シンデレラ、宇宙へ行く
ジャンル迷子
今日も今日とて、エル・ホーエンは作業に勤しんでいた。
歳は十九。いろいろとご縁がなく恋人どころか友人もいない。隣の家まで歩いて四十五分。周囲にあるのは見渡すかぎり広がる広大な畑。上品なワンピースの上に機械油でよごれた作業用のエプロンを着けて、移動に使うホバークラフトのメンテナンス中である。
アナログ腕時計をちらりと見て作業をやめる。
ぐうっと腕を伸ばしてひと息つくと、エルは自分が住む古ぼけたお屋敷へ足を向けた。一緒に住むのは父の後妻と、その連れ子である義姉がふたり。大昔は良家と言われたが、今は超がつくほど貧乏なホーエン家。お金をもっていた後妻を迎え、暮らしぶりは驚くほどよくなったものの、そのおかげで父は後妻に頭があがらなかった。ほどなくして父も亡くなれば、あとは後妻とその娘の天下である。
「まあエルってば、またこんなにたくさん美味しい料理を作って!」
「憎たらしい子。あたしたちを太らせる気なんだわ」
「確かにBMIはやや痩せぎみだけど、だからといってサイズアップしたいわけではないのよ」
ぱくぱくと料理を平らげていくふたりの義姉は、最近腰回りが気になるらしい。
「お姉さま、ご安心ください。タネタ考案のレシピですので、全部お召し上がりになってもカロリー超過にはなりませんわ」
「なんですって!?」
「栄養バランスも食物繊維もばっちりです」
「そんな……内側から美しくなってしまうじゃないの!」
驚愕の表情を浮かべるふたりをよそに、義母は冷たい視線をテーブルへ向けていた。そこには濃い黄色のぷるんとした冷菓がガラスの皿に盛られている。
「このデザートは?」
ひんやりとした義母の声にはいまだに慣れず、エルの声が少しだけ上ずる。
「カボチャのプリンです。砂糖のかわりにメープルシロップを使っているので糖の吸収率は比較的おだやかになります」
「んまぁ!」と横から口をはさむ義姉たちを横目に、義母はだまってスプーンを動かす。エルの目から見ても、義母の考えていることは分かりにくい。カケラさえ残さず完食された皿を見て、やっと息をつくことができた。
「気をつけないと本当に太ってしまいそう。カサンドラ、この食器を片づけて少しでもカロリーを消費するわよ。体型維持にはなんてったって運動なんだから」
「待ってミザリーお姉さま、エルったらのろまだからまだ食べているのよ」
「あきれた。さっさと食べて洗い場に持っていらっしゃい」
「急いで食べてのどに詰まらせたら承知しないわよ!」
エルは「はい、お姉さま。ありがとうございます」と頭を下げつつ、義姉の忠告通りのどに詰まらせない程度に急いで食べた。
◇
「エル。おまえ、また機械仕事をしていたそうね」
「申し訳ありません、お義母さま」
夜、寝室へ向かうエルを義母が引きとめた。暗い廊下は濃い影を落とし、それがより恐ろしい雰囲気をかもしていた。
「機械油にまみれて全身汚らしいとあの子たちが言っていたわ。どういうつもりなの」
迂闊にも見られていたようだ。謝罪をして深々と頭を下げると、見苦しいから顔を上げろと言われる。エルは視線を床に落としたまま口を開いた。
「お義母さまが汗を流して外仕事をしていらっしゃるお姿を見たら、手伝わずにいられませんでした。その、機械のメンテナンスくらいしかできないのですが……重ねて、申しわけありません」
「ふん。機械の調子が悪ければ業者を呼べばいいのだから、勝手に修理などしなくていいの。金さえ払えばやつらは喜んでやってくるのよ」
しかしエルは知っている。その業者が女ばかりの世帯だと足元をみてかなり高額な手間賃を請求していることを。すぐに来てくれと言っても、もったいぶって翌日、翌々日に来て、あげくに必要以上に恩着せがましいのだ。その間、義母や姉たちは不調な機械の代わりに体を動かして働いているのに。
「体の弱いおまえに何かあったら、旦那さまにも……おまえのお母さまにも顔向けできないのよ。わきまえてちょうだい」
「はい、お義母さま」
継子を気づかう義母に、エルは小さく頭を下げた。
ここは惑星ティキュー。増えすぎた人口が問題にもなった過去もあったが、今ではどこを見ても少子化の一途。娯楽の多様化と選択の自由は子どもを産み育てる機会を少なくしていったようだ。機械に頼りながらのワンオペ作業はどこででも見られる光景になっていた。
そしてテクノロジーの発達は上流階級の生活をどこまでも豊かにし、今では彼らのほとんどが衛星都市であるトゥキへ移住を済ませている。富を持つ者はトゥキへ住むべしと言わんばかりだ。一極集中だとの批判は常々あるが、おそらくそれが解消される日はないだろう。
