第22話「女王の系譜」
シアアントから進化を果たしたプリステスアントが首を傾げて周囲を見回す。
――なんだ?
何かを気にしているかのような動作に、我も同じように首を傾げて見ていると今度は壁沿いを歩きだす。未だに出来ていなかったダンジョン魔物を紹介しつつのダンジョンの散歩を、進化を果たしたプリステスアントと共にしようと思っていたのだが、まだ彼女には何かやりたいことがあるのかもしれない。
「何をしている?」
尋ねると返ってきた答えは随分と素っ気のないものだった。
――ちょっと、待って。
「……そうか」
かつてない淡白な念話に、よくわからない気持ちが胸に刺さる。これは一体何の気持ちか、遠い昔にどこかに置き忘れたかのような感覚があって背筋がむず痒くもなる。
やはりダンジョンの散歩はまた今度にしようと決めた時、いつの間にか壁際で動きを止めていたプリステスアントがこちらへと向き直っていた。
――パパ。
「む?」
声をかけられたのだが次の言葉に、返す言葉が止まった。
――ママに、会いたい。
「む」
プリステスアントの母であるクィーンアントは既にこの世にいない。プリステスアントを孵化させるときに全ての生命を彼女へと注ぎ込んだからだ。
だから、もう会うことはできない。
そう口にしようとしたのだが、それに気づいたのか。プリステスアントが首を横に振る。
――違う。もう、動かないママに、会いたい。私、ママに、出来ていないことが、あるの。やって、あげたい。
「……?」
動かないママに会いたい?
わざわざ動かないという言葉を付けたということはクィーンアントが死んでしまっているということは理解しているということだ。
……彼女がダンジョンに来た初日にその会話をしたのだから当然といえば当然のこともであるが、ならば何があるのか? 墓参りという人族や魔族が行うアレのことか?
少々考えて、だがアント種のことはあまり知らないということも思い出した。土を食べようとして時のようにアント種特有の行いが何かあるのかもしれない。
ならば連れて行った方がいいだろう。
だがまだ問題点も残っている。
「それは構わんが、既に遺骸もない可能性もあるぞ?」
クィーンアントの遺骸をそのままにしてもう何日も経過している。我の魔力の残滓が残っていればまだ荒らされていることはないだろうが、残滓が消えてしまっていれば、もしくは我の魔力の残滓程度では気にならないような魔物がいれば随分と荒らされていることだろう。そうなるとクィーンアントの遺骸もおそらくは残っていないことになる。
――……その時は、その時。
なるほど、覚悟はあり、か。
「ならばよかろう」
――ありがとう、パパ!
本当に嬉しそうな声色。
それだけでも叶える価値があるのかもしれない。
我がクィーンアントへと会いに行くために掘った壁――丁度プリステスアントが立っている場所の壁――に手を当てて、少しだけ笑ってしまう。これだけ何度も障壁を破り続けていると、そろそろ神が作ったこの障壁に対して哀れな気も芽生えてくる。
……とはいえこのシステムそのものはシステム以外の何物でないのだからその気持ちは無用なものでしかないのだが。
というわけで気にせずに破壊する。
以前にシアアントが土を食べたがった時のような調整は不要。むしろ、一度崩落した道を壁ごと撃ちぬいて道を再度あけてしまった方が便利なため、少しばかり拳に魔力を込める。
「少し、下がっていろ?」
そう言って下がらせてから無造作に拳を振りかぶり壁へと突き入れた。
まず、障壁が割れて拳が壁に突き刺さる。そこからまた手にためた魔力を開放。崩落したせいで塞がってしまっている道を復活させるために、手のひらから魔力波を放つ。
目の前の壁が消失して、暗く長い道が口を開けた。そのまま魔力波を放った手をすかさず壁に当て、魔力を流して道が崩れないように固定する。
「む、込める魔力少なすぎたか」
威力を込めすぎるよりは少ない方が良いと判断したのだが、それが失敗だったらしい。魔力波で道を塞いでいた土砂を吹き飛ばしたはいいものの、感触的にはクィーンアントが眠るコロニーまではまだ少しの距離がおそらくは残っているだろう。
――……え?
