野村備中守の空虚感
この物語は、フィクションであり、実在の人物、団体、事件等とは、一切、関係ありません。
天正14(1586)年。九州豊後への進軍を、島津義久は決定した。この年の正月、遠く離れた京の都から、この度、新しく関白に就任した羽柴何某から『九州惣無事之儀』の書状が届いた。
「羽柴の関白は笑止。」
源頼朝以来の名家を自負する島津家は、関白羽柴何某からの提案を蹴ると、島津忠長、伊集院忠棟を大将とした軍を筑後に向かわせた。そして、その5ヶ月後には、豊後への侵攻を決めた。
「翌年になれば、関白殿下からの援軍が参ります。大友は、それまでの辛抱にございます。」
豊後鶴崎城主、吉岡統増は母親にそう言った。
「我等は、兵を率いて、臼杵に向かい、殿様らと伴に、城に詰めまする。」
そうして統増は、鶴崎城の城兵らを連れて、大友家当主、義統やその父親の義鎮がいる臼杵の丹生島に行ってしまった。
統増の母親は、法号、妙林尼と名乗っていた。
「吉岡の家名に恥じぬよう勤めるのでございますよ。」
夫の鑑興を、島津家との戦で亡くした妙林尼は、そう言うと、息子を送り出した。
「この城のことは、母にお任せ下さいませ。」
「忝うございます。どうか、ご無事で…。」
鶴崎城から、臼杵へ向かう街道を行く息子の背中を見送ると、早速、妙林尼は支度をした。籠城戦の準備である。
「鉄砲を撃ったことがある者は、ない者へ扱い方を教えなされませ。足腰の弱い者は、弓鉄砲を、足腰の達者な者は、鋤鍬を持ち、頭となる者の指図通りに働きなされませ。」
妙林尼は、城下の民百姓、婦女子、幼子、老人まで、皆を城の中に入れると、彼らを村毎に、男女と強壮虚弱の別に分けて組を作らせた。そして、それぞれに仕事を割り振って行った。妙林尼の指図の下、体の動く者は、壕を掘り、掘った土を積み上げ、土塁を作り、体の動かぬ者は、鉄砲の撃ち方を教え、弾薬、兵糧を作った。
「なかなか攻め難き城にごわすな。」
鶴崎城に迫った島津の軍勢は、約3000人程だった。鶴崎城は、東西を、大野川と乙津川の間に挟まれた所にあり、南北側にある陸地も、潮の満干の影響で、地面が顔を出すのは、干潮の時だけであった。
「如何に思われるか?」
大将の伊集院美作守久宣が言った。
「見た所、攻め口は、南の隘路のみにございますな。」
伊集院の相手は、野村備中守文綱という武者であった。もともと、野村の一族は、島津家譜代の家臣ではない。彼らは、かつては日向の国人であり、伊東氏の家臣であったが、後に、島津氏に従うことになった者たちである。
「まずは、攻めてみないことには、如何んともなくごわそうよ。」
伊集院と野村の間に、割って入って来たのは、白浜周防守重政であった。
「我等はあちらの山に陣取って、物見を出せばよかろう。」
伊集院と白浜は、野村の意見も聞いたが、結局は、二人で決めてしまった。野村に比べて、伊集院と白浜の二人は、島津家譜代の家臣であり、この軍勢の中心は、彼ら二人であった。
「南の中洲辺りに相手は、陣を構えておるようにごわす。」
物見から帰って来た兵士が言った。
「ならば、まずは、そこを攻め取ることにし申そう。」
すぐさま陣立てが決められた。伊集院、野村、白浜の軍勢からそれぞれ三百人程が選ばれて、鶴崎城の南にある中洲の奪取に向かうこととなった。
「何だ、百姓共ではないか。」
島津の武者が、旗をなびかせながら、中洲に近づくと民家から飛び出て来たのは、鎧も着けていない裸武者であった。彼らは、島津の旗印を見るや否や、我先にと、民家から飛び出し、鶴崎城を目指した。
「待て。誘っているのかもしれぬ。」
三百人の軍勢は、一度、足を止めた。武者に言われた島津の足軽たちが、民家に火を点けつつ、辺りを窺ったが、伏兵らしき姿は、どこにもなかった。
「城に籠もるは、足弱や百姓ばかりのようでごわす。」
物見の足軽が、そう報告した。
「ならば、本陣にそう伝えよ。」
伝令の武者が走った。先遣隊からの報告を受け取った伊集院ら本陣は、日が暮れる前に、城攻めをするべく、軍勢を進めた。
「あれを見よ。先駆けじゃあ。」
本陣の到着を待たずして、先遣隊三百人は、鶴崎城へ向かった。彼らは、伊集院、野村、白浜それぞれの麾下にある者たちである。なればこそ、皆が、功名に逸り、城に向かって行った。
「それ。一番乗りよ。」
