第41話「帰ってきた怒りエボリューション」
「がっかりしたぞ、オーガウォーリアー……いや、ラセツよ」
そのテンマの言葉に真っ先に反応をした方はゴブノスケだった。
「がっかりってなにさ!」
ただでさえ困惑している状況に、それをまるで理解していて突き放すかのようなテンマに対する言葉としてはごく自然なそれではあるのだが、テンマはそれを平然と無視してラセツへと言葉を投げる。
「アンコと同じ位階に至り善戦をするようになった程度で、もう満足か。マスターであるゴブノスケに名を与えられダンジョン魔物の中特別視された程度でもう貴様は満足したのか」
「……」
顔を上げつつも言葉を失ってしまったラセツへと凍てついた視線を向けて、テンマが小さい声で呟いた。
「貴様は今、ゴブノスケよりも弱いゴブノスケの守護者だ。なんとも情けないダンジョン魔物だな」
「な……俺はっ!」
その言葉を続けようとしてラセツは言葉を続けることが出来ない。
言いたいことはたくさんある。
そんなはずがない。満足しているわけがない。好き勝手言うな。
けれどそれはゴブノスケよりも弱いという事実に押しつぶされて言葉にならずに彼の胸へと消えていく。
「……」
何も言えずにグッと拳を握りしめたラセツの態度に、テンマはため息を吐いた。
「ならば、こんなことが起こっても貴様はそれで良いというのだな」
――こんなこと?
ゴブノスケとラセツが同時に首を傾げた時だった。
「っ゛!?」
ズドン、と。
まるで冗談のような音が響き、それを認識した時にはゴブノスケが吹き飛んで壁に叩きつけられていた。
「何しているんだ、ボス!?」
「さて、何をしているか。考えてみろ……ゴブノスケが死ぬ前に」
冷たい言葉と、それ以上に冷たい視線。
「うう」
ゴブノスケのうめき声が聞こえる。
すぐに立ち上がれないでいることがその一撃の威力の大きさを物語っているのだが、そんなゴブノスケへとテンマがゆっくりと歩み寄る。
「ぶるああああああああ!」
もはやそれは脊髄反射だった。ラセツが咆哮をあげテンマへと突進する。
ラセツとて第5位階。超一流とされる銀級冒険者ですら一人では太刀打ちできないとされるほどに強力な魔物だ。オーガだった時に比べて随分と力を増している。
一歩。
たった一歩でその距離を零へとしてそのままいつの間に手にしていたのか。龍石からなるその巨槌をテンマの頭上へと振り下ろした。
――捉えた!
そう錯覚するほどに必殺の間合いに「ふん」とテンマの息を漏れたかと思えば槌が砕けた。それもまるで飴細工のように粉々に。
「!」
驚きに声を失ったラセツだが、それでも彼の本能は止まらない。そのままテンマへの体当たりをしようとして「っ゛!?」
自身の体が半回転して、そのまま背中から床へと叩きつけられたことに気付いた。
「がはっ」
息が出来ない。
左足を蹴られた。しかも無造作に。ただそれだけで足元から掬われてしまった。左足も痺れておりほとんど動かない。
それでもどうにか立ち上がろうとする彼だったが、それを待っているほどにテンマは優しくはない。
「そんなにもゴブノスケが好きならば、ほら」
テンマの言葉と共にラセツの頭が掴まれて、そのまま先ほどのゴブノスケよろしく壁へとぶん投げられることとなった。
――くそ!
投げられた先には未だに動けずにいるゴブノスケの姿がある。
このまま激突してしまえばまたゴブノスケのダメージとなってしまうだろう。
何故?
何が起こっている?
といった思考へと及ばない。
どうやって目の前の巨悪を討ち滅ぼすか。
ラセツの思考はただひたすらにそれへと向けられる。
ならばこそ。
――動かない左足はいらない!
地面と平行に飛んでいる自分の体を止めるために、己の左足を本能のままに地面の床へと突き刺した。
「ぐ」
猛烈な痛みに顔をしかめるが、足一本が折れただけで態勢を立て直すことが出来たラセツはそれを無視して再度無事な右足を漕ぎ出してラセツへと迫る。
――マスターを守る!
決意を胸に灯し両の腕をもってテンマへと襲い掛かるがやはり無駄。
「それで?」
という言葉と共に懐へ潜られて腹に拳の一撃。完全に足を止められた。
――こんなところで!
