第23話「元魔王の娘」
一日で2度目の進化という、テンマが生きてきた中でも見たことない光景。それに言葉を失っているテンマへと、プリンセスアントは言う。
――まだよ、パパ。だって私、まだお父さんの娘になれていないもの。
その言葉で、ハッとした様子を見せるテンマ。
何がまだなのか。
それの言葉の意味を、テンマは瞬時に理解した。
『ネームド』
強い絆を必要とし、お互いの関係をさらに強くすることで名を与えられた側が強大な力を得る行い。プリンセスアントはそれをテンマへと求めている。
「……良いのか?」
――それが良いの。
「いや、お前はここでネームドを行うことの意味を深くは理解できていない」
――ネームドの意味を深く理解てきない?
尋ねるプリンセスアントに、テンマが頷いた。
プリンセスアントが進化する前の会話で、最後に不足していた魔力を与えただけだと、確かにテンマは伝えていた。
ほぼ刷り込みに近い形で父子であることを受け入れたテンマだが、今この状況でのネームドは父子としてのネームドとなると確信していた。つまり、二人は本当の父子としての関係を手に入れるということになるのだ。
それを理解できていないという意味のテンマの言葉に、彼女は首を傾げた後に、じっとテンマを見つめる。
――理解しているよ? ここで、このタイミングで、今私がパパとこうやって会話している関係でネームドを行うことの意味は……もちろん理解しているよ
? ……だって私も王種の端くれだもの。
つい先日は念話の中ですら舌足らずだったはずが、今ではもう流暢な会話を繰り広げるようになったプリンセスアントの成長具合にテンマがそっと遠い目を浮かべるのだが、この状況にふさわしくないその感傷に浸る時間は一瞬だけ。
念話からの口ぶりに、本当に意味を理解していることを察したテンマは「ならば」と問いかける。
「……お前は既に知っただろう? 我とお前が本当の父子ではないということを。それでもお前は我との父子を望むということか?」
――私とパパが本当の親子じゃないってことぐらい知ってたよ……ダンジョンに着いた時から気づいてた。
「……なに?」
声色には出さずとも、心底から驚いた表情を浮かべたテンマを見ていた彼女が楽しそうに羽を震わせる。
――ふふ。幼い私だってそれぐらいわかるよ。見た目も全然違うし。
「だ、だが――」
――だって、それでもパパはパパを受け入れてくれた。私は一人じゃないって、ダンジョンの仲間もいるって教えてくれた。今日だってダンジョンのことが気になるだろうにここまで連れてきてくれて、ママのこともちゃんと教えてくれた。
テンマは彼女にとっての優しい父。
既にかけがえのない存在だ。
「む」
――そんなパパを本当のパパと思って、私はここまで成長できたのよ?
生まれたてで不安だった彼女を受け入れてくれた父。
――パパから名前で呼んでもらいたいって思っちゃダメ?
誰もいない大きなコロニー。たった一人と一体の会話が滔々と続く。
静かに響く父子の会話を後押しするかのような風が吹き。それが洞窟となっているコロニーに響く。
母が棲んでいたコロニーがまるで背中を押してくれているかのように彼女は感じ、それを力に変えてテンマへの最後の想いを紡ぐ
――私が娘じゃ……ダメ?
アント種がまるで蚊が鳴くかのような微かな声を震わせて、テンマへと頭を寄せる。
膝元から始まった頭は今はもう胸に刺さるほどの高い位置にまで成長した。
そんな彼女の頭へとテンマは手を伸ばし、そして撫でる。
「お前は我の娘だ。それは他の誰でもない、我が決めたことだ」
――……それって?
「お前が覚悟を決めているのであれば我に断る言葉はない。意思を聞きたかっただけだ……最後まで言わせて、不安にさせて、すまなかったな」
なぜかそっぽを向いている父親にプリンセスアントがさらに頭を寄せる。
――うんっ!
