35.奇妙な平穏
ずっと軟禁されたままの生活には、いい加減飽きてきた。修道院には今の状況を知らせることができたし、あの夜起こったことをヘレナに伝えることもできた。あとはもう、ひたすら待つしかないだろう。
ヘレナがここに入れたのは、間違いなくウォレスの計らいだ。普通であれば、殺人未遂の容疑者が、外部の人間と面会することは容易ではない。しかも彼は「ここで話されたことは聞かなかったことにする」などととんでもないことを言っていた。
彼の行いは明らかに、一法官としての権限を越えている。このことがばれたら、彼は何らかの罰を受けることになるかもしれない。そうなるのは私としても本意ではなかった。けれど彼の真意が分からない以上、私にはどうしようもない。
「ウォレス、どうしてあなたは私に便宜を図ってくれるのかしら」
今日もいつものように取り調べにやってきたウォレスに、前置きもなくそう切り出す。彼はその涼やかな目をほんの少し見張った。私が突然話しかけてきたことに驚いているようだった。
「……便宜を図ったつもりは、ありませんが」
「いいえ、これを便宜と言わずして何というの? あなたは私が黙っていてもとがめなかったし、それどころかこっそりと情報をくれたわ。それにヘレナにも会わせてくれた」
「それは、その……」
「そのことに感謝はしているけれど、あなたがそんなことをする理由が分からなくて落ち着かないの。ねえ、どうしてなのか教えてくれない?」
こうして話しているうちに、私はあの夜のバルコニーにいるのではないかと、そう錯覚しそうになった。それくらい彼は前と変わらずに穏やかなままで、こちらに向けたまなざしからも、私に対する疑いはかけらほども感じられない。
彼はしばらく黙り込んでいたが、ゆっくりと口を開いた。
「……それにお答えしたいとは思いますが……これから話すことは、どうか他言無用にお願いできますか」
「もちろんよ。あなたの答えが聞けるのなら、それくらいお安い御用だもの」
明るく笑ってみせると、彼の目元がわずかにほころんだ。一見したところ無表情でしかない彼の、この微妙な表情を見分けるのがこのところの密かな楽しみになっていた。
私は昨日までずっと無言を貫いていたけれど、私の表情や動きに合わせて、彼は様々に表情を変えている。飛び切りの笑顔を向けてやると、彼はかすかに頬を赤らめるのだ。あの顔を思い出すだけで、ついこちらも笑顔になってしまう。
そして今の彼は戸惑いの色を見せている。けれどその表情とは裏腹に、はっきりとした声で話し始めた。
「……あの夜、私は大広間の二階に向かうフェルム公爵のすぐ後ろにいたのです」
予想外の告白に、思わず驚きを顔に出してしまった。それが面白かったのか、彼が一瞬だけ微笑んだ。
「私はあの事件の一部始終を、少し離れたところからずっと見ていました。あなたが公爵に近づいていないことを、毒を入れることができなかったことも、私は知っています」
「だったら、あなたがそう証言してくれればいいだけの話じゃないの?」
「はい、既にこの件を扱っている上の者には話しました。……ですがフェルム公爵が、貴女が犯人であると強固に主張されているのです。貴女の無実を証明する他の証拠が出てこなければ、貴女を解放することはできないと……そう言われてしまったのです」
低くつぶやいたウォレスの顔に、はっきりと苦悩が浮かぶ。薄い唇がしっかりとかみしめられて、ほんのりと赤みを帯びていた。彼がここまで強く感情をあらわにするのは珍しい。
そのあまりの痛々しさに思わず身を乗り出し、手を差し伸べる。そんな私には目もくれず、彼は痛々しい表情のままうつむいてしまった。
「申し訳ありません、ミランダ様。私は法にのっとり動く法官、その立場ゆえにそれ以上行動を起こすことはできませんでした。できることなら、今すぐにでもここから解き放ってさしあげたい……」
「何を言っているの、ウォレス。あなたは驚くほど私に良くしてくれたわ。ありがとう」
ありったけの感謝と親愛の情を込めて彼の名を呼ぶと、彼は弾かれたように顔を上げた。救いを求めるような目で、こちらを見ている。
「あなたのおかげで私は仲間に助けを求めることができたし、少々不便ではあってものんびりと過ごせている。全部、あなたが融通をきかせてくれたからよ」
「いえ、そんな大層なことはしておりません。己の無力さを恥じるばかりです」
「ずいぶん謙遜するのね。私、あなたがうっかり罰せられたりしないか、これでも心配しているのよ?」
あえて軽い調子でそう言うと、彼はほんの少し苦笑した。張りつめていた空気が、ようやく和らぐ。
「……私の行いがばれてしまったらその時はその時と、既に覚悟は決めておりますので」
真面目なのか大物なのか分からないその開き直りに私が思わず吹き出すと、彼もつられたのか笑みが大きくなった。彼は笑うと中々に魅力的なのだが、めったに見られないのが残念だ。
「だったらばれないように、祈っておくわ。それぐらいしかできないのが残念ね」
「いえ、貴女が祈ってくださるのなら、この上ない喜びです」
「あら、大げさね」
「偽りない本心ですが、大げさだったでしょうか」
彼はあくまでも生真面目に、しかしその目にほんの少しの笑いを乗せて答えてくる。私の声も、自然と明るくなっていた。お互い目を合わせて、無言で小さく笑いあう。今の私たちは、囚われの容疑者とそれを取り調べる法官にはとても見えなかっただろう。
それにしても、彼の態度にはまだまだ謎が多かった。ただ事件現場を見ていたから、という理由だけでは、中々ここまでできるものではない。きっとまだ、他にも理由があるのだろう。
彼はその理由を口にしなかった。けれど実のところ、その理由に見当がついてはいる。そうだったらいいな、という希望もそこには混ざっているけれど。
今はまだ、何も問いたださないままでいよう。いずれ、この事件が片付いてからゆっくり聞き出しても遅くはない。
そう結論づけた私は、開き直って彼と雑談を楽しむことにした。私のことをフェルム公爵夫人ではなくミランダと呼んでくれる彼との会話は、穏やかで楽しいものだった。修道院のみなと話している時のようなにぎやかさは全くなかったが、こういうのも悪くはない。
今頃、ヘレナや修道院のみなは私のために駆けずり回っているだろう。それに引き換え、私ときたら。囚われの身でありながら、殿方と楽しく語らっている。
それを少しばかり申し訳なく思いながらも、私はウォレスとの話に花を咲かせ続けた。