一度、堰を切った兵士の群れは、止まることを知らず、我先に、我先にと、城に向かって駆けて行く。そんな島津の武者の目の前にいた足軽の体の下半分が、突然、消えた。
「何だ?」
それは、足軽が鶴崎城の周りに、ところどころ掘ってある壕に入ったときのことであった。壕は、大して深い物ではなく、子どもの背丈程もなかった。
「穴が掘ってあるぞ。」
落とし穴である。武者が、そう言った次の瞬間に、足軽は、落とし穴にはまったまま、飛んできた弾丸に撃たれた。
「鉄砲は、こう撃つのでございます。」
鶴崎城の塀際では、妙林尼が手づから、農婦に鉄砲の扱い方を教えていた。吉岡の家に嫁いでからというもの、彼女は、毎日のように、嫁としての家業と伴に、兵法の扱いを学んだ。
「足軽たちが逃げ帰っており申す。」
主を撃たれた島津の足軽たちが本陣へ戻って来ることによって、伊集院らは、事態を把握した。
「家名の面汚しにごわすなあ。」
先駆けをして、おめおめと逃げ帰るなどとは、島津の武士にもとる振る舞いであった。
「なまじい、ここで、引き止まるよりも、真ん丸になって、どっと推し進めたがよかがなかか。」
馬に乗った白浜が言った。
「ならば、推し進み申そう。」
白浜の言に伊集院が応じることによって、城への総攻めが始まった。本陣の守りだけを残して、後は、皆、鶴崎城に向かった。冬の日暮れまでは、あと一刻程である。
「城には、何者が詰めており申すか。」
結局、その日、鶴崎城は落ちなかった。島津の寄せ手は、ところどころ掘られた壕や溝に足を取られている内に、土塀、板塀の間から鉄砲で撃たれた。日暮れも近く、前線から怪我人が運ばれて来るに及び、伊集院は、仕方なく、総退却の陣触れを出した。
「城におり申すのは、尼御前にごわすそうな。」
近隣の寺から聞いてきたことを、野村は告げた。
「先代の後家ばという話にごわす。」
翌日、島津の軍勢は城を遠巻きに包囲して、降伏を促した。
「先日、戦に負けたうえに、降伏を申し立てるとは、笑止千万。」
城の土塁の上から、そう書かれた返書を結んだ矢文が、島津の陣へと飛んで来た。
「おい。あれを見よ。」
足軽たちが指差した方向には、土塁の上に、白い頭巾に緋色の鎧羽織を羽織った武者が長刀を持って立っていた。
「我等に降れと申すならば、戦に勝ってからにしなされませ。」
矢文と伴に、城方から、大きな嘲笑の声が上がった。
「小癪な野郎じゃあ。」
再び、島津の寄せ手は、城への総攻めを始めた。しかし、伊集院らの意気に対して、鶴崎城の妙林尼たちは、辛抱強く耐えて、城と人々を守った。やがて、島津の軍勢も、無理攻めは止めて、城を包囲したまま兵糧攻めを始めた。
「(年が明ければ、関白殿下からの援兵がやって来る。)」
息子の統増が言ったその言葉を頼りに、妙林尼は、城内を回り、民百姓を励まし続けた。そのような妙林尼の噂は、不思議なことに、兵糧攻めの最中にも、噂となって、島津の本陣に聞こえてきた。
「(成る程。なかなかに、利発な女人だ。)」
島津本陣にいる野村文綱も、そんな妙林尼の噂を耳にした一人であった。野村は、緋色の鎧羽織に身を包んだ妙林尼の噂を、実際にそれを見た家来の武者の一人から聞いていた。
「昔語りに聞く巴御前のような出で立ちにごわした。」
「成る程な。」
昔語りに、一騎当千の武者と謳われる巴御前の振る舞いは、野村も聞いて知っている。
「武略に秀でることは、武者の誉れなり。」
野村はそう思った。当然、野村も、武者を自負している。近江源氏を名乗る野村家は、鎌倉御家人の伊東氏が日向に下向したときからの家臣であった。島津と同じく鎌倉以来の武門である伊東氏は、残念ながら、戦国の世に没落してしまったが、かと言って、その家臣である野村家も、同じように没落する気などは、毛頭ない。文綱も、また、そんな武門の意地を、心の内に持っていた。
兵糧攻めの最中にも、城方と寄せ手の間で、何度となく小競り合いが生じた。その間、野村は、幾度か、本陣から前線へ、自ら足を進めた。流石に、自ら槍を取って、土塁を乗り越えるようなことはしなかったが、寄せ手の足軽が鉄砲に撃たれて、命からがら戻って来る姿が見える所までは行った。というのも、一目その目で、今巴とも言われる妙林尼の姿を見ることができないかと思ったからであった。