プリステスアントが我と道とを交互に見る。
「……どうかしたか?」
――……え? あ……なんでも、ない……です。
なぜ今更敬語が出るのか少し気にはなったが、あまり時間をかけている場合でもない。
「急ぐぞ、おそらく一日はかかってしまう。遺骸を見つけたいのであれば一刻を争う」
ただでさえ急がなければならないことに加えて我はダンジョンボスでもある。このダンジョンに侵入者があった場合、すぐに戻らなければならない。
例の冒険者たちから我らのダンジョンの情報が流れ出しているとしても、冒険者が多数流れてくるまではまだ時間があるだろう。それ故にあまり心配する必要はないことだが、それでも流れ者の冒険者が入ってくる可能性も零ではない。そうなればもちろん戻らなければならないわけで、だからこそ我らは急ぐ必要がある。
我の言葉でプリステスアントが大きく頷いた。
――そうだね、うん、急ごう! パパ!
「うむ」
プリステスアントが先を進む。
それについていくように、我もまた道を踏み出した。
ダンジョンの外に出ても会話が出来るということに我もプリステスアントも違和感を覚えることはなかった。
テンマが道を作り、一人と一体が歩き出して約一日。
テンマの魔力波は全体の道のりの3分の2ほどの道を作り出していたため、そこまではスムーズに進んだ彼ら。だが、そこから先からはテンマが魔力を宿した手で、プリステンアントは土を食べることで急ピッチで掘り進めていたのだが、それらがついに実を結んだ。
――うん……そう、そうだった。ここで生まれて……ここでママを、見たんだった。
念話で呟くプリステスアントの横で、テンマが黙ったまま頷いた。
彼らの視線の先には、奇跡ともいえるだろうか、プリステスアントの亡骸がそこで眠っていた。
――こんなに、食べられてて、可哀そう、ごめんね、ママ。
プリステスアントの念話の通り、クィーンアントの亡骸はボロボロだった。
羽がない。足もない。腹も食い破られている。
だからこそ呟かれた彼女の念話に「それは違う」とプリステスアントに対しては珍しく強い口調でテンマが呟いた。
――……パパ?
「少なくともこの姿は可哀そうなそれではないぞ?」
――で、でも。こんなにも、他の魔物に、食べられてて――
狼狽える彼女の頭を、テンマがいつものように、そして落ち着かせるように優しく撫でる。
「――そこが違うぞ、プリステスアントよ。その姿は誰かに喰われたものではない。我が見た時の尊く、立派な姿そのものだ。生まれたばかりのお前も見たはずだが、流石にその姿までは記憶に残っていないか」
――え? うん……ママを見た、記憶はあるの。でも、どういう姿だったかは、覚えてない。
「そうか、これがその母の姿だ」
――どうして、この姿が、立派なの?
そのプリステスアントの尤もな言葉に、ソーマが「うむ」と頷く。
「……何が起こったかをすべて見たわけではないが、我が推測も含めて話そうではないか」
――お願い。
「おそらくだが、お前の母は外敵と戦い敗れたことで死ぬ寸前にあった。力も魔力もほとんど残っておらず、卵もおそらくは、孵化が最も遅かったお前の卵のみが残っているだけだった。このコロニーのアント種が唯一この世に残る可能性がった魔物が、まだ生まれてもいないお前だ。
だからこそクィーンアントはお前を残そうと必死になって魔力を振り絞ったのだ。己の羽を喰い、足を喰い、少しでも魔力の足しにした……それを行ったからといってお前が孵化するという保証はない、いやおそらくはお前の母も気づいていただろう。それではお前は孵化できないと。それでも僅かな可能性にお前の母は縋ったのだ」
一息をついたテンマがクィーンアントの頭近辺を歩きながら足元へと首を巡らせる。すぐにそれは見つかったのか、落ちていたものを拾い上げ、プリステスアントの目の前に置いた。
――……それは?
