第7話「貴様の名は」
「貴様に我からの名を授けよう」
これを伝えた時のハイゴブリンである彼の表情が少しながら愉快だった。
「……」
ダンジョンマスターであるハイゴブリンも『名』の意味がわかるのだろう。完全に動きを停止しており、少しばかり復活に時間がかかりそうだ。
いわゆる『ネームド』と称される行為。
一般的――500年前の一般の話だが――には500年前では上位種の中でも王種以上の魔物が同族の下位種へと行うことが出来る一種の魔法契約として魔物はもちろん、人族や魔神族の間でも有名だった。
もちろん我は魔物ではないが『ネームド』はそもそも魔物同士でなければできないというわけでもない。
過去にも我から名を与えた魔物が2体いたが、その魔物は今はどうなっているのか。
……500年もたてば流石に寿命を迎えているか?
奴らならば、まだ生きている可能性もあるように思える。
ある程度ハイゴブリンのダンジョンが我抜きでも戦えるようになったのなら少しばかり外の世界を見回ることも視野にいれていたが、そのついでに奴らにも会えるか探してみても良いかもしれん。
今はどうしているのかという気持ちに思いを馳せそうになるが、先に目の前のハイゴブリンの思考停止を解く必要がある。
「知っているのであれば大まかな説明はせんが、一応注意点を伝えておくと少しばかりの制約があるぞ」
「……って、え? 制約?」
話しかけたことでどうにか立ち直ったらしい。すぐに首を傾げた。
「ダンジョンのネームドシステムとはやっぱり少し違うんだね」
「……ダンジョンのシステムにも組み込まれているのか?」
それならばこのダンジョンそのシステムを使うという選択肢があったのではないだろうか。という疑問が浮かんだのだが、それが出来ればどうせ駆使している。なにかできない理由があるということだ。。
「一応、位階が高いマスターには使えるらしいんだ……僕には使えなかったんだけど」
俯いて呟くハイゴブリンだが当然と言える気がしてしまう。
ネームドは元々王種以上の魔力を持つ存在が前提になる。それをダンジョンマスターへと組み込むとしてもやはりある程度優秀な魔力をもっていないと使用できないということだろう。ハイゴブリンでは使用できないことが当たり前だ。
「ダンジョンマスターでもない君が使えるっていうのは本当に意味がわからないんだけどね」
と、ハイゴブリンが小さな声でおそらくは我に聞こえないように呟いた。あまりにも小さい声の独り言だ。あえて反応はしないでおく。
「僕の知ってるネームドシステムは与えられる数が少ないけどそれ以外は何の制限もなかったはずなんだけど、君の言う制約っていうのは?」
「二つあってな。一つは我の眷属になることだ」
「……眷属?」
あまり聞きなれない言葉なのだろう。首を傾げてこちらを見つめてくる。
「魔力の与え方でも変わるが 今回のものは我の配下になるという程度だな。簡単に言ってしまえばいざという時に我に逆らえん状態だ」
「……いざという時?」
「我が本気で望まないことを出来なくなる……と思えば良い」
「……それって――」
ハイゴブリンが黙り込む。これもまた予想通りの反応だ。
配下になる、逆らえない。と言われれば隷属するようにすら感じてもおかしくはない。
こればかりは本人の意思次第。我も強要をするつもりはない。
天井を見つめながら考えているであろうハイゴブリンを眺めていたのだが、すぐにこちらへと視線が向いた。
その表情はなぜか笑顔。
「――なんだか面白い関係だね!」
「む?」
面白い関係という言葉の意味が分からない。
「だって僕はダンジョンマスターで君は僕のダンジョンのダンジョンボス。だから主従関係みたいなもんじゃないか。けどこのネームドをやることで君が主で僕が配下になるんでしょ? なんだかあべこべで面白いなって思って」
「確かに……そうだな」
ダンジョンマスターとダンジョンボスという関係性を全く気にしていなかったが、確かにその通りだ。
「うん、つまりは対等ってことだね!? 元々テンマってあんまりそういう配下って感じじゃなかったけど……これはもう友達になれるってことと思うんだよね!」