しかし、締めて16度の攻撃にもかかわらず、なかなか鶴崎城は、落ちなかった。業を煮やした伊集院と白浜は、城内に使者を送って、降伏を促した。相手は、妙林尼ではなく、その側近の者であった。
「主を説き伏せなさるのも、家臣の務めにごわす。」
そう言って差し出した使者の掌には、金銀の粒が握られていた。翌朝、鶴崎城は、城内の人々の助命を条件に、開城した。
「足弱の者共のみで、ここまで、ようやっと戦い申した。」
城明け渡しの席で、島津の三将と妙林尼は、初めて顔を合わせた。
「(思うていたよりも、小さいな。)」
席上に現れた妙林尼の姿は、白頭巾に袈裟を着た尼御前の姿であった。その後、島津の兵士たちは、鶴崎城に入り、城内にいた百姓たちは、城下に住まうことになった。
「城を取られたこと。如何様に思われるか。」
島津の兵士たちは、鶴崎城内にあったなけなしの食糧と酒で、勝利の宴を開いていた。その席で、伊集院は、妙林尼に、酒を注がせながら聞いた。
「主なき城こそ易きものはなし。憶病武者の風こそ立たねば。」(城主がいない城ほど、攻めやすい物はありません。憶病風に吹かれた武者がいなければ、まだまだ、城が明け渡されることはなかったでしょうに。)
憶病武者とは、島津から金銀を受け取った側近のことだろう。妙林尼手づからが注いだ酒を飲む伊集院に、彼女はそう応えた。
「(なんたる猛者か。)」
伊集院の隣で、それを見ていた野村は思った。
「(この女人は、俺と同じよ。)」
源氏一門の武者に生まれた野村文綱と、同じように、妙林尼も、また、自らの武者振りを貴んで生きている。尼御前姿の妙林尼に対して、野村は、紛うことなくそうした感情を抱き、感じた。
しかし、妙林尼本人にとって、籠城中と、その後の酒宴の席上で見せたこの武者振りは、虚飾に過ぎなかった。やや平たく言えば、それは、彼女本来の目的ではなく、方便でしかなかった。戦と武者振りを本懐の目的とする野村と異なり、妙林尼のそれは、一時の借り物でしかなく、彼女は、そうすることで、城内の百姓を激励し、この場では、彼らの地位を守ろうとしたのである。それらから分かる通り、妙林尼は、一騎当千の武者でも、猛者でもなく、人々を愛する女性であり、母親であった。
島津の兵士たちは、どこから持って来るのか、鶴崎城に駐留している間も、度々、酒と肴を手にして酒宴を開いた。
「(いつまでいるつもりなのだろうか…。)」
その席上には、妙林尼と侍女たちも呼ばれた。侍女たちも、妙林尼と伴に、出家しているので、皆、尼御前姿である。近頃は、鶴崎城の者たちと島津の者たちも、互いに打ち解け合い、その内情を知る程までになっていた。
「(関白殿下の軍勢も、そこまで来ているというものを…。)」
正月が過ぎて、春が来て、関白豊臣秀吉の軍勢は、九州に海路、武器、弾薬、兵糧を運び込み、着々と戦支度を始めていた。
「御顔の色が優れませぬな。」
「左様なことはございませぬ。」
島津の大将、野村文綱も、妙林尼と情誼を交わした一人であった。
「今巴殿も、気色を悩ませることがおありにごわすかな。」
「詮無きことにございます。」
野村という武者は、盛んに妙林尼のことを褒めそやしていた。伊集院や白浜が、最初の頃とは、打って変わって、島津の兵士たちを苦しめた妙林尼をぞんざいに扱うのに比べて、この野村は、変わらず妙林尼の武功をはやし立てる。
「何かあれば、某が助けになり申すぞ。」
「野村様は、御人が好うございまする。」
そう言って妙林尼は、微笑んでいた。
「撤兵じゃ。明朝、日向まで退くぞ。」
関白豊臣秀吉の九州征伐が本格的になった頃、府内にいた島津の軍勢も撤退を開始した。それに合わせて、鶴崎城の伊集院らにも、城を捨てて、撤退の伝令が届いた。
「(ようやく元通りになる…。)」
慌ただしく動き回る島津の兵士たちを尻目に、妙林尼は、次のことを考えていた。いくら馴れ合ったといえども、島津の兵士たちは、妙林尼ら鶴崎城や大友家の者たちにとっては、敵である。これまで鶴崎城は、その敵に占領されていたのであり、関白豊臣秀吉の軍勢を前にして、島津の軍勢が逃げて行くのは、妙林尼らにとっては、好機でしかなかった。
「妙林尼殿。」
そんな彼女の後ろから、声を掛けて来た者がいた。島津の大将の一人、野村文綱であった。
「どうかなさいましたか。」
このお人好しの大将に、妙林尼は、微笑みながら振り返った。
