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第36話「グリーンの強者たち」



 ゴブノスケが10階層でゴブリンやアントたちとの戦いの最中、新たな冒険者がグリーンダンジョンへと侵入していた。

 その冒険者はもちろんザッカス。


「?」


 本日で最終日ということもあって気合を入れてダンジョンへと入ったザッカスだが、その一歩目からして異常を感じていた。


 ――妙に静かだな。

 

 まるで誰もいないかのようにすら感じるダンジョン内の空気に、だがザッカスはそのまま足を進める。

 と、すぐにその妙な静けさの正体に気付いた。


「誰もいねぇ……何か起こってやがる?」


 1階層を歩き回り、誰もいないことを確認したザッカスの呟きに答える者はもちろんいない。ザッカスの声がダンジョンの中で微かに反響していく。耳が痛くなるほどの静けさにどことなく嫌な不安に襲われたザッカスが急ぎ足で2階層へと足を踏み入れるのだが、2階層もまた同様に誰もいない。

 先ほどから床に落ちているゴブリンたちのポップアイテムには目もくれずに、ザッカスは呟く。


「なんなんだ、こりゃあ。誰かが俺よりも先にダンジョンに入ったってことか? ……いや、ダンジョンには誰も入ってねぇはずだ」


 一応の可能性を考えて、だがすぐにその思考を否定した。

 ダンジョンに入るには近くにいるダンジョンの監視員たちへと手続きをする必要がある。その時の会話ではザッカス以外に誰かが入ったなどと言う情報はなかった。

 なら考えることのできる可能性としてザッカスに浮かぶ答えは一つ。


「また異変でも起きてやがるのか?」


 ザッカスの独り言は半分正解。といったところだろう。

 確かにゴブノスケの目覚めによってダンジョンのゴブリンたちの位階が上がるという異変は起きているが、この異変は即ちダンジョン魔物がいないということに直結するものではない。

 ゴブノスケがダンジョン攻略を進めた結果の産物だ。


 だがそんなことを知るはずがないザッカスは「せっかくの最終日だ。しっかりとダンジョンの異変とやらを確認させてもらおうじゃねぇか」と、やはりダンジョンに挑むことに楽しみを見出しているのだろう。

 舌なめずりをしてからどんどんと階層を降りていくのだったがそうして本当に何も起きないままに遂にたどり着いた10階層、そこで。

 

 ――おい、おいおいおい。流石に嘘だろ?


 遂に彼は見た。

 いや、見てしまった。

 叫び出しそうになった口を慌てて手で抑えて、どうにか沈黙を守ることに成功。


 ――なんだよ、あれ。


 青い顔になったザッカスはそれを再度、確認する。

 ザッカスが止まった場所は10階層のボス部屋手前の部屋に至るための廊下。そこから覗き込むようにして、まず目に入った者は彼も知っている魔族の男、テンマ。これに関してザッカスは驚くことではない。彼がこのダンジョンで待つとザッカスに告げていたからだ。

 なので、ザッカスが顔を青くさせた原因は彼ではなく他のモノ。


 ――ありゃオーガウォーリアー……あのでっけぇのはクィーンアント。それにあの金ぴかはゴブリンキングじゃねぇか?


 ごくりと唾を飲み込む。

 どれもこれも、ザッカスも実物ではなく資料でしか見たことがない魔物たちだ。

 オーガウォーリアーといえばオーガよりも位階が1つ高い第5位階の魔物。

 オーガの進化種らしく赤い肌と筋肉質な巨漢。今まではほぼ裸に近いような恰好であったオーガとは違い、両肩を守るための大袖と呼ばれる甲冑と腰回りには草摺と呼ばれる甲冑を身にまとい、その姿はどこか武士のような出で立ちに近くなっている。もちろん肩と腰回り以外は己の筋肉の身が露出しているため武士とはまだ少し変わってくるのだが、ともかく。

 大量の龍のうろこが含まれている龍石りゅうせきと呼ばれる非常に貴重な石。それを素材とした甲冑で身を守り、同じく龍石を素材とした大槌を武器として振り回し、その一撃で都市の防壁などを一撃で粉砕するともいわれる非常に危険な魔物で、これを見ただけでザッカスの足は若干震えている。


 さらにはアントの王種であるクィーンアント。

 下手をすれば貴族の館などよりも巨大なその体躯をもち、戦闘力もさることながら、脅威の繁殖力をもっていることから国の最優先討伐対象とされている非常に危険な魔物。

 オーガウォーリアーと同じく第5位階の魔物でもあるのだが、その甲殻や羽は軽さと丈夫さ、さらには美しさをも兼ね備えた非常にすぐれた材質ともされており、国内には非常に希少価値が高い代物として有名でもある。

 この2体がいるだけでもザッカスは若干泣きそうなほどの恐怖に見舞われているのだが最後に目に入った魔物、ゴブリンキングがいることに関しては、ただひたすら遠い目をして現実逃避をすることでどうにか意識を保っている状況となっている。


