第19話「シアアント」
「……目、覚めた?」
マリーの声にヴァレンスが目を覚ます。毛布に身をくるみ、眉をハの時に寄せている彼女の表情に理解が追いつかず、ゆっくりと上半身を起こした。
「……」
何が起きているかを理解できずに周囲を見回す。
何もない平原が広がっており、穏やかな風が草木が微かに揺らせ、そのついでのようにヴァレンスの頬をなでて去っていく。
陽はゆっくりと傾いており、徐々に薄暗くなり始めているところだった。
「ああ」
そこでヴァレンスは思い出す。顔を上げ、また地面へと倒れ込んでから大きく息を吐いた。
「あれは強すぎるな」
「……そうね」
「俺はまだまだ弱いんだな」
「……そう、ね」
「くそ」
目を腕で覆い、小さく息を吐くヴァレンスにマリーはかける言葉が見当たらない。
ヴァレンスもマリーも若くして銀級冒険者へと上り詰めた凡人の天才だが、彼らには強くならなければならない理由がある。
「なぁ、マリー?」
「ん?」
「俺、絶対強くなる。あの魔族の男……テンマっていう名前らしいんだけど、そいつが言ってた。死ぬことの覚悟への価値観。あれはきっと俺たちを強くする言葉だ」
「……ええ」
思い当たる節があったのか、マリーが神妙な面持ちで頷く。
「俺たちはこれからも強くなる。スザンナもイブラもまだまだ発展途上だ。当然、俺たちだって」
「私も、そう思う」
ヴァレンスとマリーがお互いの顔を見合わせて頷きあう。微笑みあう二人の視線をヴァレンスが外して、起こしていた上半身を再び寝転がせる。
「あー、くそ!」
悔し気に、だがどこか満足げに笑うヴァレンスが大きな声を張り上げる。
「次はせめて名前だけでも覚えさせてやる!」
その叫びを聞きつけたらしい。
「ヴァレンス目覚めたー?」
「ほんとにあんたは無茶するわね!」
マイペースなイブラと勝気なスザンナが心配そうな顔をしながら現れる。
ヴァレンスたちはまだ20歳前後の冒険者で構成されている。
彼らの道ははまだ半ば。
「ふむ」
冒険者たちを退けてその翌日。
珍しく我の近くへと寄るわけでもなく、部屋の角で床を見つめているシアアントを見てふと気がついた。
「シアアントよ……まさか土を掘りたいのか?」
――……え?
首をかしげて、というよりも頭を傾げてこちらへと向き直る。アント種の魔物の表情はわからないが、期待が含まれているような視線に思わず笑ってしまいそうになりつつも、それを堪えて浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「なぜ掘らないのだ? お前が我の娘ならばその程度を気にする必要はあるまい?」
――ほれないの。
……掘れない?
意味が分からず首を傾げながらもシアアントの位置へ移動する。シアアントが見つめていた床へと手を置いてから気づいた。
「なるほど……障壁があるな」
今まで意識していなかったが、当たり前といえば当たり前だった。
ゴブノスケには不可能だったであろうが、ある程度の強者がダンジョンマスターだった場合にはダンジョンを自力で掘ることも可能となる。ダンジョンにはこのダンジョンのように地下へ降りていくダンジョンもあれば地上から空へと昇っていくダンジョンもあるらしい。
そうなればダンジョンという神の遊びのようなシステムの中、ダンジョンマスターによっては有利不利の差が出てしまうということになる。それを神は嫌ったのだろう。
我としては運も実力の内……という気もするのだが、我の感性は今は別にどうでも良い。
大事なことは今、目の前に障壁があるということだけだ。
床に置いてある手に魔力を込めつつ、腕を引く。そこから拳を作り、床へと振り下ろす。
何かが割れるような音が響く。それがつまり障壁が割れてしまった音だ。床の地面には傷がついてもいないことに関しては我の絶妙な力配分に寄るものだ。この場に我が行ったことを理解する物がいれば称賛の嵐だっただろう……意味もない妄想だが。
――ここのつち、たべていいの?
「うむ、構わんだろう」
シアアントの本能といったところだろうか。土を食べながら魔力を高めて、巣を作る。確かそういった話を聞いたことがある。
「む?」
……となると?
「シアアントよ」
――なに、ぱぱ?
我が障壁を破った箇所の土を食べ進みながらのシアアントの念話が胸へと響く。
「お前は土を食べることで成長できるのか?」
――えっとね。よくわかんない。
「そう、か」
それはそうだ。シアアントの答えで自身の質問の阿呆加減に気づく。
シアアントはまだ生まれて数日の幼子。しかも同族が周囲にいないという状況だ。己の性を言語化しろという方が無茶だろう。仕方がないことだと諦めようとした時。
――でも
と、シアアントからの念話が送られた。
「む?」
――食べた土に、土の記憶が微かに残っていて美味しい……気がする。
土に……記憶? それを食べると美味しい?
土の記憶と魔力を食しているのか?
「ふむ」
これはもしかしたらシアアント……特に幼体は土を食べることこそが経験につながる、ということではないだろうか。土にはそれこそ我が封印されてから以上の深い歴史がある。それらを食べることが小さな経験にでもなるのであれば、無理にダンジョン魔物同士で戦わせて経験値を得させるよりも良いのかもしれない。
「なるほど」
やはり生物は各種族で奥が深いものだと、誰に言うわけでもなく納得する。
チラリとシアアントへ視線を送ると、ゆっくりとではあるが非常に嬉しそうに土を食べている姿が映る。
この地面の障壁が修復しないように、後で固定でもしておくか。
少し……いや、随分と。
ダンジョンの未来がさらに楽しみになってきた。
オーガへの進化。娘のシアアントの成長。
未だに眠っているゴブノスケへと視線を送る。
少しずつ我の魔力が定着してきており、ゴブノスケの魔力が高まっていることが感じられた。これはつまりゴブノスケの目覚めが少しずつ近づいているということ。
「貴様が起きるころに、ダンジョンがどうなっているのか」
返事がないことを知りながらも声をかけてしまう。
今行っていること以上のダンジョンの強化は、ダンジョンマスターではない我には出来ない。さらに、これ以上、外から魔物を連れてくることもするつもりはない。特に引き入れたい魔物もいないからだ。
そろそろあまり出来ることがなくなってきている。
ゴブノスケが目覚める日が楽しみだ。




