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 第三章 スペルム・サピエンス その1

『私、ファイアーマンは複数のアカウントを使って自身の切り抜き動画を拡散させ、過剰に炎上を騒ぎ立てていたことを告白します。迷惑をおかけした全てのVドル様、配信者様に心からお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした』


 ファイアーマンがそんな謝罪動画を投稿し、SNS上でも謝罪文を公開したことでネット界隈は大きく揺れた。ファイアーマンに対する誹謗中傷は戦場の銃弾のように飛び交い、巨大な炎上騒ぎへと発展した。

 特にファイアーマンによって炎上させられたVドルファンの怒りは凄まじく、殺害予告まで飛び出すことになった。

 ペンペン草も生えないくらいに燃え盛り、いつまでも続くかに思われたが、二日後あっさりと鎮火した。というのも、また別の炎上案件が出たことが理由だった。某政治家が自身のアカウントで女性差別的な発言をしたことが問題になったのである。

 炎上が、別の炎上によって風化する。皮肉な話だが、昨今のネットではよく見られる事態だった。

 その後、ハルも配信を開始し、自らの発言を謝罪する機会を作った。


『ファイアーマンさんは謝罪されていますが、私の発言によって、多くの方に不愉快な思いをさせたことに変わりありません。心よりお詫び申し上げます。本当に申し訳ございません』


 未来のアンドロイドには謝罪機能も備わっていたとしても不思議ではない。心理学的効果に基づいて声の波長や言葉遣い、お辞儀の角度など計算し尽くされていたのかもしれない。そう思えるくらいには、丁寧な謝罪配信だった。


 ただハルの謝罪をよく聞くと、問題発言の内容の否定や撤回はしていないことが分かる。あの発言はハルにとっての事実を述べたまでだ。だから言い方について詫びることはしても、発言内容を取り消したりはしていない。こういうところもまたアンドロイドらしいと言うべきか。

 何だかんだありつつも、ファイアーマンによる暴露もあったことで、謝罪配信中のコメントは温かいものばかりで、SNS上でもハルを叩く声は少なくなっていた。

 それどころか、むしろ炎上前と比べてハルのファン層が厚くなっていた。

 おそらく炎上によって、ハルの存在がVドルリスナー層を越えて、他の層にまで届いたことが影響しているのだろう。普段、Vドルを全く見ない層にも炎上というニュースを媒介にして認知されたようだ。


『なんかファイアーマンってハルを標的にした途端、謝罪したね』『裏で圧力でもあったんじゃないの』『愛野ハルってどこかのゲーム会社の宣伝用Vドルって噂あったよね。もしかしたらそのせいかも』


 そんな憶測がいい感じに拡散したこともあり、ハルの知名度はますます高まっていた。

 それに伴い、ハルがプレイしている『人類が滅亡した世界の探索ゲーム』に関する考察がちょっとしたブームになった。

 いわゆる考察班と呼ばれる集団が食いついた。

 彼らはアニメやゲームのシナリオや演出に込められたテーマ性やイースターエッグを解読しようとする人達だ。古典文学や哲学、芸術や神話を引用しながら、サブカルチャーを術学的に読み解くことに快感を覚えている。まあ、大半が深読みのし過ぎだったり、自分の誇大妄想を垂れ流しているだけだったりするのだが。


『人類滅亡の原因だけど太陽フレアによる被ばくって線は無いの? 太陽ニュートリノ量の観測とかできない?』『ウィルス説は完全に死んだよね。病院に何の手がかりもなかったし』『ウィルスじゃないけど、ナノマシン説とかはどうよ』


 一部のハルコミュニティではこうした建設的な議論が積極的に交わされるようになっていた。配信中のコメントにも多様な分野の専門家らしき意見が頻繁に出てくるようになり、ハルに対して様々な指示をしていた。

 ネットの片隅の、まだまだ狭い領域ではあるが、愛野ハルは一つのインターネット・ミームになったと言える。これは倫太郎が目指していたことだ。

 今や倫太郎とハルの手を離れ、多くの人々が情報を加工し、拡散させていく。それは炎上と似ている。当事者の制御を越えて、広がりを見せていく勢い。だが炎上と違うのは、関わる人達の誰もが楽しんでいることだ。

 本来、インターネットとはこうあるべきだ。

 無数の意見がぶつかり合い、多様な議論が交わされながらも、目標に向かって着実に進んでいくこと。マウントを取り合ったり、知識量で対立したり、煽ったりすることは、インターネットの本質ではなかったはずだ。