「とも……だち?」
「そうそう! いやー僕って生まれて数年くらいで冒険者に集落を滅ぼされてさ。僕も死ぬっていう時に丁度ダンジョンマスターに選ばれたんだよね。ダンジョン魔物って僕の言うことは聞いてくれるけどなんでも聞いてくれるから友達っていうよりもさっき君が言ってた主従関係っていうのに近くてね? むしろ楽しみじゃない? 友達になれて、しかも強くもなれるなんて最高じゃないか!」
スラスラと笑顔で語られる言葉が耳に流れてくる。
友、か。
我にも友と呼べる存在はいなかったため斬新さすらある。なぜかむず痒さを感じ、若干だが居心地が悪くなってしまったため話を進めることにする。
「……つまり『名』を受け入れるということだな?」
「もちろん! じゃああともう一つの制約って?」
「これは制約というか……不利益、と行った方が近い。ネームドは我の魔力が貴様に馴染む必要があるため、時間がかかる。そして馴染むまではおそらくは貴様は眠ることになるだろう」
「眠るって、どれくらいかかるの?」
「貴様次第だな。以前に我が名を授けた魔物は確か暖の期が暑の期へと移り変わるほどには眠っていたぞ?」
「えっ! それって2,3カ月くらいってことだよね。そんなにっ!?」
顔を青くさせるハイゴブリンに頷いて見せる。
「うむ。とはいえ貴様は貧弱なためそこまではかからんとは思うぞ」
「……え? 貧弱だから時間がかかるんじゃなくて?」
「名を与えられる魔物が強大であればあるほど、我が名を授ける時に流れる力もより強大となる。つまり貧弱な貴様であればそこまで大きな力が流れていくことはないため、馴染むために必要な時間も短くなるはずだ」
「そ、そう……なんだ」
少しばかり考えるように俯き「でも」と顔を上げた。
「数日じゃ無理ってことだよね?」
「間違いなく無理だろうな。我の見立てでは1カ月前後といったところだな」
「……」
流石に即答は不可能か。
月単位で寝てしまうとして、その間に冒険者に襲われて死んでしまえば元も子もない。
とはいえ――
「――我が守るから安心するが良い」
たがだか月単位の期間だ。しかもダンジョンという屋内で、襲われるとしても扉の入り口からしか入ってこない。
これで我が守り切れないはずがない。
……ハイゴブリンが我をそこまで信じ切れるかどうかは別の問題だが。
「って悩む問題じゃなかったね」
ほぅ?
確かに考えた時間は数秒もなかった。自信に溢れているように言葉を続ける。
「ダンジョンにいるゴブリンたちだって仲間同士で戦ってくれる。僕だけそのまま、なんていいはずがないし。何よりも僕はテンマを信じる。だからお願い!」
「わかった」
阿呆だと、少なからず考えてしまう。
たかが数日会話しただけで我を本気で信じるているかのような判断。
ダンジョンの魔物の位階が上がるのはまだ当分先だ。それまではダンジョン魔物はほぼ機能しないだろう。さらにハイゴブリン自身も位階を上げるために眠ることになる。
つまりはダンジョンで我以外はほぼ機能しなくなるということだ。
我一人にダンジョンの命運を任せるということだ。
全くもって、阿呆。
だが、悪くない。
それは本当に阿呆なのか、純真とでもいえばいいのか。他者がどう評価するかは知らんが少なくとも我からすれば悪くない気持ちだ。
ならば、その気持ちに応えてやろうではないかとすら思える。
「目は閉じておけ」
「うん」
ハイゴブリンの頭に手を置いて、ゆっくりと体内の魔力をハイゴブリンへと流していく。
この時にあまりにも多めの量を流してしまうとハイゴブリンの体が破裂してしまうため繊細な魔力コントロールが必要となる。特にハイゴブリンは貧弱であることから万が一にも失敗しないようにゆっくり魔力を受け渡さなければならない。
「っ」
体が熱くなっているのだろう。ハイゴブリンが小さな声を漏らす。
魔力を流していくとハイゴブリンの魔力の核へと触れる瞬間がきた。それと同時に我が持っているハイゴブリンへのイメージを我の魔力とハイゴブリンの核とを結びつける。
