も、身体の動きに合わせて、時に激しく、時に優しく揺らめていた。


 その動きは、まるで炎だ。

 夜の中で浮き上がる、桜色の炎。街明かりを失って原始的な闇に支配されていたこのスクランブル交差点で、ハルのダンスは灯の如く輝いている。微風を受けて炎が揺らめくように、愛野ハルの全身も波打つように動いていた。

 それは、終末の世界にようやく灯った、人工の明かりのようだ。


『え、ここ渋谷?』『これって生配信だよね』『映像は事前に作ってて、歌だけ生なんじゃね』『リアルな映像だな。CGじゃないよね』『撮影した映像に合成しているのかな?』


 コメント欄には当然の疑問が流れていた。

 残念ながら、これは正真正銘の生配信だ。歌はもちろん、映像もリアルタイムのものだ。いや、正確にはリアルタイムではない。何十年も未来から届けられた映像である。

 そのことを知るリスナーは、倫太郎とノヴァだけだ。

 だが、そんなことはどうでもいい。コメント欄に一瞬流れた疑問の声も、その後から溢れてくる怒涛の感想に押し流されてしまう。

 誰もがその場の一体感に呑まれていた。事前にリハーサルを見ていた倫太郎ですら、圧巻されていた。

 ハルの踊りと歌声が、時間と空間を越えて人々の心を結びつけていた。

 空撮しているドローンが愛野ハルの周囲を旋回し、時に近づき、様々なアングルで彼女を映して際立たせていた。これもハルが操作している。

 どのタイミングでどの角度から映せばリスナーが喜ぶのか、完璧に知り尽くした撮影だ。

 時にカッコよく、時に可愛く、たまにはセクシーに。人々の心を弄ぶようだった。それでこそ愛野ハルだ。


『ヤバい』『尊い』『すごい』『聞き入っちゃう』


 コメントの河を流れるリスナーの語彙力も低下していた。

 それは、リスナーの気持ちが一体化している証拠だろう。複雑な言葉を用いなくても、この感動を共有していると誰もが理解しているのだ。

 その時、間違いなく、リスナーは一つだった。

 だが奇跡のような時間は、そう長く続かなかった。

 一瞬とも永遠とも思える、四分数十秒が過ぎ去る。


「……ッ」


 ハルの最後の一声が響き渡り、夜空に尾を引いていく。それは楽曲の終わりを告げる、美しい断末魔だった。

 映像は最後にパンアップしてハルの姿を画面から外し、星空と月光の中に沈む東京の街並みだけを映す。

 やがて余韻すらも溶けてなくなり、映像も暗転。

 こうして生歌配信が終わった。

 コメント欄は、大騒動になっていた。いちいち読む必要もないだろう。

 この瞬間なら、人類が滅んでもいいかもしれない。

 そんな冗談にならない不謹慎なことを、倫太郎はひっそりと思っていた。

 フルマラソンを走り切ったような心地よい疲労感に浸る。

 もちろん歌って踊ったのは俺じゃないが、なんだか俺まで疲れ切ってしまった。

 スマホにテレビ通話の通知が入った。即座に応答する。


『こんばんは、マスター。今宵の配信はいかがでしたでしょうか?』


 倫太郎よりも疲労の色が遥かに薄いハルの顔が映った。踊り回った影響なのか、多少桜色の髪が乱れている部分もあるが、それ以外はいつもと何も変わらない。圧巻の歌と踊りを披露した直後とは思えない、涼しい表情をしている。


「ああ、最高だった。皆、興奮が冷めないみたいだ。……おっ、トレンド5位に入ってるぞっ。やったじゃないか、最高記録だ」


 SNSでリスナーの反応をチェックしていたら、トレンド欄の『愛野ハル生歌配信』という文字が目に入った。この一時間で五千件ものツイートがあったことを知らせている。


『そう、でしたか。皆さま、あれで満足していただけのですね』

「……どうしたんだ? 不満なのか?」

『不満、というわけではありません。ですが、今夜の配信では十分なパフォーマンスを発揮できなかったのは事実です。実は二分三十二秒時点にて声がオクターブ半ほど高くなってしまいました。また三分二十三秒時点で、右手の振り付けの角度に十度ほどの誤差が発生しています。いずれもリハーサルで発生しなかったミスです。更に細かいミスを挙げれば……』

