第28話「グリーンダンジョンの異変」
「はぁ……くそが」
本日だけでも何度目となるかもわからない「くそ」という言葉を吐き捨てたザッカスは現在で5階層の最深部まで来ていた。彼の体力には限界が訪れているものの、既に目の前には6階層に通じる地下への階段がある。
彼の装備は鉄製の剣だったはずだが既にその手に握られているのはレッドゴブリンが手にしていた石の剣へと変化していた。何度も石の剣と打ち合うこととなったせいで剣の劣化が激しくなり使い物にならなくなってしまったからだ。
これはもちろん彼にとっての想定外。
「いつから1対1じゃなくても襲ってくるようになりやがったんだ」
1対1ならば慎重に進めば武器の損耗も抑えられるという彼の想定は5階層にたどり着いた段階で脆くも崩れ去ってしまっていた。
「6階層を踏破したら一休み入れるとするか」
なんといっても10階層には鬼門となるオーガがいる。それならば10階層に挑む時には万全な体力であった方が良い。
体力の配分を考えながら次の階層に進んでいくザッカスだったが、6階層に入った時、またザッカスの動きが止まった。
「お、おいおいおいおい……ふざけんなよ」
いつも通りの悪態だが、それを小声で吐く彼の冒険者としての性は流石といったところだろうか。
なにせ彼の目の前に広がっていた光景は1階層の時に彼が感じたそれと全く同じ予想外のもの。
第3位階のゴブリンハンマー、ゴブリンソードとゴブリンロッドがそれぞれ一体。そしてその横に唯一ザッカスが予想していた通りの第2位階のホワイトゴブリンが一体。とにかく慌てたザッカスはとりあえず元来た階段を上って第5階層へと戻り「あのくそ魔族が!」と大声で叫ぶ。
「どんなイカサマしやがった! 何が我を殺してみろだ! 調子に乗りやがって!」
岩の地面を何度も踏みつけて、テンマへの怒りを露にするザッカス。まさに地団太を踏むという行為。だがそれのおかげで怒りが収まったらしい。荒くなっていた息を整え、その場でせわしなく石を叩いていた足も落ち着きを見せる。
「……くそ、そういやオーガと戦う前はゴブリンハンマーがいやがったな。魔族とオーガに気を取られてすっかり忘れちまってた」
先ほどの光景から、つまり6階層以降は第3位階のゴブリンたちが主な相手となるということを察したザッカスはその場で床に座り込んで考えるように目を閉じた。
第3位階のゴブリンたちとの1対1ならばともかく1対多数となってしまえばザッカスには勝てない。そこを十分に理解しているからこそ思考を練る必要が彼にはあった。
――切り札は二つ。一つはオーガ用。もう一つは魔族用だ……どっちか一つでも使っちまうか?
彼がダンジョン攻略のために用意した切り札は、彼の思考通りに二つ。
一つは幻を見せると言われている魔術具で、子供だましに近いような幻ともいわれているが、知能や理性の低い魔物には効果がてきめんだともいわれている魔術具であり、こちらがオーガ用のもの。
そしてもう一つは単なる毒だが、第4位階の魔物すらも一滴で殺すと言われている強力な毒。これで隙だらけの言動をするテンマを殺すという算段をつけていた。
だが、このままではボス部屋にたどり着くことが出来ないことを悟ったザッカスはその計画を変更する。
「こうなっちまったらあのオーガは無視だ。このダンジョンならフロアボスってわけでもねぇだろうし」
その独り言は確かにその通り。
格が高いダンジョンならばフロアボス――その階層を通り抜けるために倒さなければならないダンジョン魔物――がいるものだが、このダンジョンはそういったボスがいるような格の高いダンジョンではない。むしろダンジョンの中でも最底辺のダンジョンだ。
現状でそれを設置出来ているわけもなく、ザッカスの言葉はまさに的中していた。
最終目標がテンマである以上、この際オーガを無視することを決意したザッカスは再度6階層へと降りながら魔術具を掲げて、発動。ザッカスの周囲に異質な空気が生まれて彼へとまとわりついていく。
階段を降り、目の前に6階層が広がるころにはザッカスの姿はうっすらとしか見えなくなっていた。
この魔術具は幻を見せるというよりも使用した本人の姿をくらませるといったものに近い。目を凝らせばうっすらと見えたりはする程度のものではあるため、使用している本人としてはなかなかに緊張感の高いものだろう。
目の前のゴブリンたちを睨みながらザッカスは気配を隠して歩き始める。
――通り抜けるぞ!
