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37.(聞くべきは専門家の意見)

「私は気が弱い令嬢、毒におびえる令嬢……」


 そんな言葉を口の中でつぶやきながら、私は王宮の廊下を歩いていました。隣には修道女の一人が、侍女のなりをして付き添っています。


「グレース様、少し落ち着かれてはいかがでしょうか」


 いつもあけっぴろげな話し方をする彼女は、口調も侍女に相応しいものに変えていました。彼女は修道院からやってきた精鋭の一人、メラニーさんです。


 これから私たちは、事件の時にフェルム公爵を手当てした医者のところを訪ねることになっているのです。


 みなで考えた筋書きはこうでした。私は気弱な令嬢で、事件の話を聞いてすっかりおびえてしまい夜も眠れなくなってしまいました。見かねた侍女が医者にかかることを勧め、王宮にやってきた。そういう流れです。


 医者との面会の手はずは、ミランダさんを取り調べているウォレスさんという法官の方が整えてくれたそうです。あとは私が必要な情報を得るだけとなっていました。


 私が気弱な令嬢というのはどう考えても無理があると思うのですが、そこは演技でどうにかすればいいと言われてしまいました。修道院のみなさまは「グレースは自己暗示が得意だって、ミランダからそう聞いてるわよ」と言っていましたが、本当にそうなのでしょうか。


 一方で、メラニーさんが医者と会う役として選ばれたのにはもっともな理由がありました。彼女は今回集まった人間の中では一番、薬草や薬、毒などに詳しいのです。


 けれどそれなら、メラニーさんが「毒におびえる貴婦人役」をやればいいのに、と思います。実際にそう言ったところ、「おびえる役なんてしてたら、自由に聞き込みができないじゃない」と一蹴されてしまいました。


 役作りのため、昨日は思いっきり夜更かししました。私は夜も眠れないという設定なのですから、クマくらいこさえておくべきでしょう。そのせいで眠くてたまらないのですが、これも麗しのミランダさんを助けるため。


 ついつい早足になってしまいそうになるのをこらえながら、私は精いっぱいしとやかに、医者のもとを目指しました。






 王宮の一角に、医者や薬師が集められた区画があります。私たちはそこに着くと、すぐに目当ての医者がいる部屋を訪ねました。


「おや、あなたがグレース様ですな。どうぞ、そちらにかけてください」


 つやのあるふっくらとした頬が特徴的な中年男性が、笑顔を浮かべて私たちを出迎えてくれました。


 私は勧められた椅子に座ると、唐突に口を開きました。両手を固く握りしめて、いかにも恐ろしくて仕方がないといった表情で。


「お医者様、この前の事件で使われた毒とは、いったいどういったものなのでしょう? 同じようなものが私の近くに紛れていたらどうしようって、それが怖くてたまらないんです」


 私の演技にあっさりと引っかかってくれたのか、医者が私をなだめるように穏やかに笑いかけてきます。少しばかり良心が痛みますが、仕方ありません。


「大丈夫ですよ、グレース様。あの毒は珍しいものですし、何かに紛れていてもすぐに分かるものですから」


「まあ、そうですの? でしたらその毒がどんなものなのか、ぜひ教えてくださいませんか。そうすればお嬢様も安心して眠ることができますから」


 メラニーさんがすかさず口を挟みました。医者は人がいいのか、にこにこと笑いながら説明を始めました。


「あの時使われたのはキチトの毒と言って、それは強い臭いを放つのですよ。一杯のワインにほんの一滴混ぜるだけで、むせかえるような甘酸っぱい香りがたちのぼります。花とも果物ともつかない強烈な臭いですので、まず間違えることはありません」


「でも、フェルム公爵はそれを口にされたのですよね?」


「ううむ、私もそこは気になっていたのです。あれを知らずに口にすることなどまず考えられませんし。それに……」


「他にも何か、気になることでもあるのでしょうか?」


 メラニーさんが絶妙の間合いで水を向けると、話が脱線しかけていることに気づいていないのか、医者が小さくうなずきメラニーさんを見つめました。どうやら彼は、ずっと誰かに話したいことがあったようです。


「フェルム公爵の症状が、キチトのものとは違っていたのです。あの場には確かに、キチトの臭いのするワイングラスがあったのですが」


「まあ、不思議ですわね。フェルム公爵はどのように苦しんでおられたのでしょうか?」


 そう相づちを打つメラニーさんの目がきらりと輝きました。獲物を見つけた時の猟犬は、きっとこんな目をするのでしょう。


「私が駆け付けた時には床にはいつくばって、のたうちまわっておられました。キチトの毒は飲んでから効果が出るまで時間がかかりますし、効き始めるとすぐに昏睡状態に陥って、すぐに命を落とすのですよ。……ああ、そういえば」


 話しているうちに何かを思い出したのか、医者が眉間にしわを寄せました。そこを見逃さずに、メラニーさんが身を乗り出します。これなら、彼女一人でもよかったかもしれません。私は特に何もしないまま座って話を聞いているだけになっています。


 いえ、こんなことでめげている場合ではありません。あとでみなに報告するために、しっかり話を覚えておかなくては。私はできるだけ気弱そうな雰囲気を出すべく目を伏せながら、耳を澄ませ続けました。


「公爵はいきなり倒れられたと聞いていますが、その割にグラスがちゃんと床に置かれていたのが、どことなく不自然に思えましたね」


「おっしゃる通りですわ。さすがはお医者様、鋭い目をお持ちですのね。でしたら、こちらもご存じなのでしょうか……」


 メラニーさんが少々露骨に医者を誉めると、そのまま雑談に持ち込みました。何とも鮮やかな手際です。


 彼女は薬草などに詳しいだけあって医者の話にも難なくついていっていますし、的を射た切り返しもお手の物のようです。人の好さそうな医者はあっという間に彼女に好感を持ったらしく、それは嬉しそうな笑みを浮かべて様々なことを話し続けていました。


 結局私は、メラニーさんがうまいこと医者を転がすさまを、驚きを顔に出さないようにしながら見守ることしかできませんでした。……あの話術を会得すれば、もっとケネス様に喜んでいただけるかしらなどと、そんなことを考えながら。






 そろそろ二人の話も落ち着いたかと思われた頃合いを見計らって、私は礼儀正しく、しかしおどおどと頭を下げました。


「毒についてくわしく話してくださってありがとうございます。……でも、これからはキチトの臭いがしないかと、心配しながら暮らすことになるのかもしれません」


 膝の上に置いた手をきゅっとにぎりしめながらそんなことを口にすると、医者は大きく首を横に振りました。


「それも心配ありませんよ。あの毒はとても強いものですが、精製するのが面倒な上にろくな使い道がなく、とどめに解毒剤もないので、めったに見かけるものではないのです」


 私を安心させようとしているのかどこかおどけた様子で、医者は声をひそめました。私とメラニーさんが身を乗り出します。


「実は、キチトの毒は罪人の処刑くらいにしか使われないのですよ。牢獄の奥深くで厳重に管理されていますし、グレース様の身近なところにあの毒が顔を出すことなどありえません」


 臭いのきつい、珍しい毒。この情報はきっと、ミランダさんの無罪を裏付ける立派な証拠となるでしょう。その安堵をそのまま笑顔に変えて、私は医者に微笑みかけました。


「ありがとうございます、それを聞いてようやく安心できました」


 まだまだ気を抜くことはできません。けれど、私の心はここに来た時よりもずっと軽くなっていました。確実に目的に一歩近づけた、そんな気がしていたのです。

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