 いつしか人が忘れてしまったインターネットの楽しさ、倫太郎はそれを再発見できたような気がした。

 何もかもがうまくいっている。


 しかし、倫太郎の心は晴れない。原因は無論、先日、ノヴァに指摘されたことだ。

 ハルに思い出を与えること、その行為がハルに対して苦悩をも与えることになるかもしれない。それじゃあ、今まで俺がやってきたことは、ハルと二人三脚で築き上げたことは、全部地獄へ続く道だったのか。

 いや、今更もう遅い。ハルはすでに多くの思い出を得ているし、自分の感情を自覚し始めている。

 ……俺が今できることは、何なんだ。


『マスター、どうしましたか? こちらの場所、気に入りませんか?』


 スマホの中のハルが小首を傾げている。

 ノヴァと対話した時と同じ、ビデオ通話だ。


「あ、ああ、悪い。ちょっと考え事してた」

『そうですか、では改めてこちらの様子をお伝えしますね』


 ハルがそう言うと、スマホ画面の中でハルの姿がどんどん小さくなっていく。より正確にはカメラが被写体から距離を取るように、画面がハルを中心に捉えつつズームアウトしていった。あっという間にハルが豆粒のようになり、その周辺の風景がスマホ画面の中にすっぽりと収まった。

 明かりを失った薄闇の中の街並み。ゴーストタウンと化した東京の街中に、たった一人、ハルが棒立ちしている様子が映っている。

 これはカメラ付きのドローンによるものだ。ドローンはハルとリンクしているため自在に操作でき、様々な角度から撮影が可能となっている。

 来週に控えたハルの生歌配信では、このドローン撮影を使ってミュージックビデオ風の演出をする予定だった。

 そのためのドローンの動きのリハーサルと、撮影場所のロケハンを行っていた。


「……うん、割といい感じだよ」


 自分でも分かるほど気のない感想だ。

 どうしても先日のノヴァの言葉が気にかかり、上の空になっている。生歌配信を控え、炎上騒ぎも落ち着いて、ここからもう一度盛り上がろうとしている時なのに。

 生歌配信の思い出も、もしかしたらハルを傷つけるナイフになるのではないかと思うと、以前のような情熱が沸いてこなかった。


『どうしましたか、マスター。元気がありませんね? もし悩み事があるなら私が相談に乗りますよ』


 早速見抜かれてしまった。

 ドローンが降下していき、スマホ画面には再びハルの姿が大きく映った。吸い込まれそうなほどに透き通った瞳に、微かに口角が持ち上がった唇など、ハルの眩い美貌が倫太郎のスマホに戻って来た。


「あ、いや。大したことじゃないから大丈夫。最近、大学の勉強サボってたからヤバいなーって考え込んでたんだ。……ほら、ノヴァがVドルをやりながら、かなりいいとこの大学で勉強しているって知って俺も焦ったって言うか」

『……声紋のパターン、及びビデオ通話越しに確認できる表情筋の微細な動作、瞳孔の開き具合などを測定したところ、今のマスターの発言が虚偽である確率が72パーセントと算出されました。何か、私に言いたくないことでもあるのでしょうか』


 う、流石アンドロイド。適当な嘘は通じない。


『躊躇う必要はございません、マスター。例えどのような悩みであっても、私は受け止めますから。何も恐れることはないのですよ』


 その微笑はまさに天使か女神か。

 ハルの顔を設計した人のセンスに脱帽だ。改めて眺めると、彼女の顔は倫太郎の好みにドストライクだ。

 少し迷ってから口を開く。


「なあ、ハルは、人類の滅びの原因は結局なんだと思う? ここんところ配信でもSNS上でも考察してくれる人が増えているけど、これだって正解はまだ出てこないし、俺にはさっぱり分からないよ」