「げぎゃっ?」
「げっげーー!」
ゆっくりと足を進めていき、何やら楽しそうにしているゴブリンたちの横をすり抜けることに成功したザッカスは小さく息を吐き出した。
――……低能ゴブリンどもが。あばよ!
心の中でゴブリンたちを馬鹿にしながらも、いつの間にか浮かんでいた額の汗を拭う。
「よし、このまま進むぜ」
言葉の通り、ザッカスは慎重に歩みを進めていく。
途中で、魔術を使うゴブリンロッドや神術を使うゴブリンタリスがザッカスの方へと目を向けながら首を傾げるという危ない場面もあったが、それも何とか無事に通り抜けることが出来ていた。
ザッカスにとっての幸運はその時にゴブリンロッドやゴブリンタリスが複数固まっていなかったことだろう。もしもたまたま複数が固まっていたならば完全に怪しまれてばれていただろうが、丁度その時にはザッカスの揺らぎを気にしないような前衛型のゴブリンや第2位階の魔物しかいなかったため、それが露見することがなかった。
――くくく、もう少しで貴様を殺してやるぞ、くそ魔族!
そうして何度か危ない橋を渡り、無事に10層の手前、9層の最深部の部屋にまでたどり着いていたザッカスがニヤリと笑みを浮かべた。
彼にとって幸いなことに、この魔術具は当たりだったようでまだ効果時間はまだ続く。
上げそうになる笑い声をどうにか抑えて、ザッカスは意気揚々と10階層に進んでいくのだが、その10階層へと足を踏み入れたザッカスは更なるハプニングに見舞われることとなった。
「……うそ、だろ」
遂にお得意の暴言を忘れて、目の前の光景にただひたすらに呆然と呟く。
10階層、最初の一部屋。
ザッカスを出迎えた魔物はこれまで通りの第3位階のゴブリンたちが総勢4体。それと――
「――び、ビッグアント?」
――アンコが生み出した子供たちが4体。
計8体の魔物がその部屋に佇んでいた。
――どうなってやがる!?
ビッグアント自体はそこまで強い魔物ではない。アント種の中でもまだ生まれたてのアントともいえる魔物だ。だが、大事なことは強さではなくここがゴブリンしかいないダンジョンであるはずだということ。
流石に大声は挙げなかったものの半ば混乱してしまっているザッカスがその場から一歩も動けずにいるとビッグアントが一斉に顔を向けた。
――お、おいおい。これは……クソがっ!
魔術具はまだ生きている。その証拠にゴブリンたちは4体のビッグアントが一斉に同じ方向へと顔を固定していることに首を傾げていることからも判断できる。だが、ビッグアントはそもそも視界情報がゴブリンとは異なっており、今のザッカスが掲げている魔術具ではそれをだますことが出来ない。
そこまで詳しくはビッグアントの生態を知らないザッカスも、本能で自分がばれたことを悟り、すぐさま行動に移った。
石の剣を取り出し、ビッグアントへと剣を振るう。ビッグアントが脳天へと剣を突き刺されてそのまま消失。そして完全にゴブリンたちにばれることとなった。
足をかみつこうと口を開けた2体目のビッグアントへと石の剣を振り下したとほぼ同時。
ゴブリンソードが銅の剣をザッカスの肩へと振りおろし、ゴブリンハンマーが銅の槌をザッカスの横っ腹へと叩きつける。肩が半ばまで切り裂かれ、そのまま吹き飛ばされてしまったザッカスへとゴブリンタリスの雷撃が降り注いだ。
「う゛ぁ゛」
痛みと、恐怖と、死。
それらに苛まれながら、電撃でしびれて動けないザッカスの体は残り2体のビッグアントに食い散らかされたのだった。
こうしてザッカスのグリーンダンジョン攻略の一日目は失敗に終わることとなった。
もちろん、持ち込んだすべての装備はダンジョンに吸収されて。
ザッカスの地獄の一か月が始まる。
10層に眠る脅威は、オーガとテンマ。それからさらにもう一体がいることを、彼はまだまだ知る由もない。