第26話「ハラスメントはいつもどこでも嫌われる」
――聞きたいこと?
訝し気なアンコが首をひねるのだが、むしろ我としてはアンコがそのことに関して何も考えていないのかが気になる。
「今やお前はクィーンアントという立派な王種だ」
――……え? うん、ありがとう。
訝し気といった様子から徐々に気持ち悪いものを見る目になっている気がするが、おそらくは気のせいだろう。なにも気持ち悪いことを言おうとしているわけでもなければ変な事を言おうとしているわけでもないのだから。
やはりここは素直に聞いてしまう方が早い。
「……アンコは卵を産むのか?」
――……は?
む?
アンコの声の温度が低くなったような気がしたのだが……単純に聞こえなかっただけなのかもしれん。
「……アンコは卵を――」
――お父さんって……気持ち悪いね?
「……え?」
いや、待て。おおおお落ち着け。今なんと言われた?
きもちわ……いや、違う。我らは半日前に父子の絆を確認したばかりではないか。たった半日で娘からそんなことを言われることになるはずがない。
そんな我へとアンコが再度、追い打ちをかけるかのように念話を発する。
――お父さんって……そういう配慮ができないんだね。
配慮が……出来ない、だと?
封印される前からの記憶を掘り起こす……うむ、確かに配慮という文字は我の辞書からはほぼ消えかけている。
いや、だがなぜアント種が卵を産むかどうかを聞いただけできもちわ……配慮がないと言われなければならないのか。
――娘が卵を産むかどうかを気にするなんて……お父さんじゃなかったら蟻酸ぶっかけてたわよ?
さらっと攻撃的なことを言うアンコだが、何やら少し誤解されている気がするので弁明させてもらう。
「違うぞ? 我はあくまでもダンジョンボスとしてクィーンアントの生態が気になってだな」
――生態……ダンジョンボスとして?
我が嘘をつくことはないということは理解しているらしい。ダンジョンボスという我の言葉で、我をまるで敵と認識しているかのようなアンコの声が最初の訝し気なそれへと戻った。我自身でも意識していなかったほどの小さな息を吐き出して、言葉を続ける。
「クィーンアントは一日でそれこそ、このダンジョンのダンジョン魔物たちを覆いつくすほどに産卵することが出来ると聞いたことがある。他にも産卵するためには環境がある程度揃っている必要があるといった話や産卵数を調整することも可能だと……ただあくまでも我が知っている情報は500年以上前に伝聞で得ただけの情報だ。お前の口からクィーンアントとしての実態を聞いてダンジョンの強化につなげたかっただけだ。決してお前を嫌な気持ちにさせおうといった気持ちはないぞ?」
――あぁ、そういう話だったのね……だったら最初からそう言ってよ。いきなりで本当に軽蔑しそうになったわ。
呆れたように呟くアンコが頭を振って、こちらへと向き直るも我の返事は求めていなかったのか、そのまま先ほどの我の言葉へと言及を始めた。
――大体はお父さんの言う通りよ? 覆いつくすほど、は流石に言いすぎだけど女王として経験を積んでいるクィーンアントなら1000ぐらいなら出来るかも。なりたての私だと100が限界かもしれないわ。ちなみに孵化するまでは1週間弱ぐらいかしら。
「……なるほど。女王としての経験によって卵の数が変わり、わずか7日も満たぬ間に孵化するということか。その仲間を増やす行為は毎日出来るのか?」
卵を産むという言葉がそもそも良くない気配をアンコから感じたため、我なりに言動に配慮して聞いてみることとする。どうやらそれは間違いではなかったようで、今度のアンコは特に反応をせずに我に返事を。
――そうね、今みたいに戦闘をして魔力を使ってしまうと増やせる子の数はとても減ってしまうけど、体力も魔力もあって怪我も大したことがないなら子を増やすことは可能よ。このダンジョンの魔力は私にとっても心地が良いし、あとは静かで広くて一人になれる場所があれば……といったところかしら。
「静かで広い場所……仲間を増やす数の調整は可能なのか?」
――もちろん、それは私でも可能よ。むしろそうやって減らした方が魔力を込めやすいわけだし、強く生まれてくれることになると思うわ。
「もう一度聞くが、仲間を増やす行為は静かで広い場所があれば今の段階でも可能なのだな?」
――……? ええ、そうよ?
