第一話
荒れ果てた赤い大地の上に黒い軍服の帝国兵が転がっている。
頭部のないものや、ジェノサイドの車輪の跡があるもの。また、見るに耐えない形状のものもある。
様々な姿形の死体が積み上げられている中、黒髪の少年は重い瞼を開け、赤い瞳を表した。
(ここは……?)
一瞬、ここは天国ではないかと脳裏をよぎったロイだが、すぐに自分の考えを改めた。
こんなに空が黒く染まっている所が天国であるはずがないからだ。
そもそも、親友を見殺しにした自分がいけるはずがない。
「ちくしょう、体が重い」
すぐにここが死後の世界ではないと悟ったロイは体を起こそうとした。
何か腹部に重みがあり、体に至っては、まるで全身を虫に食い潰されているように痛みを感じる。
何か塊が自分の腹部に乗っていたのでそれをどかす。
ドサッと鈍い音がし、その物体が転がった。
自分の腹部に乗っていた物が目に入り、思わず驚愕してしまう。
「うわぁぁ!」
帝国兵の死体だ。戦争に参加する兵士であれば死体などさほど珍しいものでもない。
だが、ロイは訓練兵だ。士官になるための戦術や殺人の訓練は受けていても先刻討ち取った敵将を除けばまだ人を殺したことのないひよっこなのだ。
そんな人物が死体など見慣れているはずもない。熟練の兵士ですら死体を見ると気分が悪くなるというのに。
もしかすると……。脳裏によぎった。ロイはそれを確認すべく辺りを見渡した。
ロイの瞳に写るのは帝国兵の死体以外に級友である訓練兵の数々。
一番近くに横たわっていたのは先日の講義で自分の前に座っていた男だ。彼と仲がいいとまではいかないが、それでも何度か会話をしたことがある。
その時の印象はお茶目な性格で、よく仲間を笑かしていた愉快な奴だった。
「うっ……ぷ」
唐突に襲いかかる吐き気。思わずその場に嘔吐する。
自らの吐瀉物と血の匂いが入り混じりツンと鼻についた。
──クソッ、どうしてこうなった
共和国への憎悪や同胞への悲しみやらの感情が入り混じる。それでもまだ理性が保てているのは、共和国へ一矢報いることができたという自信からだ。
きっと、死んだ同胞も喜んでくれていることだろう。
そんなことを考えながらその場から立ち上がった。無論、アランとの約束を守るためだ。彼のペンダントを取りに行かなくてはならない。
無数の死体が散りばめられている戦場で一個人の私物を探し出すというのは無限に続く砂漠であり一匹を探し出すのと同じくらいに難しい。
しかし、それも魔法を使えば造作のないことであった。
ロイは『魔力探索・弱』を使用する。
『魔力探索・弱』とは主に大切な物をなくした時に使用される魔法だ。使用するのに時間が必要なく、本来魔法を行使する場合に使われる魔法陣も不要のため、一般人に広く普及されている魔法だ。
ただ、『魔力探索』と違ってあらかじめ探し求める特定の物とリンクさせておかなければならないので戦争で使用されることはほとんどない。
せいぜい一部の将校が腰に帯刀している剣に使用するくらいだ。
しかし、戦争中に仲間の死体から遺品を剥ぎ取る余裕はないので、落ち着いた時に取りに行く場合には有用だ。
ロイはペンダントがある場所へ行くとそれを拾い上げる。近くにアランの死体はない。恐らく、爆風でペンダントのみ飛ばされたのだろう。
ペンダントを自分の首にかけて、服の中にしまう。
先に進まなければならない。このペンダントを自分の身代わりとなった友人の妹に届かなければならないからだ。
悲しみを堪えてロイは前に進む。その時、ふと自分の足に違和感を感じた。
──どうして足が動いている?
先程までは見慣れない残酷な死体の数々によって気が動転しており、気づかなかったが今になって冷静に考えればおかしなことだった。
何故なら自分は、足を撃たれて動けなくなったところで意識を失ったのだから。
ロイはすぐさま右足を確認する。確かに撃たれた跡はあった。だが、肝心な傷までは見当たらなかった。もちろん、先程まで気を失っていたのだから、撃たれたのは悪い夢だったと思えなくもない。
しかし、その考えは軍服に染み付いている血痕と軍服にある撃たれた跡が否定しているのだ。
(何が起こったんだ?)
いつだったか、高い魔力を持つ者は自力で傷を塞ぐことができるという話を聞いたことがあった。しかし、自分に傷をつけた弾丸には確かに『弾丸魔法』が付与されていたし、そもそも自分にはそこまでの魔力はない。
困惑するロイを嘲笑うかのように、不気味なエンジン音が近づいてきた。
忘れるはずもない、この残酷な現状を引き起こした悪魔の兵器の音だ。
(さっきの叫び声で気づかれたか? いや、魔法を使ったからか?)