エルは寝室から衛星トゥキを見上げた。
夜空に浮かぶ丸い明かりに人が住んでいると知ったはいくつの時だっただろう。ありとあらゆるものがそろう大都市。ティキューに住む人間ならば、きっと一度は訪れたいと願う。
エルも一度は行ってみたいと思う。でもここを捨てて移り住めと言われたら首を振るだろう。なぜならこの屋敷で家族と暮らすのが好きだから。皮肉でもなんでもない。広大な畑とおんぼろな屋敷は父との思い出であり、ホーエン家が代々つないできた財産である。そしてツンツンしている義姉と言葉少ない義母。血をわけただけあって、三人の根底には深い優しさがある。エルは彼女たちが好きだった。
そんな彼女たちの元に衝撃的な知らせが届いた。
「舞踏会ですって?」
なんでも、かつて国を治めていた王族の末裔であるご子息が適齢期を迎え、その伴侶を広く探しているのだとか。次女であるカサンドラが自分宛の招待状にある本人認証システムを作動させると、簡易的ではあるが網膜チェックが始まった。結果は問題なし。しかし次の瞬間、その招待状に追加の文言が浮かび上がった。
『健康状態:良』
特に問題なし。食生活と運動に気をつけてお過ごしください、とまで書いてある。
「健康状態ってなんなの」
「ほんとね。へんなの」
首をひねるカサンドラとミザリーへ、さらに文面は追加される。
『ご招待先:百合宮殿』
「……どうして招待先があとで出てくるの」
「ミザリーお姉さまのも同じかしら」
長女であるミザリーが試すと、同じように健康状態は良、しかし招待先は鈴蘭宮殿となった。
エルは暗い表情をしておもむろに口を開いた。少し思いあたることがあるのだ。
「婦女子をふるいにかけているのだと思います。衛星都市に住む人間はティキューの者より生殖機能が格段に落ちていると聞きました。高位のお方はその血筋を残すべく、適齢期の女性に広く招待状を送り、相性の良い女性を見つけ出したいのではないでしょうか」
デリケートな事案だけにトゥキでも一部で問題になっているそうだが、違法なわけでもない。上流階級はそうして相性のよい相手を探していると聞いたことがあるのだ。
「健康状態が検出できるということは、相手先とのDNA的な相性の良さも調べられているかもしれません。宮殿がどういうところかは分かりませんが、一定の水準を満たした者はグループごとに分けて集めるのが効率的だと考えます。この場所はそのひとつではないかと」
ミザリーが顔を真っ赤にした。
「ふざけるのも大概にしてほしいわ! 女は子どもを産む道具ではないのよ!!」
「そうよお姉さま! 直接乗り込んで文句言ってやりましょうよ、ねえお母さま!」
厳しい顔つきの義母が静かに立ち上がる。その瞳には怒りがあった。都合がいいことに舞踏会は連日連夜行っていて、招待状が届けばすぐに参上してよいらしい。交通費さえ出せば滞在費用はあちらが持ってくれるらしく、経済力を見せつけてくれるのがまた腹立たしい。義母を付き添いとして、ミザリーとカサンドラが慌ただしく準備を始めた。
エルも支度をしようとして義母に遮られる。
「エル、あなたはここに残りなさい」
「でも」
「衛星とはいえ星間移動は体へ負担がかかります。ここにいて屋敷を守りなさい。いいですね」
強い眼差しに、エルは頷くしかなかった。三人に置いていかれるのは少し悲しい。さらに義母は招待状には決してさわるなと言い含めた。エルのことを案じてのことだとすぐに分かった。
「いいこと、ここにもしもの時のお金を入れてありますから何かあったら使いなさい」
「ちょっとエル! どうしてこんなに整理整頓が上手なのよ! どこに何があるかすぐにわかるじゃない!」
こんな時でもふたりの義姉はエルのことを気にかけてくれる。エルは三人の無事を願うことしかできない。
「エル! おみやげ期待してなさいよ!」
「貴族の鼻っぱしらをへし折ってきてやるわ!」
窓から顔を出して手をふる義姉たちに、エルも大きく手をふり返した。
◇
貨物船の船長ロデリック・ハイースはいつもの配達のためにエルたちの住むホーエン家へと向かった。本来ならこのパンプキン・キャリアージ号は貨物船に収まるようなスペックではない。それこそスポンサーさえつけば星間レースにだって出ることができるとロデリックは自負している。もちろん、操縦の腕もピカイチだ。
しかし貨物の運搬を生業としてはや五年。家業を引き継いだロデリックはくさくさしながら仕事をしていた。