「さて、ハイゴブリンよ」
「……ううっ」
ハイゴブリンが声を漏らす。
我は『名』を与えることがあっても与えられたことがないため正確な感覚を知る由もないが、以前に『名』を与えた魔物たちは「徐々に熱が籠ってきてさらに痛くなる」と言っていたため、ハイゴブリンが漏らしているこの声も痛みによるものなのだろう。
「貴様に我からの『名』を授けよう」
「お願い……僕を強くして、テンマ」
緑の肌を赤くして、痛みと熱に耐えながらも漏らしたその言葉はハイゴブリンの本心そのものだ。
「貴様の名は『ゴブノスケ』だ」
「僕の名前は……ゴブノスケ……ゴブノ、スケ」
おそらくは我のつけた名に感動すらしているのであろう。名のセンスに関していえば昔から魔物たちには震えるほどに喜ばれていた記憶があるため自信がある。うなされながらも我の言葉を繰り返していたゴブノスケの目がカッと見開いた。
「ってなんかダサくないっ!?」
「な!?」
そのままぱたりと倒れたハイゴブリンの目がゆっくりと閉じられていく。
「おい待て貴様。我の渾身の名が格好悪いだと!? 取り消せゴブノスケ!」
肩を揺さぶるのだがハイゴブリンの目は閉じられて動かない。それどころか静かに寝息を立て始めている。
「ぐぬぬぬぬ」
やるではないかゴブノスケよ。
久しぶりに悔しいという感情を思い出したぞ。
「……」
もう完全に動かなくなったゴブノスケを見ながら、大きく息を吐く。
「まさか、本当に成功するとは」
ゴブノスケには詳細を説明しなかったが、ネームドは非常に危険な行為でもある。
名を与えらえる側が本当に受け入れていない場合に、ネームドを行ってしまうとネームドは成功しない。そればかりか、名を与える側は下手をすれば死に、名を与えられた側はその魔力を弾くために、長い期間眠りにつくことになる。具体的にはネームドに成功した場合と同様の期間。
ゴブノスケが我を本当に信じているのか、心の底では疑いの方が大きいのではないか。それを確かめる意味もあったが、本当に成功するとは夢にも思っていなかった。
なにせ会ってまだ数日だ。一般的に考えた時、心の底から信じるほうが難しいだろう。
それが成功した。
ゴブノスケのお人好し具合には流石の我も頭が下がる……この場合は魔物好し具合と表現した方が正しいか。
「ふむ、死ななかったか」
我の手を意味もなく何度か開いては閉じてを繰り返して、頷く。
ならば決まりだ。
心を一転させるとしよう。全力でダンジョンボスとしての役割を全うしようではないか。ダンジョンボスとしても役割も確かに楽し気である以上、不満はない。ダンジョンマスターがゴブノスケであるということも非常に楽しそうだ
「……」
少し思う。
ゴブノスケは仲間が傷つくことが好きではなく、おそらくは誰かを傷つけることも好まない。そもそも平和を好みそうな性格をしている。それはこの不殺ダンジョンというルールから見ても間違いない。
強者との戦いにこそ楽しみを見出す我とは正反対の性格だ。
今回のダンジョンの強化は間違いなく強者を呼び寄せることになる。ゴブリン族は位階があがれば手に持つ装備品のグレードが上がる。銀や金の武器を拾うことすらも可能となる。ダンジョンの立地が悪いとはいえ冒険者からもいずれは重宝されることになるだろう。
しかもこのダンジョンでは一日たてばダンジョン魔物が復活することが約束されており、冒険者も死ぬことはないダンジョンだ。この強化が成功に至れば冒険者であふれることになる……おそらくだが。
強者と戦いたい我にとっては良いことしかないがゴブノスケにとってはどうなのか。
今回の強化が不必要だったとは考えていない。
それほどに、このダンジョンは脆弱すぎた。このままのダンジョンでいたならば我がいるとはいえ、いずれ終わりを迎えていただろう。
「ままならんものだな」
苦しそうに眠っているゴブノスケから目を離す。
「精々苦しんで眠っておけ。期間が長ければ長いほど我の魔力が貴様の糧となる」
そういえばゴブノスケはダンジョンマスターとして何を目指している?
目が覚めたらいつか聞いてみるとしよう。