 ゴブリンの王種、ゴブリンキング。第6位階の魔物で即ち国が滅ぶ危険性すらあると言われほどの存在。とにかく金に包まれていると噂の通り、異常に目立つ格好をしているのだが、そんな見た目にとやかく言えるほどにザッカスには心の余裕がない。

 ザッカスはあと一度このダンジョンで死ぬか、テンマを殺すかをしなければならないことも忘れて本能のままに踵をかえそうとした時だった。

 テンマの視線が彼を捉えそれにつられて、オーガウォーリアー、クィーンアントに、ゴブリンキング。ザッカスにとっての恐怖たちが一斉にザッカスへと視線を送った。


 ――これは死んだな。


 もっと楽しくゴブリンたちと殺し合いをしたいと思っていたザッカスは完全に諦観の念を抱くのだが全員にザッカスが見られた状態からの第一声。テンマの言葉はゴブノスケへと送られた。


「ゴブノスケよ」

「うん?」

「奴の顔は覚えているか?」

「……うん、覚えているよ。僕がいない間にも来ていたの?」


 この言葉に驚いたのはもちろんザッカスだ。

 ゴブリンキングが自分を知っているという意味の分からない状況に青い顔を白くさせるのだが、この場で口を挟む勇気は流石に持っていなかった。黙って彼らの会話を聞き続けることを選択した。

 ちなみに彼らから逃げることを選択しなかった理由はもうそれが不可能だと理解しているから。

 資料でしか見たことがないほどの位階をもった恐るべきダンジョン魔物に、馬の脚にすら追いつく魔族。

 逃げることが無駄だと理解しているからだ。本人に聞けば呪いがあるから逃げなかったと青い顔で言いはるであろうが。


「うむ、一度来た。その時にゴブリンたちの目の色が変わっていたため、成長の機会だと考えてな。奴に呪いをかけた。で、一か月間奴はこのダンジョンで死に続けている」

「え? 呪い? 一か月間死に続けて……って?」


 ゴブノスケが流石に嘘でしょ? という顔をオーガウォーリアーへと向けるのだが、それが事実であることを示すようにオーガウォーリアーが頷いた。


「それはなかなか、うん。まさに因果応報って感じだね」


 若干引き気味のゴブノスケが目を閉じてザッカスへの記憶を掘り起こす。

 月に数回来ては嫌がらせのように来ては去っていく彼ら。そこで何度も甚振られた記憶が思い起こされる。流石のゴブノスケでもザッカスが受けている呪いを聞いても同情するまでには至らない。それと同等なことをされてきたとゴブノスケは感じているからだ。 

 少々思いにふけりそうになったゴブノスケを気に留めず、テンマの顔はまたザッカスへと向く。


「そういえば今日が最後の日だったか?」

「あ、ああ」


 頭を何度も上下に振るザッカスの言葉にテンマは「ふむ」と頷いてからまたゴブノスケへと。

「奴はあと一度死ねば自由になる身だが、今までの分も込めてゴブノスケ……貴様がやるか?」

「え?」

「どうせ貴様のことだ。さんざん貴様に対して虐げた奴ですらも大した憎悪はないのだろう?」

「な」


 この言葉を漏らした者はゴブノスケではなく、オーガウォーリアーの方。

 このダンジョンのアント種は元々ザッカスに対して何らかの恨みがあるわけでもないため関係のない話だとして、ゴブリンたちがこの一か月の間に何度もこのダンジョンで死んでいるザッカスに対しての怒りや憎しみなどの感情が薄れていっていることはオーガウォーリアーも知っている。彼自身も一度ザッカスを殺し、さらにはザッカスよりも圧倒的に強い力を得た余裕をもったことでザッカスそのものへの感情が薄れている。


 だが、それとザッカスがマスターであるゴブノスケにしたことはまた別のことだという想いがオーガウォーリアーにはある。特にゴブノスケはこれまでダンジョンで死にまくっていたザッカスを見ていない。これまでにされてきた所業を合わせても間違いなく、ザッカスに対しての負の感情が強いとオーガウォーリアーは思っていた。

 それを、テンマがそうではないのだろう? とゴブノスケへと問いを発したのだ。

 オーガウォーリアーが驚かないわけがなかった。そして――


「――まぁ、流石にいい感情は持ってないよ? でもまぁ一か月間ずっと死んでたって聞いちゃうとね」


 あはは、と少し乾いた笑いを零したゴブノスケに、オーガウォーリアーは目を閉じた。


 ――そうだった。

 

 マスターはこういう性格だった。

 そんなお人好しならぬ魔物好しなマスターだからこそレッドゴブリンだった頃から彼を守れるほどの強さを求めていた。

 密かに笑みを浮かべたオーガウォーリアーを置いておいて「それで、どうするのだ?」とテンマが言う。


「貴様が奴に大した感情をもっていないことはわかった。だが貴様なりのケジメはつけておきたいのではないか?」

「……」


 テンマの言葉にゴブノスケは少しだけ考えて、だが確かに「うん」と頷いたのだった。



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