 ちょっとだけ悩みを誤魔化した。

 それにこの話題も、決して倫太郎の今の悩みと無関係というわけでもない。


『……そうですね』


 と、今度はハルが迷う仕草を見せた。倫太郎を真正面から見つめていた視線を少し逸らして、考え込んでいる様子だった。

 ハルにしては珍しい。


「何か気付いたことがあるなら、俺を気遣う必要は無いから話して欲しいな」


 さっきハルに言われたことをそっくりそのまま言い返す。

 彷徨っていたハルの視線がようやく倫太郎を見て制止した。


『これは、突拍子もない私の仮説ですが』と前置きして語りだす。


 そうして聞かされたのは、まさに壮大なスケールの仮説だった。

 安定を求める宇宙において、多様性に満ちて常に変化し続ける存在。最も致命的なバグである生命。それから生まれた、知的生命体である人類。宇宙からすれば、予期しない行動を取り続けながら拡大していくまさにコンピュータウイルス。今や地球だけに止まらず、外宇宙への進出すら目論んでいる。それを削除しようとする、宇宙の意志が働いたのではないか。

 ハルの淡々とした口調で語られたその物語を、倫太郎は黙り込んで聞いていた。というか口を挟める余地もなかった。予想以上に難しい話だったので、理解しようと追いかけるのに必死だったからだ。

 聞き終えた後も、しばらく考え込む。自分なりにどうにか咀嚼しようと頑張った。

 だが、舌に馴染みのない料理を嚥下するのはなかなか難しい。


『あの、どうでしたでしょうか?』


 ハルが不安そうに聞いて来る。倫太郎が黙りこくったのを気にしているようだった。


「あ、ああ。ええっとだなぁ。……まず、俺は理系じゃない」


 と、先に言い訳をしておく。


『はい』

「だからハルの言う安定ってのがよく分からない。宇宙が安定を、人類が変化を望むっていうのが、どうもピンとこない。自慢じゃないが、俺は安定志向だ。将来の夢は公務員。出世もせず降格もせず、毎日そこそこ忙しくしつつ、でもちゃんと給料を受けとって、細々と生きていきたいと思っている」


 ってあまり胸を張って言うことじゃないよな、と心の中で苦笑いする。


「俺と同じように考える奴はきっと多い。というか、大部分じゃないのか? 日本の若者の将来なりたい職業ランキング一位は公務員だぞ。安定の代名詞だぞ。安定を望みまくりだ。そのせいで日本の民間企業のヒューマンリソースは減少傾向だぞ」


 ハルの表情はあまり変わっていない。でも実は内心で馬鹿にされているんじゃないかとちょっと不安だ。


『……そうですね、マスターのおっしゃる安定とは、あくまで人間社会の中の生活水準における指標でしょう。確かに、人間の多くは社会的安定を求めます。生活に必要な給与を定期的に受け取り、適度な休暇を送りながら、漫然と生きていくことを望んでいるでしょう』

「……だよね?」


 少し安心。


『ただ科学的視点に立つと、安定の意味は少し異なります。安定とは、変化をしないこと、エネルギーが平衡であることなどを指します。人間とは生きているだけで変化を起こす存在です。物理的な意味で動き回るのはもちろん、立ち止まっている間でも体内では数多くの化学反応を起こし、変化を作り出しています。では人間が最も安定した状態とは何か。それは死です』

「……死?」

『はい。死ぬことこそ、人間が最も安定した状態であるといえるでしょう。死体は動き回りませんし、生命維持活動によって起きていたあらゆる化学反応が停止します。物理的にも化学的にも安定しています。……では人間は、死を望んでいるでしょうか?』


 そんなわけない。

 誰だって死にたくない。

 人間はいつだって死に抗い続けている。


「……だけど、人間は、生命は、死には敵わないよ。どうあがいたって、死は避けられないものだ。望んでいるわけじゃないけど、やっぱり人間も死という安定に向かっているんじゃないかなぁ」


 倫太郎の脳裏に数年前の出来事がフラッシュバックする。

 ニュースだ。世界中に広がった新型コロナウィルスによって、大勢の人間が病院に運ばれていく様子、お墓の前で泣き崩れる親族。こんなことが世界中で当たり前のように起こっていた。特にアメリカの死者は二回の世界大戦時の戦死者を合わせた数よりも多かったと聞く。日本人だって少なからず影響を受けた。倫太郎の親族は幸いにも全員無事だったが、親戚を亡くした知り合いもいる。


「生命が死を望んでいないとしても、でも、どうしようもなく死という安定に帰結していく。それってやっぱり、生命や人類も宇宙の摂理に従っているってことじゃないのか?」


 今度はハルが黙考する番だった。

 深く考え込んでいる時のハルは、彫像のようだった。眉一つ動かさずに、ひたすら思考し続けている。彼女のシリコンの頭脳がフル回転しているんだろうと、外からでも手に取るように分かる。

