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43.ニンジンと修道女

 どうしてもオーガストを処刑するのだと息巻いている王に、私が突然持ち出したニンジンの話。修道院のみなとヘレナはぴんときたらしく、面白そうに目を見開いている。ウォレスとドロシー、グレースは訳が分からないようできょとんとしていた。


 王は口をつぐんだまま横を向いている。その目はせわしなく動いて、ちらちらとこちらの様子をうかがっていた。明らかに、後ろめたいことがある者の態度だ。


 私は王の態度が変化したことに内心ほくそ笑みながら、素知らぬ顔で言葉を続けた。


「あれは去年のことでしたわね。隣国の王が開催した食事会で、伯父様はそれは盛大にもてなされたと聞いていますわ」


 王がべそをかいたような顔になる。そのことには触れて欲しくなかったのに、と全身で訴えているようだった。


「隣国の特産品はニンジンで、その日の食事会にも当然のようにニンジンがふんだんに使われていた。それも最高級の、とびきり香り高いものばかり」


 まだ話の流れについていけていないらしいウォレスが、じっとこちらを見ている。私はそっと彼に目配せをすると、少しだけ声をひそめた。


「ですが伯父様はいい年なのにニンジンが大嫌いで、口に入れることすら拒むほど」


「に、苦手なものは仕方ないじゃろう。あの匂いだけでもう駄目なんじゃ」


「そうは言っても隣国の心づくし、口にしない訳にはいかない。伯父様は大いに困ってしまわれた。そうですわね」


「ニンジンのソテーなんて、わしには悪夢じゃった……思いだしとうもない……」


「……で、隙をついてニンジンをナプキンに包んで隠し、知らん顔をされていたのですわよね」


「なんでお前が、そこまで知っておるのじゃ!? 誰にもばれておらんと思っておったのに」


「女には色々と秘密があるものですわ、伯父様。それに秘密って、意外なところから漏れてしまうんですのよ」


 グレースとドロシーが、目を真ん丸にして顔を見合わせている。ウォレスも驚きを隠せないようだった。


「これが隣国にばれてしまったら、あちらはどう思われるでしょうね? おまけに、その王が法を曲げてまで公爵を処刑しただなんてことが知れたら」


「それはその、まあなんというか、のう」


「隣国の王は、きっと伯父様を信用ならない人間だと思うでしょうね。国交断絶などにならないといいのですけど」


「ミランダ、もしやお前わしをおどしておるのか?」


 少し冷静さを取り戻したのかいつもの顔に戻った王が、ややしょんぼりとした顔で尋ねてくる。


「まさか。ただ、一応は夫である男が処刑されてしまったら、驚きのあまりうっかり口を滑らせてしまうかもしれませんわ。それが噂になるかもしれませんが、私には止められませんわね」


 わざとらしく両手を揉みしだきながら、大げさに身じろぎしてみせる。王はしばらくうめき声をあげていたが、やがて大きくため息をついた。ふかふかの椅子の上で背筋を伸ばし、形ばかりは厳かに宣言する。


「……分かった。オーガストの処分については、法にのっとり公明正大に決めることにしよう」


 子供のようなところはあっても長年この国を治めてきた王、さすがは大人だ……と思った瞬間、王はまた不満げに口をとがらせた。


「わしとしてはまだ納得いかんがの。個人的に報復……という訳にもいかんか。ああ口惜しい、腹立たしい」


 ころころと表情を変える王に、周囲から小さな笑いが漏れた。それにつられるようにして、王も苦笑する。


 やがて、部屋にはみなの礼儀正しい笑い声が満ちていった。




 ひとしきり笑って機嫌が直った王が、小首をかしげながら尋ねてきた。


「それにしてもミランダ、どうしてお前がオーガストなんぞをかばうんじゃ?」


 もっともな問いに、私は胸を張って答える。自然と笑顔になっていた。


「あんな男のせいで、後ろめたい思いをしたくないんですの。これを機に彼とはすっぱり縁を切って、再出発しようと思っていますもの」


 再出発。そう口にした拍子に、私の目線は自然とウォレスに向いてしまっていた。こちらを見ていた彼と目が合ってしまったことに気恥ずかしさを覚えながらも、動揺を隠して王に向き直った。


