第1話「魔王の復活」
暗い。
暗い世界の中。
溟龍と称されたドラゴンと戦うために深海にまで潜り込んだ時のような感覚だろうか。
あの時と違うのは体がいうことを聞かず、意識もどこか朦朧としている。常にまどろみの世界にいるかのように、そんなぼんやりとした世界。
封印されたわりには心地のよさが流れる世界にて、下手に地上で生きているよりも良いかもしれんと考えていた時だった。
「?」
一筋の光が視界に入った。
「む?」
声が出た。
「何が起こっている?」
光が徐々に広がり、それと共に体の自由が効くようになってきた。
「……これは、封印が解けるのか?」
声には出してみたが、そうとしか考えられん事態だ。
「……ふむ」
光がさらに広がり、我を包み込み始める。
本音を言えば封印の中でまどろんでいたかったが、どうしようもないのでこれは受け入れるしかない。
我を厭っていた神たちが封印をわざわざ解くとは思えない。ということはあの勇者たちの封印術を破る存在が現れたということになる。勇者たち相応の実力者がいるということだ。
それとの戦いが出来るかもしれないことは楽しみでもある。
「む」
そうこうしている内に光が全身を包み、瞬きをした瞬間には景色が一変していた。
「……」
どうやら我は仰向けに寝ていたらしい。
まず視界に映ったのは石造りの天井。一瞬だけ魔王城かを疑ったがそもそもあそこは勇者たちとの戦いで吹き飛び存在していないはずだということを思い出す。
頭の先から足のつま先まで、ゆっくりと我の体を血と魔力が循環して、神経が呼応して肉が連動していく。
「まるでゴーレムだな」
徐々に取り戻されていく感覚が、起動したてのゴーレムを連想して自身のことながらに軽く笑ってしまう。
とはいえ眠っていたわけでもなく、仮死していたわけでもない。封印されて時を止められていただけだ。すぐに感覚は戻るだろう。
「さて」
ゆっくりと上半身を起こし、立ち上がる。立ち上がるついでに自身の姿を確認。
どうやら封印された時のままの恰好のようだった。
始祖のヴァンパイアに献上された紅のマントは勇者たちとの戦闘で穴だらけ。カラミティスパイダーの糸から生成された漆黒の衣服には上下ともども血が染みついている。フェニックスの再生時に生まれる灰から作られたブーツもボロボロでくすんでしまっている。
あまりにも敗者にはお似合いの恰好でついつい更なる笑みを浮かべてしまう。
勇者たちとの血沸き肉躍る戦いを思い出してしまいそうになるが、まずは我の封印を解除した猛者との戦闘を楽しむところからだ。
「我を起こしたのはきさ……ま?」
そこで思わず声を失ってしまった。
どう見ても弱者であろうゴブリンが、さらには弱者であることを決定づけるかのように両手と両膝を大地について絶望しているかのような声を出していたからだ。
「うっそ……あれだけ毎日ダンジョンポイントを注いで……これ?」
「……」
「……終わった。どう見ても普通の魔族だ。100年間毎日全ダンジョンポイントを注いできたのに」
なにやらガッカリしているらしいゴブリンを観察してみる。。
ゴブリンの特徴といえば人族や魔族の半分ほどの低い背丈と緑の肌、それと彼らの強さの根源ともいえる武器や防具なのだが、目の前にいるゴブリンの背丈はそこまで小さくない。むしろ一般的な人族や魔族ほどある。肌は若干薄い緑で、彼の横には鉄製の剣と盾の両方が転がっているのだが、着ているものは布製の服。
となると――
「ふむ」
我のの記憶を掘り起こし、思い当たった。
――ハイゴブリン。
どちらかといえば珍しい部類だ。
ハイゴブリンは武器や防具の扱いに秀でるわけでもなく、身体の強さを求めるわけでもなく、魔力が多いわけでもない。ゴブリンの中では珍しく知能タイプというのが最も適切だろうか。
グリーンゴブリンからの進化系統としてはもっとも強さの可能性のあるゴブリンだが、逆に現段階では同じ位階のゴブリンの中では最弱種だ。
そんなハイゴブリンが我の封印を解いた?
流石に不自然だ。
疑念が膨れ上がる。
「ドラゴン族とかそういうの期待してたのに。せめて翼持ちの魔族ならよかったのに……あぁ、どうしよう」
「――おい、そこのハイゴブリン。いつまで我を放置する気だ。さっさと状況を説明するが良い」
「これまで我慢してくれてた皆に申し訳が……って、え? あ、ごめんごめん。君が悪いわけじゃないのに」
「どうやって我の封印を解いた? 貴様に解けるような封印ではなかったろう」
「封印? え、君、封印されてたの? 随分と悪いことしてたんだねぇ、そんなに強そうな魔族にも見えないのに。なにしたら封印なんて……あ、そうだ。質問に答えなきゃいけないね。僕が封印を解いたっていうかダンジョンポイントでよくわからない項目があって一発逆転を狙ってそれに注いでいたんだよ。そうしたら君が出てきたんだよねぇ」
だんじょんぽいんとという言葉がそもそも理解できないことと、あまりにものんびりとした話し方に少し力が抜けた。
……まぁ起きたからといって何があるわけでもなし、のんびりこいつの会話に付き合うとするか。
「よし。そこのハイゴブリンよ、まずは座れ」
「?」
胡坐をかいて座り込み、ハイゴブリンにも座るように手招きをする。
首をかしげながらも本当に正面に胡坐をかいて座るハイゴブリンの動きに、どこかしらの愛嬌が感じられて軽く笑いそうになる。
素直で、少し抜けているどこか憎めないゴブリン。というのが我の第一印象だ。
と、座り込んだと同時に「あ、そうそう」とハイゴブリンが何かを思い出したかのように声を上げた。
「僕はマスターって呼ばれてるんだ。こう見えてもダンジョンマスターだからさ」
「そう、それだ。まずそこから教えてくれ。だんじょんぽいんと? だんじょんますたー? なんだそれは?」
我の言葉に、なぜか目を見開くハイゴブリン。
なんだ?
我が不思議なことでも言ったか?
「君……ダンジョンマスター知らないの? 300年前くらいから始まったらしいから知らないはずないんだけど」
300年前から始まった? システム?
聞きなれない言葉のオンパレードだ。
「あ、そっか。封印されてたから知らないんだねぇ……うん? ということは君は結構昔に封印されたんだねぇ」
目の前のハイゴブリンが仕方がないとでも言わんばかりに頷き「じゃあ教えてあげるね?」と自慢げに言い出した時だった。
「っ! 来た! ……きっとまたあいつらだ。くそぅ!」
「来た? あいつら?」
「君はまだ右も左もわからないだろうから、まだここで座ってていいよ。多分今回も殺されないだろうから大丈夫。それに……うん、君のような普通の魔族だと逆にひどい目にあわされるかもしれないし」
「よくわからんが……わかった。少し頭を整理する時間をもらうぞ」
「行ってくる!」
そのままハイゴブリンが目の前から消失した。
「ほぅ、空間移動か。見事だな」
などと呟くと同時だった。
「む?」
視界の端にダンジョンメニューという文字が浮かんだ。