 ただ、それが機械的というわけでもない。思索にふけっている人間のような、声を掛けることを躊躇われる神聖な雰囲気がベールとなって彼女を覆っている。

 これは一種の芸術だ。

 瞬間を切り取った絵画や彫像のような美しさが、制止している愛野ハルにはあった。


『……マスター』


 ようやく動き出す。


『生命はやはり安定に抗い、変化を望んでいるように私には思えます。……なぜなら、生命は安定を、死を克服する術を持っているからです』

「うえっ! そ、そんなの、俺は持ってないけどっ」

『いえ、マスターにもあります。アンドロイドは持たない唯一の方法。……生命は子孫を残すことによって、死を克服しています』

「……ああっ」


 そうだ、生命は次世代へと繋いでいく。


『そして、子孫とは自身のコピーではありません。子供は親のクローンとはならないのです。遺伝的に多様に変化していきます。なぜならDNAの複製は不完全であるため、親の遺伝子をそのまま受け継ぐことはなく、その組み合わせの数は星の数にも劣りません。そのために生命は多様性に満ちており、変化をし続ける存在であるのです』


 受胎能力のないアンドロイドによる、その指摘は倫太郎に突き刺さった。

 それは、確かに、生命が持つ途方もない可能性のように思える。

 宇宙という冷たいプログラムの中に生まれた、温かいコンピュータウイルス。

 それこそが、生命であり人類。



「じゃあ、もし人類の滅びが、本当に宇宙の意志なんだとしたら……」



 この時、初めて倫太郎は、滅亡の未来に恐怖を覚えた。人類の可能性が閉ざされた未来が恐ろしかった。

 他人事のように思えていた何十年先の世界が、途轍もなく身近に思えて、恐ろしくなった。

 ハルの背後に見える、死んだ街並み。先程ドローンで空撮した、東京の死体。そして以前、ハルに見せてもらった、明かりのない夜の地球の姿。それらが倫太郎の頭を駆け巡っていく。


 ぞわり、全身に怖気が奔る。


 誰かに見られているような気がする。

 よくぞ気付いたな、と頭上で誰かが嘲笑っている。

 宇宙の視線が、自分に注がれている。踏み潰される直前のアリが、人間の足の裏を見上げているような気分だ。


『ま、マスター、どうか落ち着いて。深呼吸を』


 叫び声を上げそうになる寸前のところで、ハルの声が気付け薬になった。浅い呼吸を繰り返しながら、自分の心臓の鼓動に耳を傾ける。

 大丈夫、動いている。


「わ、悪い、ハル。何だか、急に怖くなっちゃって」


 汗でびっしょり濡れた前髪が額に張り付いていた。


『今の話は全て、私の仮説にもならない想像です。なのでどうか気にしないでください。私が変なことを言ったせいで、本当に申し訳ございません』


 スマホの中でハルが何度もペコペコ頭を下げている。


「ああ、いや、俺こそ悪かった。勝手な想像して、一人で怖がってた。もう大丈夫だから。……ただちょっと休みたい。今日の生歌配信の準備はこれくらいで終わりにしていいか? また明日、続きをしよう」

『は、はい。もちろんです。お休みなさいませ』


 そうしてハルの姿がスマホから消える。同時に、人類がいなくなった世界も見えなくなった。ちょっとほっとする。現実に帰って来たような気がした。

 遮光カーテンを開き、窓の外を見る。

 夜でもちゃんと街の明かりがあった。コンビニは相変わらず営業していて、街灯が道路を照らしている。その道路を挟んだ向かい側にあるマンションからも光が漏れている。


「まだ、大丈夫。まだ」


 自分を安心させるように呟いた。

 人類はまだ生きている。子孫へのバトンタッチを繰り返しながら、死という安定に立ち向かい続けている。

 そんな風に自分を励ましながら人の営みを眺めていると、ふと思いついたことがあった。


 人類とは違って、アンドロイドは子孫を残せない。自分のプログラムをコピーして残しておくことはできるようだが、それは生命のやり方とは異なる。いわば自分のクローンを増やしていく行為だ。

 もしかすると宇宙にとって望ましい知的生命体は人類ではなく、アンドロイドではないだろうか。ならば宇宙が人類を消失させたのは、この地球をアンドロイドに引き渡すためではないだろうか。


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