同じ内容を尋ねられて首を傾げるアンコだが、我にとってはそれほどまでに重要な情報だった。
アンコを外から連れてくる時から疑問に思っていた『ダンジョン魔物が自力で仲間を増やした場合に、それが可能なのか。可能であった場合それはダンジョン魔物として扱われるのか』という疑問が解決した。
アンコが可能というからには仲間を増やすことが出来るということ。そしてもう一つの、増えた魔物がどういう扱いになるかという疑問も既に我の中では解決している。外からアンコを連れてきた時にダンジョン魔物として扱われた段階で、同じことになるだろうという想定だ。
これで知りたかった大体の情報は聞けた。このダンジョンにおいて必要な環境は要するにあと一つの新たな部屋ということで、アンコは仲間を増やす行為をある程度自在に調整できる。
慣れれば1000体を可能と本人が言っているということはそういうことなんだろう。人族やゴブリン種など比較にならない程の繁殖力。500年以上前、クィーンアントが危険視されていた理由がわかるというものだ。
確認しておかなければならないことといえばあと一つ。
「その仲間を増やす行為の有無でお前の体調が変動するのか?」
――いえ、それはないわ。もちろん体力と魔力を消耗するんだから疲労はするけど、その行為があるかないかで何か私に変化があることはないわね。
「そうか……わかった」
それならば、と考えたところでアンコの頭が我の肩に摺り寄せられた。
「む?」
――心配してくれてる?
「……」
なんと答えるべきか。その言葉が浮かばずについ沈黙してしまったのだが、なぜかアンコにはそれで十分だったらしい。
――ふふ。
小さな笑みが我の脳内に響いた。
「それならば!」
少し気恥ずかしさを覚えて、それを振り払うべく声を大きめに張り上げる。
「今から環境を作るとしよう」
――……作れるの?
「お前の土魔法があれば、それもまた非常にたやすいことだろう」
ここは10階層の最奥の部屋。ボス部屋につながる唯一の部屋でもあり、オーガが居付いている部屋でもある。
――そうだけど、そもそもダンジョンって障壁が。
アンコの言葉を聞き流して、部屋の壁へと歩み寄る。
本来ならばボス部屋の隣にでもアンコの部屋を作るべきなのかもしれないが、彼女には実戦の経験も積んでもらわなければならない。この部屋からもう一部屋を作ればその配分をアンコの自由意思に任せることが出来る。
「部屋の大きさや、部屋と部屋を結ぶ廊下のサイズもお前に任せる」
――あの……だからね、お父さん。ダンジョンの壁って。
「うむ、任せるが良い」
魔力を込めた拳でダンジョンの障壁ごと、壁を殴りつける。障壁が割れて拳が外壁の中へとめり込むこととなった。
「さて、ここからはお前の方が今や早いだろう?」
――……。
アンコが、なぜか動かずに我と壁とを見やる。その動きの意図が読めずに見つめていると、それからゆっくりとこちらへと近寄ってため息を吐き出した。
――そうだった。お父さんって常識がなかったんだった。
呆れられるようなことは全くしていないにも関わらず、なかなかの悪態をついてくれる娘にさっさとやれという意味を込めて「アンコ?」と問いかける。
――はーい。
我の横から魔力を込めて、アンコが土魔術を発動した。
一気に広がる大きく深い通路。クィーンアントであるアンコが余裕をもって通れるように広げられているこの通路はこのダンジョンの通路には見合わない程に大きい。このダンジョンの他の通路もアンコが通れるようなサイズではあるのだが、それがギリギリだったことが彼女にとってはストレスだったのかもしれない。ゴブノスケが目覚めたら相談してみても良いだろう。
通路を広げて、今度は何度かに土魔術を発動して、巨大な部屋を作るべく空間を生み出していく。それが何度か続いた後、大した時間がかかることもなくこのダンジョンでは最も巨大といえる部屋がそこに存在することとなった。
――出来たわ。
「うむ、見事だ」
アンコの言葉が終わるとほぼ同時。
ダンジョン障壁もこの部屋を認めたのか、新たに作られた通路から障壁が外壁を伝ってこの部屋を覆っていく。
ほぅ。
相変わらずの神のシステムの柔軟性には舌を巻いてしまう。おそらくはアンコが仲間を増やすための行為を行いやすい空間となっているこの部屋を障壁が覆っていく様子をなんとなしに眺めながら、胸を張っているアンコへと言う。
「仲間を増やすか増やさないかはお前に任せる」
――……え? いいの?
「不殺ダンジョンである以上、死ぬ可能性はないがお前の子となる者たちだ。しっかりと計画性をもってくれれば良いだろう……少なくともダンジョンマスターであるゴブノスケが目覚めるまでの間だが」
――わかった……それならちょっと試してみたいことがあるの。
「……試してみたいこと?」
――うん。
思わぬアンコからの言葉に、我は目を丸くした。
それから約一週間後。
テンマが待ち望む冒険者が彼の呪縛により、グリーンダンジョンへと到着する。