くの字に折れて、顔の位置が下がったところにテンマの蹴りがラセツの側頭部を襲った。
「が」
視界が揺れる。自分が今立っているかどうかすらもわからない。そんな状況にあって「これで終わりというわけだ。貴様も、ゴブノスケも」というテンマの声だけは彼の耳に響き渡る。
「ゴブノスケが死ねば当然ゴブノスケは返ってこない。ダンジョンも消える。お前たちも消える。貴様らよりも強い存在がここにいて、それを忘れてゴブノスケの絆に満足して、その結果がこれで。満足したか?」
「そん、なはずが、な、い」
頭が揺れて流暢に会話することすらも難しい中で必死に答えるラセツをテンマは鼻で笑う。
「ゴブノスケは意識がもうろうとして、貴様も満足に立てない。これが結果だ。我が冒険者であれば既に貴様らの命はない」
「ぐ、るぅ」
――ふざ、けるな。
それを言おうにも未だに脳が揺れている。意識がはっきりしているにも関わらず足が全く動かない。
声にならない感情がラセツの唸り声となってテンマに触れる。
満足などしているものか。守るべきマスターよりも弱い自身などがあってたまるか。今までそのせいでどれだけの辛酸をマスターに味合わせてきたと思っている。
「理性を得て、知識を得て、絆を得て、貴様は強くなったが……今の貴様は弱いな」
今や第5位階のダンジョン魔物。銀級冒険者ですら一人では立ち向かえないほどの魔物へと進化を果たし、確かにラセツは強くなった。だが所詮それだけ。この世界には果てしない強者が無数にいる。
「どれだけ位階が上がろうと一度負ければ全てが終わる、全てを失う。今の貴様の、ネームドを経て進化を果たさなかった貴様のせいもあるかもしれない」
「ぐが」
――好き勝手に言いやがって!
こいつは何だ。
これは一体どういう状況だ。
なぜこんなことになった。
そもそもお前は何をしようとしている。
そんな疑問を全てひっくるめて吹き飛ばし、ラセツに残った言葉。
――殺してやる。
ふざけるな、ボスなんざ知るか。マスターをぶん殴った段階でこいつは敵だ。己が強いからと好き勝手に言うこいつは敵だ。マスターを守ることが出来る魔物は俺だけだ。こんなクソ野郎であってたまるか
脳内を圧倒的な怒りが駆け巡り、だからラセツは再度思う。
――殺す。
ラセツの中に殺意が芽生え始めたことを知ってか知らずか。テンマは良いことを思いついたかのように手を叩いた。
「我が冒険者であるとして、それならば冒険者らしくゴブノスケを甚振ることとするか。安心するが良い。ゴブノスケを殺してしまえば我も死ぬ。殺しはしない。腕を折り脚を折り、貴様が我に勝てるようになるまでそれを毎日と続けよう」
その言葉が、限界だった。
「ぶるぁあああああああああああああああ!!」
折れた脚など関係がない。揺れる視界など屁でもない。
今日一番の咆哮をあげたラセツが、テンマへと己の牙を突き立てようと襲い掛かった。
「ふむ」
顎を下から突き上げるように撃ち抜かれて、口が閉じる。その勢いの強さに牙が割れた。
――だからなんだ!
両腕を組み、それをテンマへと振り下ろす。
それを片手で受け止めて捻る。ラセツの腕が本来ならば曲がらない方向へと曲がった。
――マスターには触らせない!
もはや動く四肢は右足だけだ。一本の足で大地を蹴って体当たり。
今度こそ吹き飛ばしてやる。
その意識を込めた一撃は、だがやはり無駄。
テンマがため息を吐き、そして右胸を貫いた。
それで終わりだった。
――殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる。
もはや全ての武器を失ったラセツでは出来ることがない。それでもひたすらに憎しみを込めて、急速に失っていく力を右足にみなぎらせて立ち上がる。
――マスターを守る、俺が! 絶対に!
もはや想いだけで立ち上がり、それでも出来ることなどもうないラセツはその場で崩れ落ちた。
ゆっくりと消失していく自分の体を見て、彼の思考が真っ赤に染まった。
――何も出来ない、また。マスターが傷つく地獄の日々が始まる。
そんなことがあってたまるか。
「く、そ……くそ! くそ! くそ! くそ!」
まるで癇癪を起した子供のように声を上げるラセツをじっと眺めていたテンマが「うむ」と頷いた。
――何が『うむ』だ。
「マスターを甚振ることだけは許さない。絶対に明日には殺してやる。絶対に殺してやる!」
殺意と怒りのみで構成された言葉を受けたにも関わらず、テンマの返事は笑顔だった。
「なんなら今日でも構わんぞ?」
「は?」
――消失していく俺の体を見ていないのか!?
挑発と受け取り、怒りをさらに滲ませるラセツへとやはりテンマは笑顔を崩さずに「己の体を見よ」と告げた。
そして、その言葉でラセツも気づいた。
「……これ、は」
「よくやったぞ」
ラセツの体を光が包み込んでいた。
「これで貴様は第6位階へと至った」
その言葉で、全ての感情がラセツの中でストンと落ちた。
つまりこれは――
「――俺を進化させるために?」
「さて、な」
その一言こそが全てを表しており、ラセツは続ける言葉を失った。
光が強くなる。
「だが、もう一度だけ言っておく」
広がる光が視界を焼いて一室へと広がる。
「更なる力を得たければ戦え。貴様の根源を増幅させて叩きつけろ。ゴブノスケもラセツもアンコも……貴様らには素質がある」
――マスターはひたすらに優しいがボスの優しさは厳しいんだな。
熱に浮かされて朦朧とする意識の中。
ラセツはその言葉を胸へとしまいこむのだった。