「其方と別れるのが、余程、口惜しいようで、姿を見た途端、声を掛けており申した。」
野村は、薄い口髭を整えながら言った。
「左様にございますか。ならば…。」
このとき妙林尼は一計を案じた。
「我等も伴に、日向へ連れて行ってもらいとうございます。」
「なんと。真か。」
「城を守れと言われながらも、島津に降った身の上にございます。このままこの地に残ったところで、その身は、草葉の露にございましょう。ならば、せめて、武功を競った島津の者たちと、旅路を伴にしとうと思いまする。」
「ならば、早急に支度しなされ。其方のような武士を失うことは、某も口惜しくごわす。」
妙林尼は、侍女たちのもとへと去った。そして、その夜、鶴崎城内で、最後の酒宴が開かれた。
「我等は、密かに、城を出て、後を追いまする。」
朝日が昇る前の鶴崎城で、島津の三将を、そう言って妙林尼は見送った。それと同時刻、鶴崎城から南へと抜ける隘路には、妙林尼の配下の百姓50名程が、鉄砲を抱えて伏せていた。
「やれ。撃て。」
隘路を抜けようとした島津の兵士たちに、鉄砲が撃ち掛けられた。それと同時に、槍を持った百姓たちが隘路を抜けようとする島津の兵士を突いた。
「ええい。こうなれば、川を越して進むぞ。」
退却口を遮断された島津の軍勢は混乱した。そのまま、彼らは乙津川を北上し、浅瀬を見つけて、渡河しようとした。
「あそこの浜の辺りが渡れそうだ。」
松林の向こうに、浅瀬が見えた。伊集院らは、そこに向かおうとしたとき、松林の中から銃撃を受けた。放たれた銃弾に胸を撃たれて、伊集院久宣は倒れた。同じ頃、乱戦の中で、白浜重政も戦死した。
混乱する人混みと朝日に照らされ始めた暗闇の中で、野村文綱は、妙林尼の姿を探した。相手の百姓の中には、鎧も着けず竹の槍を持っている者もいた。
「おらぬか。」
紐が緩み野村の兜がずれてきた。直垂は、汗と水とで濡れて重かった。混乱する戦場には、火薬の匂いと煙がくすぶり、目に染みた。それでも、野村は、やって来る味方を押し退けながら、後から来るであろう妙林尼一行の行方を追っていた。
「っ…。」
流れ矢が、野村の鎧の隙間を通って左胸に刺さった。それでも、しばらく、野村は、矢が刺さったまま、戦場を駆けた。
「(血が止まらぬか…。)」
野村が動く度に、左胸の傷から血が出て、直垂を染めた。そこまでして、野村に妙林尼を探させたのは、何だったのだろうか。もしかしたら、それは、常日頃、野村が、大事に抱いていた武士の矜持であり、彼の武者振りであったのかもしれない。そして、野村は、その目で、自らと同じ気持ちを持つ同類の妙林尼の姿を探した。しかし、その先に、彼女はいなかった。
朝日が河原を完全に照らす頃、辺りは、島津の兵士たちの死体と血に塗れていた。その中には、昨夜、妙林尼が酒を酌み交わした伊集院と白浜がいた。寺司浜の戦が終わると、妙林尼は、島津の将兵の首を獲って、臼杵へと送らせた。彼女が送らせた首は63にも及んだと伝わる。しかし、その中に、鶴崎城に攻め寄せた島津三将の内の一人、野村文綱のものはなかった。
結局、寺司浜の戦場で、野村は妙林尼の姿を捉えることはできなかった。左胸に矢傷を負ったまま、彼は、戦場を離脱し、日向高城に落ち延びると、胸に受けた傷が原因で、そこで死んだ。
「巴御前に、してやられましたな。」
死の間際、高城内で、家来の一人から、その言葉を聞くまで、野村は、あの襲撃が妙林尼の差配によるものだということに思い至らなかった。それまでの間、ずっと、野村は、緋色の鎧羽織を着た妙林尼の姿を追い掛けていた。そして、家来の一言により、自分が討たれたのが、妙林尼の指図によるものだということを、初めて理解したとき、死期が迫った野村に訪れたのは、妙林尼の武略に対する賞賛と誉れの気持ちでもなく、自らを裏切り欺いた妙林尼に対する怒りでもなく、ただ、忽然と、野村の胸中に現れた空虚感であり、それが何なのか分からぬまま、彼は息を引き取った。
「(これで終わるのか…。)」
野村文綱の胸中に現れた気持ちは、妙林尼に対する彼の恋心であり、あれだけ、猛き武者として、妙林尼のその武者振る舞いを称えた野村であったが、最期に彼が抱いた感情は、妙林尼と野村という武者同士としての関係から発せられるものではなく、一人の、男女としての間柄から生まれた感情であった。