第54話「蹂躙される者」
「あっはっはっはっは!」
「楽しいわねぇ! 弱い者いじめっていうのは!」
「……ふふ」
羽を毟られ、脚を千切られ、甲殻を剥ぎ取られて、どれほどの苦痛が彼女を襲おうとも。
アンコは悲鳴を上げなかった。
なぜなら彼女は後悔をしていないからだ。いや、後悔をしていないから、という表現は少し正確ではない。正確には『怒っていたから』という表現の方が正しいのかもしれない。
だからこそ彼女は痛みなど全く意に介していなかった。
――可哀そうに。
四肢を失い嘲笑を受けても、アンコは自分の体で抱えるようにして覆っているアイスウルフを見やる。ウルフ種という魔物を知らないアンコですらこのアイスウルフがひどい目にあっていることを理解していた。弱弱しい躍動、やせ細った体、汚い毛皮。それでも主のために戦うアイスウルフを、こともあろうに彼女に相対する女冒険者――シャノン――は囮にした。
アイスウルフがどういう経緯でシャノンの魔物になったのか、アンコには理解ができなければ想像もできない。だがアンコにとってアイスウルフの惨状は他人事ではなかった。
彼女の父ともいえるテンマによって瞬く間に王種へと至った彼女だが、その出自は孤独なものになることも十分にあり得た。生まれた瞬間に母を亡くし拠り所もない第2位階という弱弱しいアント。それが本来の彼女だったはずだ。
テンマがいなければそもそも生まれていない彼女だが、もしもテンマ以外の者の手によって生まれていたなら今のアイスウルフのような立ち位置にあってもおかしくない。親だと思い込んでいる存在が自分以外の魔物に信頼を注ぎ、日々を蔑まれ、酷い扱いを受け、囮にもされて、それでも自分が弱いから認めてもらえないのだと己を卑下して精一杯また尽くしては蔑まれる。
そんな地獄が己の身にあってもおかしい話ではなかった。
だからこそ、ボロボロで未だに気を失っているそのアイスウルフを敵でしかないと切り捨てることができなかった。
冒険者たちからひどい目にあわされるという憂き目にあっても後悔などしていなかった。
――お父さんは助けてくれないだろうな。
痛みに堪えながらも、だがまるで笑っているかのような声を心の中で発する。
強者こそが正義であるということをテンマが徹底していることはもちろんアンコも理解している。この敗北も単なる実力差により負けたわけではなく敵に対して感情を持ったせいで負けてしまったことを考えると、例え悲惨な目にあっているとしても『それが冒険者の権利だろう』と言って動かないだろうことはアンコにも簡単に予想できた。
このまま殺されることになるだろうと、拷問にも等しい苦痛を与えられながら諦めの境地にいた彼女だが冒険者の「この子を私の魔物にすればこれからは虐め放題」という言葉を理解して体を震わせた。
――今、なんと言ったの?
心の中で思った言葉であり念話として発してはいない言葉だが、これは本当に声が聞こえなかったというわけではなくどちらかといえばその言葉を信じたくない、嘘であってほしいという意味合いだろう。
だが。
「もう素材も取り切れないな」
「これだけ弱れば簡単に『魔物使役』を発動できるわ」
「……楽しみ」
口々に発される言葉がそれが冗談ではないということを意味しており、さすがのアンコも恐怖を覚える。
ゴブノスケというマスター、テンマという父でありボス。ラセツやゴブリンたちにダンジョンの子供たち。それらと共に戦うことができないという恐怖。そして何よりも「これからは虐め放題」だというあまりにも恐ろしい言葉による直感的な恐怖。そして何よりもこんな冒険者に使役されるという恐怖。
ひたすらに恐怖という感情がアンコを覆いつくしていく。
既に身じろぎぐらいしか出来ない彼女が、それでもなんとかアイスウルフと一緒に離れようとアイスウルフを押し出すように地を這うのだが当然、それは許されない。
身体をコーディに抑えられて、シャノンが「ふふ、すぐ済むわ」と体を寄せる。
――お父さん!
