40.飛んで火にいる
静まり返った屋敷に突然響いた野太い声、明らかに異常なその叫び声に、私は飛び起きて部屋を出た。寝巻の上にガウンを羽織り、護身用の短い杖を手にして。
前にもこんなことがあった。あの時は確かジルの罠に、マーティンがかかっていたのだった。そんなことを思い出しながら玄関に向かうと、めいめい好き勝手に武装したみなが顔をそろえていた。少し遅れて、使用人たちも顔を出す。
「声がした方向からして、おそらく侵入者がいるのは西側の塀の辺りですね。それでは、玄関と裏口の二手に分かれて向かいましょう。あなたたちは戸口を守っていて」
みなの中心に立ったヘレナが、きびきびと指示を飛ばしている。私はその光景に既視感を覚えながら、戸口の守りを使用人に任せてみなと一緒に現場に向かった。
そこには、またもや見覚えのある光景が広がっていた。別邸をぐるりと囲む塀の内側に、太い縄でぐるぐる巻きにされた男性が転がっていたのだ。しかも今度は三人も。
「あらあら、これはまた見事に引っかかったものねえ。ジルに感謝だわ」
「ええ。『携帯型の罠を作ってみたから、持っていって』って言われた時はどうしようかと思ったけど、まさか役に立つなんてね」
そんなことを楽しげに話しながらも、みなは手際よく男たちにさるぐつわをかませ、しっかりと縛り直している。この異常事態に、まったく動じていない。
ぽかんとしている私に、ヘレナが笑いをこらえながら説明してくれた。
「私たちはあちこちで聞き込みをしていましたし、真犯人からするときっと煙たい存在になっていたと思うんです」
「それはまあ、そうでしょうね」
「だからいずれ、真犯人が私たちに何か仕掛けてくるかもしれない。そう考えて、前々から準備していたんですよ。おあつらえ向きに、罠もありましたし」
どこかうきうきとしながらそう話すヘレナの表情には見覚えがあった。ちょっとしたたくらみがうまくいった時の、修道院のみなの顔によく似ている。
「ヘレナ、あなたすっかり私たちに染まってしまったのね……」
「光栄です」
私の言葉に含まれた少しのあきれと戸惑いに気づいているだろうに、ヘレナは澄ました顔でそう答えた。
罠に引っかかっていた男たちは意外に若かった。身なりからして貧民街の不良といったところだろうか。彼らは入念に縛り上げられていたが、それでも反抗的にこちらをにらんでくる。この感じも懐かしい。
「真犯人と関係のある人なんでしょうか、それとも関係のない人なんでしょうか」
アイリーンの背中に隠れるようにしながら、ドロシーが顔だけをのぞかせて侵入者たちをそっとうかがっている。怖いもの見たさといったところか。
「どっちでもいいわ、これからはっきりさせればいいだけだもの」
我が修道院の精鋭たちが、腕まくりしながらにやりと笑う。ヘレナは平静そのものといった様子で、彼女たちに頭を下げた。その隣ではグレースが優雅に微笑んでいる。
「それでは、後はみなさまにお願いします」
「私たちは居間におりますので。吉報をお待ちしておりますわ」
精鋭たちは男たちを引きずるようにして地下に消え、使用人たちはどこか落ち着かなさそうな顔をして、それぞれの部屋に戻っていく。
私はヘレナたちと一緒に居間で待つことにした。空いた椅子に腰を下ろし、ロディが入れてくれた温かいお茶を口にしていると、ようやく頭が冴えてきた。
「……もしかしてわざと侵入者を呼び込んで、彼らの口を割らせることで新たな情報を得ようっていう魂胆だったりするの?」
ふと思いついたことを口にすると、私以外の全員が同時にうなずいた。みなを代表して、ヘレナが笑顔で答えた。
「そろそろ聞き込みも行きづまってきたので、違う手を打つことにしたんです」
「違う手って、ずいぶんと思い切ったことをしたものね。一つ間違えれば大惨事よ?」
「はい、ですから使用人にも手伝ってもらって、交代で見張りをしていたんです。その上で、一か所だけわざと警備を手薄にしました」
「用意周到ね……それにしても、使用人まで巻き込んだの?」