理由はわからない。ただ、自立型魔導人形が近づいてきているのは確かだ。
ここは平地で逃げ切ることはできない。背を向ければ一瞬にしてあの大きな大砲のような主砲によって消されるだろう。
ならば足掻いてやる。ロイは覚悟した。恐らく、自分が持っていた武器は意識を失った拍子にどこかへ行ってしまったのだろう。故に手元に武器はない。
ロイは散らばっている死体の一つから安らかに眠ってくれと願いながらライフルを拾い上げた。
帝国軍に普及している魔導銃の五十四式では太刀味できないことも知っている。しかし、それでも抵抗しようとするのは訓練兵と言えど、軍人の端くれだからだろうか。
「悪いな、アラン。約束を守れそうにない」
ライフルを構えた。狙うのは背面に搭載されているレーダーだ。初めから死んでやるつもりはない。少しでも生き残るために足掻くのだ。
ジェノサイドは背面に搭載されているレーダーと正面に取り付けられたカメラで帝国兵を見つけていると開戦前に聞かされた。
ならばそれを壊してやれば逃げ切る確率も上がるだろう。
落ち着いて狙いを定める。あちらも恐らく狙いを定めてきている。ならば先に撃つまで。
ロイは戸惑いもなく引き金を引いた。銃口から飛び出るのは『弾丸魔法』が付与された弾丸だ。
『弾丸魔法』とは簡単に言えば弾丸に付与する魔法の総称だ。仮に分類するとしたら大きく三つに分けられる。
一つは威力のみを重視した近距離型。命中度が低く近距離でしか使えない。もう一つは飛距離を重視した長距離型。命中度も高いがいまいち威力が足りない。奇襲に適したものだと言える。
そして、最後の一つが威力、距離、命中度のバランスを取った中距離型だ。
大半の兵士が中距離型を使用しており、今ロイが放ったのもそれである。
──外した!?
ロイの放った弾丸が右に逸れた。否、ジェノサイドが気づかれないように左に逸れながら進んでいたのだ。
普通は機械がそのような技術を持つことはない。が、それを持つのはジェノサイドが自立型と言われる由縁である。
ジェノサイドが七十ミリの主砲からロイ目掛けて砲撃する。魔力を具現化し盾とする魔法、『魔力障壁』を展開し防御する。
しかし、大砲並みの威力を持つジェノサイドの砲撃には敵わず木っ端微塵に破壊され、吹き飛ばされた。
「グハッ!」
衝撃で内臓がやられたのか、口からは血が溢れ出る。ほんのりと鉄の味を感じて、口から吐き出した。
確実に殺される。そう悟った。そもそも帝国軍を壊滅まで追い込んだ主たる原因である殺戮兵器から逃げ切れるわけがなかったのだ。
ロイは抵抗する気力すら薄れてきていた。もうダメだ。自分以外の人がこの状況に遭遇したとしても全員が同じ回答をするだろう。
ジェノサイドはすでにニ撃目の準備に入っている。ロイは手にしていたライフルを放り投げて拳を握った。
ただで死んでやるつもりはない。それはプライドが許さない。せめて無意味だと分かっていても最後の抵抗くらいしてやろう。
「おおぉぉぉぉ!!!」
叫びながら目の前の殺戮兵器目掛けて殴りかかった。刹那、ジェノサイドの主砲が爆発した。
「は?」
目の前で起こる奇怪な現象に驚かずにはいられなかった。爆風によって土埃が舞い、視界が悪くなる。
見えるのは目の前にいるジェノサイドのみ。再びジェノサイドが爆発した。次は背面のレーダーだ。
これで確定した。これはジェノサイドの不慮な事故ではなく、人為的な攻撃だ。
辺りが土煙に包まれる中、人影が一つジェノサイドに寄るのが見えた。
「邪魔」
女の声が聞こえたかと思うと襟を掴まれて土煙の外へと引っ張り出された。
「なっ……!?」
あの殺戮兵器と戦っていた人物。その風貌が土煙の外で明らかとなった。
銀色のストレートヘアーに宝石を連想させるような赤く美しい瞳、黒を基調とした帝国軍の軍服を纏う少女がそこには立っていた。
両手には二丁のライフルがある。そのライフルを土煙の方へと向けると数発撃った。
しかし、ジェノサイドの装甲には効かなかったのか、そのまま突進してくる。副砲を全て少女に向けて撃ち続けている。
銀髪の少女は『魔力障壁』を展開してそれを防いだ。そして、軽やかに近づくとジェノサイドの右側面に装備されている副砲の接合部分に『弾丸魔法』を打ち込む。
その衝撃によって副砲はジェノサイド本体から切り離され、地面に転がり落ちた。
さすが自立型と言ったところか。不利だと悟るとすぐさま後退する。しかし、少女は逃がさない。
彼女を中心に空中に無数の魔法陣が展開される。その一つ一つから銃口が出ており、その全てが一機のジェノサイドを狙っている。
そして……轟音と共にジェノサイドはチリと化した。爆風がロイの下まで届き、いかに大きな爆発であったかを示している。
「凄い……」
思わず感嘆の息を漏らしてしまう。それほど、彼女の闘い方は美しく、そして強かった。
例えるなら……そう、舞台で優雅に踊っているかのように。誰からも進行を妨げられることのない雲のように。
ロイの目の前に現れた少女はまるで、戦場に舞い降りた女神のようであった。