「お前の母の核だ」
――……どうして、そんな大切なものが、そんなところに?
「それもお前を孵化させるためにお前の母が自ら腹を食い破って摘出したものだ。お前の卵の付近に置くことで少しでも魔力の足しにしたかったのだろう。我がここへとたどり着き、目にした光景は丁度腹を食い破ったところだった。流石の我も状況を理解するまでに時間がかかったぞ?」
――……パパでも、助けられなかったの?
「うむ、我は止血程度なら出来るが治療は出来ん。それに、我が見た時はもう手遅れだった」
――……そっか。そうだよ、ね
クィーンアントの亡骸が立派であるという話の理由。それから少しずれてしまった話を、テンマが言葉を続けることで元に戻す。
「それだけお前の母が命を懸けてもお前は生まれそうになかった。だから我が魔力をこの一帯に張り巡らせたことで、魔力不足だけが原因で孵化できなかったお前が孵化した。
……お前に孵化してほしいからというただその一念で己の肉体を喰った。痛みに耐え、死を覚悟して、それでもなお我が子が生まれることを願い、散った母の姿がそこの遺骸そのままにある……お前の母のその姿は尊く、そして立派だろう?」
――……うん……うん!
頭をぶんぶんと上下させるプリステスアントの姿を見て、テンマが目を閉じて黙り込む。まるでもう話す時間は終わったというような態度を見て、シアアントは己がやりたかったことを思い出した。
本来ならばクィーンアントの世代交代の時に行われる儀式。
シアアントでは感じることのできなかい、位階が上がった今だからこそ直感で理解したことだ。
それはプリステスアントが女王種へと至るための第一歩。アント種の本能のそれ。
今の話を聞いた彼女は、だからこそという想いを持って、もう動くことのない亡骸の前で足を止めた。
彼女の体など比肩しえない程に大きなその姿。彼女の体高よりも大きな頭。誰かの住居かと思えるほどの大きな体。
それを前にして、プリステスアントは祈るようにそっと呟く。
――ママ、遅くなって、心配をかけて、ごめんなさい。
彼女の体高よりも大きな泥にまみれた頭へと、彼女はかぶりついた。
――生んでくれて、ありがとう。
咀嚼し、飲み込む。
――守ってくれて、ありがとう。
咀嚼し、飲み込む。
――パパに、会わせてくれて、ありがとう。
咀嚼し、飲み込む。
――立派に、なるから……ママを食べて、女王になって、強くなって、この世界を、楽しむから。
咀嚼し飲み込んだ。
一体その小さな身体のどこにクィーンアントの巨大な亡骸が入っていくのか。
まるで冗談のように己の体へと溶けていく母の体を食べつくしたプリステスアントは最後に足元にあった核を飲み込んだ。
「な……に?」
明らかに狼狽した声を漏らした人物は、もちろん唯一この場に佇んでいたテンマ。
――だから……安らかに眠ってね、ママ。
あれだけの常識外れの強さを持つ彼女の父の本日2度目の姿。
それが嬉しく、プリステスアントは心の中で笑い声をあげる。
彼女から放たれる、本日で2度目となる光。
光が収まり、テンマの前に大きな姿が現れる。
テンマの腰付近の高さだった体高が、遂にはテンマの胸元付近にまで大きくなり、体長でいえばオーガよりも大きいのかもしれない。青みがかっていた大きな羽はさらに大きくなり、微かな光を纏っている。艶があった黒い甲殻はより硬く、よりしなやかに。
「プリンセスアント」
テンマの小さな声が今は主を失ったクィーンアントのコロニーで、どこか大きく響いた。