来るはずがないことを理解しているが、それでも叫ばずにはいられないその言葉に反応をしたものは目の前の彼ら。
「今の声は?」
「私ではないわよ、もちろんマドリンも違うわ?」
「うん……これから聞こえた」
そういって指をさす先は身をよじることすらも許されなくなったクィーンアントで、それはつまり――
「人語でコミュニケーションが取れる? ……さすが王種といったところか? 虫の分際で賢いじゃないか」
「うふふふ、これは素敵ね。私の魔物にするに相応しいわ。存分にこき使ってあげるわ」
「……いい声で鳴いてくれそう」
――冒険者たちにとって、より希少価値が高まるということ。
「大丈夫よ。『魔物使役』自体に痛みはないわ……その後に痛い目に合うかどうかは別だけれど」
何も大丈夫ではない言葉でにじり寄るシャノンたちがその手を伸ばした時だった。
――……。
アンコの胸に絶望が落ちる。
これは既にどうにもならない状況だからだ。
魔力が切れている。
身体は動かしようがない。
逃げることなど不可能。
もはや諦めるという選択肢以外に存在しない中、アンコもついにその選択を選ぶことになる。
――ごめんなさい。
それは誰に向けての言葉なのか。その念話が宙を舞い、そして――
「魔物しえ――」
「――待て」
――その念話は地に落ちることなく、彼の胸に届いた。
「誰だ、君は」
「なに、あなた」
「……魔族?」
――おとう……さん?
四者四様の反応を見せる中、無表情にテンマがそこにいた。
「そこのクィーンアントを連れていくことは我が許さん」
彼らの反応を一切気にせずに言われたそれに対して、冒険者たちの反応は鈍い。
「はぁ?」
「なにを言っているのかしら?」
「バカ?」
この反応はある種当然のものだ。
いきなり出てきた魔族の男が何故「許さん」などと言うのか。それをいきなり理解できる方が可笑しいといえるだろう。
「本来ならば貴様らをこの殺しても良いのだが我もまた部屋から出てきた身だ。今ならば逃げることも許可するぞ?」
「……」
そのあまりにも上から目線といえる言葉に冒険者たちがポカンと口を開けていた時間は数秒。意味を理解できた彼らが一斉に口を開いた。
「……ははっ! なんだ、こいつは。いきなり出てきて僕たちをバカにしているのか!?」
「どうせ、私たちの後をつけてきて漁夫の利でも狙っていた冒険者でしょう」
「翼もない、角もない魔族なだけで勇者の私たちを殺す?」
ここで冒険者たちはミスを犯した。
グリーンダンジョンに突如現れた、翼も角もない魔族というだけで彼らは気づくべきだった。
目の前の魔族、テンマがダンジョンボスだということに。
とはいえテンマがダンジョンボスであるということに気づいても彼らの反応はあまり変わらなかっただろうが。ともかく、彼らはテンマを全く歯牙にもかけずにお互いの顔を見合わせて頷いた。
「雑魚は放っておこう」
「……賛成」
「私は使役してしまうわ」
各々が行動を開始しようとして、テンマがもう一度口を開いた。
「最後通告だ。もしも貴様らがそれを行おうとしたとき、我は貴様らを殺す」
告げるのだが彼なりに何かが違うと感じたらしく「いや、殺すは違うか?」と首を傾げて、それからすぐに「うむ」と頷いた。
「貴様らがアンコへとした行為を貴様らにやり返したうえで……この世界から消す」
「……」
コーディたちは答えない。いや、無視を決め込んだ。
女冒険者――シャノン――がアンコへと手を伸ばした動きの意味をテンマは一瞬で理解。
――とにかく今は眠るが良い、アンコ。
その言葉をアンコにだけ届くように心で告げて、テンマは「そうか」と指から魔力を弾く。
「なにを!?」
「……殺そう、この魔族」
「やってくれたね……この糞雑魚が!」
いきり立つ3人の冒険者。
何が起こったかは簡単なこと。
テンマの魔力による指弾がアンコを貫き、絶命。シャノンの手が空を切り魔物使役に失敗することとなったのだ。
コーディが拳を構え、シャノンが鞭を手に持ち、マドリンが杖を構えて殺意をにじませる。コーディはまだ健在といえるがシャノンの頼みの綱の魔物は現在気を失っているアイスウルフのみ。マドリンに関してもほぼ魔力が半分も残っていない状態。それでも彼らは勇者と呼ばれる冒険者たちだ。並みの人物など簡単に殺せるという自負がある。それも3人がかりともなればその自信に拍車がかかるというものだ。
だが。
彼らはミスを犯した上に一つ、大きな勘違いをしていた。
テンマという男。
それは彼らが万全の状態であったとしても、束になって襲い掛かったとしても――
「やってくれた……だと?」
――テンマの足元にも及ばないという事実を。
テンマがコーディの言葉を反芻して、それから彼らを睨みつける。
「それはこちらのセリフだ」
一度、まるで己を落ち着かせるように大きく息を吐きだして。
叩きつけられたその言葉を、テンマはそのまま叩きつける。
「糞雑魚が」
殺意が。
魔力が。
20階層に罅を入れた。