「最初は反対されたんですが、じっくり説得しました。ミランダさんに教わった話術、役に立っています」
立派に成長した教え子に再会した教師は、こんな気分になるのだろうか。誇らしげに胸を張るヘレナ、しとやかに微笑みながらも得意げなグレース、アイリーンと無邪気に話しながらも周囲の様子をきっちりとうかがっているドロシー。みな、恐ろしくたくましくなったものだ。
感心する私の目の前で、三人はそろって微笑んでみせた。
それから私たちは世間話をしながら、地下に消えていった面々の報告をひたすらに待ち続けた。ドロシーとアイリーンははしゃぎ疲れたのか、互いに肩を寄せ合ったまま眠ってしまっている。シャーリーは鳥の世話があるといって離席した。
窓の外の空が少しづつ白んでくる。さすがに睡魔に負けそうになった頃、地下から騒がしい足音がやってきた。精鋭の一人、メラニーが満面の笑みで駆けつけてきたのだ。
「ついに口を割らせたわよ! 面白いことが分かったわ……って、眠そうね?」
「私は夜更かしは苦手なのよ……ドロシーたちが起きてしまうわ、もう少し小声で話してちょうだい」
そういいながらも、彼女がつかんだ情報に興味はあった。それはまだ起きていたヘレナたちも同じだったようで、目をこすりながら身を乗り出してくる。
「それでね、彼らはレイ男爵の手の者だったわ。ミランダを消すよう、依頼されたんですって」
いきなりぶつけられたとんでもない事実に、眠気が一気に吹き飛んだ。私のそんな表情を見たメラニーは満足げに、さらに言葉を続ける。
「彼ら、また別の毒を持ってたわ。無味無臭のやつをね。どうやらこっそり食糧庫に忍び込んで、その毒を仕掛けようとしてたみたい」
「ミランダさんを消そうだなんて、何て奴らなの! 許せないわ!」
激昂したグレースが叫びそうになるのを、すかさずヘレナがなだめる。ヘレナは目だけで、続きを話すようにうながしていた。
「正確には、私たちを皆殺しにするつもりだったみたいね。彼らにその仕事を頼んだのは身元を隠した人間だったけど、こっそりとそいつの後をつけたらレイ男爵の屋敷に入っていったんだって言ってるわ」
「どうして、彼らは後をつけたりしたのでしょうか?」
ロディが首をかしげている。その理由が分からないとは、彼はまだまだ純粋なところがあるようだった。
「こんな恐ろしい依頼をした相手が誰なのか知っておけば、その情報を盾に相手から身を守ったり、ゆすったりできるからよ。相手によっては、逆効果になることもあるけれどね」
私がそう答えてやると、ロディはなるほど、と目を見張った。そんな彼を、ヘレナが優しい目で見守っている。仲がいいのは結構なのだが、ところ構わず甘い空気をかもしだすのはやめて欲しい。
「そういうことなら、その三人は絶好の証人になりますね。メラニーさん、彼らをしかるべきところに引き渡すまで、しっかり見張りをお願いします」
すぐにきりりと表情を引き締めて、ヘレナが指示を出す。メラニーは顔をほころばせてうなずくと、また弾むような足取りで地下に戻っていった。
私は立ち上がり、大きく伸びをした。一睡もしていないのに、どういう訳か眠くはなかった。
「それでは、私は出かける支度をしようかしら。夜が明けたら一番に、王宮に向かうわ。彼らを引き取ってもらわないといけないしね」
「ミランダさん、どこか嬉しそうですね?」
グレースがそう指摘してきた。確かにそうかもしれない。昨日の今日で、ウォレスに会うための口実ができてしまった、それが少し嬉しかったのだ。
彼は私に会いたいと言っていたのだし、理由もなく訪ねても彼は歓迎してくれるだろう。ただ私はどうしても、彼を訪ねるちゃんとした理由が欲しかったのだ。会いたいから会いにきた、だなんて、まるで恋する乙女ではないか。そんなことを恥ずかしげもなく口にできる年ではない。
彼のこととなるとすぐに脱線する自分の思考にとまどいながらも、私は自室に戻り支度を整え始めた。どことなく浮かれている自分を、嫌というほど自覚しながら。