「伯父様、私のためにいきどおってくださるのなら、今ここで私とオーガストとの離婚を認めてくださいませんか?」


「うむ、もちろんじゃ。わしに任せておけ。ちょうど法官もおるでな。ウォレスと言ったか、すみやかに手続きを頼むぞ。ああ、めでたいのう」


「かしこまりました」


 どこか嬉しそうに、ウォレスが頭を下げる。そんな彼を見ているみなも、そろって笑顔を浮かべていた。これから行われるのが離婚の手続きだとはとても思えないほど、みな幸せそうだった。




「でも、ちょっと面白くありませんわね。法にのっとって処罰してはい終わり、だなんて」


 ウォレスが大急ぎで退室していったあと、誰かがぽつりとつぶやいた。すぐに王が目を輝かせて身を乗り出した。


「おお、おぬし分かっておるのう。そうなんじゃ、わしもどうにかしてオーガストに一杯食わせてやりとうて、しょうがないんじゃ」


「私たちのミランダを苦しめた報いは、きっちりと受けて欲しいですわ。ねえ陛下」


「ただし合法的に、でないとミランダに怒られてしまいますもの」


「ちょっと嫌がらせするくらいなら、法にはひっかかりませんわよね」


「それは良いのう!」


 あっという間にみなが王を取り囲む。もちろんヘレナたちもだ。そうして彼女たちは王と共に、私をほったらかして悪だくみを始めてしまった。彼女たちと王は似たところがあるとは思っていたが、こうもあっさり意気投合するとは思わなかった。






 それから数日後、取り調べを終えたオーガストは仮の牢獄に護送されていた。前後左右を兵士に囲まれたまま、王宮の廊下をゆっくりと進む。


 角を曲がった彼の目に映ったのは、厳かに立ち並ぶ修道女の一団だった。彼女たちは慎ましやかに目を伏せたまま、聖句でも唱えているかのような口ぶりで粛々とつぶやき始める。


「罪人よ、神はあなたを見ておられます」


「人の手では裁かれずとも、あなたの罪は神によって裁かれます」


「恐れなさい、神の裁きを。来たるその日を」


「悔い改めなさい、罪人よ」


 口々にそんなことを言い立てる修道女たち。彼女たちの言葉は打ち寄せる波のように幾重にも重なって、驚くほどの荘厳さをかもしだしていた。


「ひっ、ひいいいい!」


 それを聞いたオーガストの顔色がすっと青ざめ、口からは甲高い悲鳴が漏れた。彼ははっきりと震えながら、その場を逃げ出すように足を速める。手と腰に縄をかけられていなければ、きっと耳をふさぎながら全力で走って逃げていっただろう。そう確信できるほどのおびえようだった。




 そんな様を、私はヘレナたちと共に物陰から見物していた。


「みんな、すっかり敬虔な修道女の振りがうまくなってしまって……」


「なんじゃ、あの者たちは修道女として暮らしておるのじゃろう? あれくらいお手の物だと思ったのじゃが」


「色々と事情があるんですの、伯父様」


 恐ろしいことに、王まで見物に来ていた。オーガストがおびえる様を、どうしても自分の目で見たかったらしい。


 オーガストはやりたい放題やっている割には気が小さく、そして笑えることにとても信仰が厚い。そのことを利用して、こんな嫌がらせを最後に仕掛けることにしたのだ。


 私たちの狙いはうまくいったようだ。きっとこれから、彼は神罰におびえながら冷たい牢獄で暮らすのだろう。けれどもう、彼がどうなろうと私には関係ない。私と彼は赤の他人でしかないのだから。


 すがすがしい解放感に微笑みながら、私は連行されていく元夫の背中を見送った。

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