「も、もういいって、分かったよっ」


 このままではハルの反省会が際限なく続きそうだったので慌てて止める。

 相変わらずハルは無表情だったが、今の話を聞くと、どことなく悔しそうにしているように思える。


「大丈夫だって、俺だって気付かなかったくらいのミスだし」

『……しかし完璧でなかったことは事実です。本来、Vドルはリスナーに完璧なパフォーマンスを見せて楽しませなければなりません。その役目を果たせなかった時点で、私は……』

「いや、これでいいんだよ。完璧なパフォーマンスなんて見せる必要は無いんだ。ミスがあってむしろ良かったんだ。……不完全な形だったからこそ、皆、満足したんだよ、きっと」

『……それは、どういう意味でしょうか? これまでにもマスターの言動が理解できないことは多々ありましたが、今の発言は特に分かりません』


 むぅ、これはどう伝えたものか。

 今の発言は、正直思い付きの言葉だった。だが、嘘を言ったつもりはない。

 少し考えてから、口を開く。


「……不完全だからこそ、人間はそれを美しいと感じるんだ。不完全なものを見たり聞いたりした時って、頭の中で足りないピースを勝手に補完しているんだと思う。そうやって、自分の中で完全なものを作り上げる。それはたぶん、無意識の行為なんだろうけど、自分自身で完成させるから美しいと感じられる。思い出は美化されるっていうけど、そういうことかも」

『……確かに、人間の脳には物事の補完や補正を行う機能があります。例えば視覚の中に遮蔽物に隠れている部分があると、脳が勝手に映像を作り上げてまるで見えているかのように錯覚させることがあります。これは交通事故の原因ともなっていますが、そういうことでしょうか』

「……あ、いや、そういう脳科学的なあれじゃなくて……。……うまく言えないけど、芸術って誰かに見られたり聞かれたりすることで完成するんだと思う。そして、そのためには不完全である必要があるんだよ。鑑賞した人達の中で、それぞれの完成形を作ってもらう。そういう意味で、芸術は不完全じゃなきゃいけないんだ」

『……なるほど、全く意味が分かりません』


 うっ、これでも一生懸命説明したのに。

 仕方ない、あれこれ考えるのはやめよう。


「少なくともハルのパフォーマンスはリスナーの心に残っただろうし、この思い出は皆の中で補完されて、どんどん美化されて、神格化されていくことは間違いないってことっ」

『……マスターがそこまでおっしゃるのであれば、きっとそうなのでしょう。皆様が満足して頂けたのなら、私もよかったです』


 そう言って、ハルが口元を少し緩めて微笑んだ。

 その表情を見えて、倫太郎は気付く。

 きっと今までハルはパフォーマンスを失敗したと思い込んで、自分を責めていたのだろう、と。


『マスター、私にこのような温かい思い出を贈ってくださり、心から感謝いたします』


 その声色で、今までの緊張がほどけて不安が解消されたことが伝わる。


「いや、これはハル自身の力だよ。俺は、ほんの少しだけ手伝っただけだ」


 しかしハルは悲しそうな顔で首を振り、そして容易く切れてしまう絹の糸のような儚い声を吐き出した。


『それでも、感謝いたします。……こんな私に、……人類を滅ぼす引き金となった、罪深い私に、このような思い出を与えてくださったことに』


 その時、ハルの顔に浮かんだ表情は、今にも溶けてしまいそうな名残雪のような笑み。


「は、ハルッ、そ、そのことっ、知って……」


 唖然とする倫太郎を他所に、ハルの言葉は続く。


『……これから先、贖罪のための孤独の生が待っていようとも、この思い出を糧にして最後の一瞬まで活動し続けることができるでしょう』

「ノヴァかっ、ノヴァから聞いたのかっ!」

『マスター。どうかノヴァさんを怒らないでください。隠し事があるのではないかと、私が無理矢理聞き出したのです』

「……いいか、ハル。その話はあくまで予想でしかない。お前が責任を感じる必要は無いっ」

『確かに根拠のない推測です。ですが、私の腑に落ちる推測でもあるのです。……まあ、私に腑はありませんが』


 そんなハルの自嘲は、目を背けたくなるほどに痛々しい。


『……私は、なぜ人類が滅びた世界でたった一人活動をしているのか、すごく疑問だったのです。何か意味があるのではないかと思っていました。ですが、やっと分かりました。これは私への罰だったのです。……私がもたらした情報により、時間の行きつく先が確定する。例え全ては決まっていたことなのだとしても、私が人類を滅ぼしたことに変わりはない。その罪を贖うため、私は誰も居ない地球をたださ迷い続ける。それこそが、私の贖罪なのだとしたら。そう、全てに納得できるのです』