一組の父子がまるで抱き合うかのように体を寄せる。風の反響は既に止まっていた。そうして、いつ終わるとも知れぬままに抱き合っている父子の時間は唐突に終わる。
「我も一つ、試してみたいことがある」
――試してみたいこと?
「うむ」
体を離したテンマの表情は既に好奇に彩られたそれへと変化しており、あまりの変わりように少しばかり恐怖を覚えたプリンセスアントが後じさりをする。
「普通ネームドという行いは魔力を受け取った側が眠ることでその魔力を己へと定着させることは理解できているか?」
――うん。なんとなくだけどわかるよ。
「それならば既に我の魔力が生まれる段階で染みついているお前に新たな魔力を与えた時どうなるのか?」
――どうなるって……普通にそれに馴染むまで眠るんじゃないの?
何を当たり前のことに目をキラキラさせているの? とでも言いたげなプリンセスアントの言葉を、テンマは全力で「いや! そうは思わぬ!」となぜか興奮気味に声を張り上げた。
――え?
「我の予想はズバリ眠らない、だ。元々我の魔力があるのだ、それと新たな魔力が絡みついて一気に定着すると我は見ている。その定着作業はもちろんお前の位階が上がることで果たされることになる。つまり、一瞬で定着するということだ」
――えぇ? 本当に? そうかなぁ。
自信をみなぎらせたテンマの言葉だが、あまりにも根拠がないため信じ切ることが出来ないでいる娘の言葉を聞いているのかいないのか。テンマは「ではやるぞ」と再度プリンセスアントの頭へと手を置いた。
先ほどまで楽しそうだったテンマが一転して真面目な表情になったことに驚きつつも、彼女もまた心の準備はできていたためすぐさまにそれを受け入れる。
「お前に我からの『名』を授けよう」
――私を娘にしてくれて、ありがとう。
テンマの手からプリンセスアントへと魔力が流れていく。ゆっくりと流れ込むその熱に徐々にうなされていくプリンセスアント。彼女の熱が痛みへと変わり、その痛みから意識を朦朧とさせたその時、テンマの感性がうなりを上げた。
「我が娘よ……お前の名はアンコだ」
――アン……コ。う、うーん。
徐々に声が小さくなり、そのままその場で眠りに入ったプリンセスアント。
「むぅ、反応が良くなかったな。500年で名前のセンスが変化でもしたか? ……いや、今のはおそらくセンスが良すぎることで感動しすぎて声を失ってしまった方に違いない」
動かなくなったプリンセスアントを尻目にテンマは顎に手を置いてうんうんと何度も頷くのだが、その頷きはプリンセスアントが光り始めたことですぐに中断された。
「ふむ、やはり我の予想通りといったところか」
ありえない速さでの進化。
プリンセスアントの位階は第4位階。ハイゴブリンやオーガと同じ位階ではあるものの、その魔力は桁違いに多い。魔力量が多ければ多いほどに時間がかかってしまう魔力の定着は、つまりハイゴブリンよりも時間がかかるはずのものだ。それがたったの数秒で終わり、テンマの目の前にその姿を現そうとしていた。
そうして光が収まった時、テンマの目の前にはクィーンアントがそこに佇んでいた。
大きい。その姿はまずはその一言に尽きるだろう。
テンマの背丈よりも大きい頭。貴族の屋敷などよりも大きいであろう体長。青く薄く光っていた羽はどうか高貴さを漂わせ、七色に薄く光る巨大な羽へと変化し、唯一の相変わらずと言っても良い黒い甲殻は今まで以上に艶やかさを兼ね備えている。
――本当にお父さんの言う通りになったわね。
「うむ、我の想定通りだな」
父子がじっと見つめあい、それから唐突に娘が踵をかえす。
――ダンジョンに戻ろっか、お父さん。
「そうだな」
――はぁ……アンコか。
「良い名前だろう?」
――……。
「あ、アンコ? どうした? ……アンコ? お、おい?」
答えない娘に、テンマが若干狼狽えながらもその横について歩き出すのだった。