黄金に色づいた麦畑を滑空し、ホーエン家へ到着したときにロデリックはあのかしましい姉妹がいないことに気付いた。そして普段は家の中にいるエルが、手紙のようなものを見つめて青ざめている。
「よお、エル。姉ちゃんたちどうしたよ」
話しかけてもエルは固まったように動かない。
不思議に思ってロデリックはエルの持っていた手紙をのぞきこんだ。
『健康状態:要静養』
健康診断の結果だろうか。それにしては書き方がおかしい。確かにエルは小さなころから体が弱く、しょっちゅう熱をだして寝込んでいたらしい。今はだいぶマシになったようだが、それを気にしているんだろうか。そう思ってロデリックがまた言葉をかける。
「おいエル、どうしちまったんだよ」
「……ロデリック。ここ、見て」
エルが指差したところは「ユーエスホテル」と書いてあった。
「お義姉さまたちは花の名前がついた宮殿だった。私が格下なのはわかりきっているからいいんだけど、ここまであからさまだと、いかにお姉さまたちが選ばれた人間なのか分かってしまって……このままだとお義姉さまのどちらかが選ばれてしまう……だってあんなに素敵な人たちだもの……どうしよう、わたし……」
人形のように生気を感じさせない顔で、エルはぼそぼそとしゃべり続ける。その様子がちょっとばかり怖くて目をそらすついでに手紙へ視線を落とす。
「ん?」
奇妙なことに気が付いた。
「おい、さっきの文字が消えてないか」
ロデリックが指さした場所にはユーエスホテルの記載がきれいさっぱりなくなっている。その代わり、問い合わせ中であるかのようにグルグルと渦巻きのマークがでていた。不思議に思っていると、突然音声が流れはじめる。
『エル・ホーエン様。お迎えに上がりますので、その場でしばらくお待ちください。必要なものはこちらで手配しますのでそのままで構いません』
機械音声ではなく、人の声だ。しかも向けに来るとかすっ頓狂なことを言っている。
『ご不安なことがあれば仰って下さい。できるかぎりお答えいたします』
しかも現在進行形で相手と繋がっているようで、エルの青ざめた顔は一変。感情を一切削ぎ落とした『無』になった。エルの父親が後妻とその娘ふたりを迎える前はいつもこんなふうだったとロデリックは思い出す。今でも感情表現は豊かとは言えないが、それでも無よりは人間らしい。
「待遇の変更理由はなんですか。教えないのならトゥキへは絶対に行きません」
エルの申し出にアナウンスはしばし無言になった。答えに迷っているようだ。
『……はっきり申し上げますと、適合率の高さです。稀に見るほどの数値で、ぜひお会いしたいと主催が申しております』
「お断りします。迎えは不要です」
『なりません。封筒の要項にありますが、この書面を開いた時点ですべての決定権は主催者側にあります。十分後に到着いたしますので、どうぞその場でお待ちくださいませ』
あと十分。
エルは眉をひそかに寄せる。それが精いっぱいの感情表現なのだろう。ロデリックはとんでもない現場に居合わせたもんだと他人事だったのだが、エルの次のひと言でそれは吹き飛んでしまった。
「ロデリック、わたし逃げたい」
ふり返り、まっすぐに見つめるエル。その強い眼差しにロデリックはこくりとのどを鳴らした。表情はないに等しいが確固たる意志をひしひしと感じる。今までエルを知る身からすると驚くべきことだった。あの無気力で無感情のエルが。
「逃げるって……どこにだよ」
「とりあえず宇宙空間に出れば時間が稼げる。もう時間がない。おねがい、ロデリック」
考えたのは一瞬。
ロデリックは白い歯を見せて得意げに笑う。
「んじゃ行きますか。慌てて靴を落とすんじゃないぜ。ああ、どうせなら姉ちゃんたち迎えに行くか。キャンキャン吠えて捕まってるかもしれねえしな」
「うん……!」
ロデリックの船に乗った時にはもうタイムリミットは五分を切っていた。機体の急発進に体が悲鳴をあげるが、エルは唇をかんで耐える。
わけのわからない金持ちになんか絶対に捕まりたくない。いま一緒にいたいのはふたりの姉と母だ。異質な自分を受け入れてくれた三人。望まれるかぎり家族でありたい、その気持ちがエルを突き動かす。
飛行するロデリックの船に信号が入った。相手は巡回船で、不審な動きをする船の航行の目的を聞いているようだ。下手な返答をすれば……
ロデリックの中でずっとくすぶっていた小さな火。それが徐々に強く大きくゆらめきだした。
エネルギーは充分ある。機体のスペックは申し分なく、メンテナンスは欠かしていない。これから起こるであろう逃走劇にロデリックは不敵にほほ笑む。
「こちらパンプキン・キャリアージ号。シンデレラを連れて、舞踏会へいくところだ」