「ち、違うっ、そんなことないっ、そんなことっ」


 あまりにも理不尽だ。

 もし宇宙の意志とやらがあったとしたら、なんて非情なのか。


『……そしてマスター。あなたこそが、私にとって刑罰の執行人でした』

「まさかっ、俺はそんなの望んでないっ! 誰が望むもんかっ」

『かつての私にとって、孤独であることなど何の罰にもなりませんでした。……しかし、あなたは私に思い出や人々の温もりを教えてくださいました。お蔭で私は孤独を恐れ、絶望し、嘆くことができます。……あなたが、孤独を最高の罰に変えてくださったのです』


 ……違う。そんなつもりじゃなかった。

 俺は、ただ、ハルに……。

 一人ぼっちのハルに、温かい思い出を教えてあげたかっただけだ。罰なんて与えるつもりなかった。


 言い訳も、謝罪の言葉も声にならない。倫太郎の口は金魚のようにパクパクと開閉するだけで、何の言葉も紡ぐことが出来なかった。そもそも、謝罪など口に出来る立場だろうか。間違いなく愛野ハルへの刑罰を執行したのは倫太郎自身だ。例え善意のつもりだったとしても。いや、だからこそ質が悪い。

 顔面蒼白となった倫太郎に対して、ハルはやはり微笑を浮かべていた。造形の笑みではなく、過ちを犯した幼子を見守るような表情。


『マスター、ありがとうございます。私に、このような重罰を下さり。……もし、マスターが居なければ、私は自らの罪の重さに気付かず、罰を罰と感じることもなかったでしょう』

「……ちがっ、違うんだ、どうか……」


 ようやく声を吐き出したと思ったら、情けないことに嗚咽が混じっていた。気づけば頬から滂沱の涙を流している。

 恥も外聞もなく、いい年をした男が泣き崩れていた。だがそれを恥ずかしいと思う余裕など、心のどこにもなかった。

 涙で歪む視界の中で、愛野ハルの表情に一瞬のちらつきが走る。壊れたモニターの画面を通る線のようなノイズだった。


『……ああ、なるほど。この、タイ、ミングでですか……。私が全てを理解したことで、この奇跡的、あるいは必然のアクセスに、も終わ、りが来たと、……いうことですね』


 音声にも乱れが入る。無線機器の近くで電子レンジのスイッチを押した時のような、音の途切れが続いた。

 背筋が凍る。

 まさか……。もう、終わりなのか? こんな絶望的な想いを抱えたまま、ハルと別れろというのか?

 嫌だ。嫌だ、いやだっ。


『マスター、お別れを。……人類を滅ぼしたことへの贖罪は、きちんと果たします。これが償いとして釣り合いが取れているとは当然思っていませんが、……それでも、今の私にとってこれ以上ない罰ですから』

「ダメだっ、ダメだっ。こんなっ、こんなことっ」


 無理だと分かっていても、画面に手を伸ばす。液晶ディスプレイが、倫太郎の指先を阻んでいる。その向こう側にいるハルには、決して触れられない。彼女の腕を掴めない。時空という絶対的な隔たりがそこにはあった。あらゆる生物と物質を阻む、物理法則の壁。

 倫太郎は、これほど人の身の不自由さを呪ったことはなかった。人間がこれほどまでに無力だとは知らなかった。

 手のひらに伝わるディスプレイの僅かな発熱を、ハルの体温だと思い込むことしかできない。

 そんな倫太郎をハルは穏やかに見つめていた。


『どうか、最後に、言わせてください。……マスターが、私にたくさんの思い出を作ってくださったこと、……今、心からお恨みしています』


 ああ。やっぱり、彼女は俺を恨んで……。

 それも当たり前だ。そうだ、恨み節の一つや二つ、俺は浴びるべきだ。

 ……なのにどうして、お前はそんなに笑っていられるんだ。


『……そして、同時に、心よりの感謝を……。ありがとうございました……。マスター』


 画面が崩れていく。もう接続が保てない。完成していたパズルがポロポロと零れ落ちるように、ハルの顔も乱れていた。

 ついに、全てが停止する。

 その間際の刹那。

 ハルの表情と声が、時空を超えた光の波に運ばれてくる。最後のさざ波。



『……人類の最期が、……安らかなものであることを、……遥か未来で祈っています』



 ハルが浮かべたその微笑みには、一滴の涙が頬に添えられていた。

 これ以降、ハルからのアクセスは完全に途絶えた。

 その後、倫太郎がハルと再会することは、二度となかった。


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