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26.とうに捨てた名

 ミアとマーティンが思惑通りに駆け落ちしてからそろそろ一か月が経つ。二人は今のところ、ミアの実家でおとなしくしているようだった。今のところ、彼女たちが別れたとかそういう話は聞こえてこない。


 どうやらミアはうまいこと、マーティンを手の上で転がせているようだった。今の彼女の立場からすると、マーティンを捨てるのは得策ではないだろうし、マーティンもあそこを出たくはないはずだ。だから、あの二人のおかしな関係はしばらくは続くだろう。


 私からの手紙でことのてん末を知ったヘレナは、婚約者のロディと二人して大笑いしたらしい。知らせてくださってありがとうございました、とつづられた手紙の文字は、思い出し笑いに震えていた。


 そして懲りないみなは、こんなきゅうくつな生活は嫌だと嘆いていたことも忘れて、また退屈だと騒ぐようになっていた。なにか面白いことはないの、と毎日のように私のところまで聞きにくる始末だ。


「そんなこと言って、また前みたいにひどい目に合うかもしれないのよ?」


 そうたしなめたのだが、みなは聞く耳を持たないようだった。腰に手を当てて、憤慨した様子で口をとがらせている。


「ちょっとくらいひどい目に合ったって、ちゃんと解決できれば問題ないわよ。それよりも問題なのは、この退屈の方! ねえミランダ、何とかしてよ」


「何とかって言われても、私には何もできないわ。それにやっぱり、平和が一番よ」


 そう答えながら、にっこりと笑いかける。何も心配しなくていい日々は最高だと、そんなことを思いながら。


 しかし次の騒動が標的にしたのは、よりによって私だった。






 ある日、正装に身を固めた王宮からの使者たちがいきなり修道院を訪ねてきた。彼らは一通の書状をうやうやしく差し出してくる。あて先は『フェルム公爵夫人』となっていた。


「このたび、陛下の誕生日を祝う宴が開かれることになりました。こちらはその招待状です」


「フェルム公爵より、夫人は必ず出席するように、との言付けをうけたまわっております。後日、フェルム公爵家より正式に迎えが参ります」


 使者たちはそれだけを礼儀正しく告げると、驚くほどの速さで立ち去ってしまった。彼らはこちらの返事を聞くつもりなど、これっぽっちもないようだった。フェルム公爵夫人が宴に出席することは、彼らにとっては既に確定した事実に等しいのだろう。


 みなの反応は真っ二つに分かれた。気遣うような目で私を見ている者と、訳が分かっていないらしく首を傾げている者と。そんなみなに囲まれたまま、私は無言で招待状を見つめ続けた。両手に収まってしまう小さな封筒が、とても大きくて重たいもののように思える。


 これは、一度全員に説明しておいた方がいいだろう。私は使者たちが去っていった方をながめながら、小さくため息をついた。


「はあ……気が進まないけれど、ちゃんと説明しないといけないわね。みんな、一度食堂に集まってちょうだい」


 そう呼びかけると、すぐに全員が食堂に集まった。いつもの報告会のようにみなの視線を一手に受けながら、私は重い口を開く。


「このたび、陛下の誕生日を祝う式典に、フェルム公爵夫人が正式に招待されたわ。先ほど使者がやってきたのは、それを告げるためだったの」


 私はわずかにためらった後、言葉を続けた。


「そしてそのフェルム公爵夫人というのは……私のことなのよ」


 アイリーンがあっ、という声を上げた。彼女のほかにも、驚いた顔をしている者は多い。最近ここに来た者は、私の正体を知らないのだ。情報は共有するけれど、必要以上にお互いの過去を詮索しない。それもまた、ここの暗黙の了解だったから。


 私の夫は愛人を作り、邪魔になった私をここに押し込んだ。私が不義を働いているという濡れ衣を着せたのだ。まだ若かった私は夫の裏切りに絶望して、何一つ抵抗することなくここにやってきた。


 けれど理由があって、私と夫との婚姻関係はまだ続いていた。公的には、フェルム公爵夫人はずっと病に伏していることになっている。私は苦い過去を思い出させる自分の肩書を伏せたまま、ただのミランダとしてここで過ごしていた。


 そんないきさつを手短に説明していくうちに、みなの顔が曇っていくのがありありと感じられた。ああもう、辛気臭くなるのが分かっていたから、私の正体については伏せておいたというのに。


「その招待って、断る訳にはいかないの? ミランダだって、今さら夫になんて会いたくないでしょう」


「そうね、会いたくはないわ。……でも」


 小さなため息を一つついて、手元に視線を落とす。そこには、使者たちが置いていった招待状があった。


 私がここに送られてから、招待状など届いたことはなかった。それもそうだろう、表向きは病ということになっているし、私は一応夫を裏切ったことにされているのだ。そんな相手を、わざわざ招待する物好きなどいない。


 もちろん、親しい友人たちは私の無実を確信してくれていた。けれどそんな者たちも、修道院送りになった私を呼び戻すような真似はしなかった。真相はどうであれ、不義を働いたと思われている者が堂々と出歩いていたら、余計に周りからの心証が悪くなってしまうからだ。


「今頃になって私が呼びつけられたのには、きっと何か事情があると思うのよ。その事情を知らないまま放置しておいたら良くない、そんな気がするの」


 この招待状が届いたのには、きっと何か裏がある。私の勘はそう告げていた。


 考え込んでしまった私を気遣ってくれているのか、みな黙ったまま声をかけてくることはなかった。招待状を放り捨てたいという衝動と、裏の事情を知りたいという感情とに挟まれたまま、私はただ一人立ち尽くしていた。






 その日の夜、自室で旅の準備をしていると、控えめに扉を叩く者があった。どうぞ、と声をかけると、アイリーンがおずおずと部屋に入ってきた。


「あの……ミランダさん、大丈夫ですか?」


「どうしたの、突然そんなことを聞いてくるなんて。もちろん大丈夫よ」


 にっこりと笑いかけてみせても、アイリーンは暗い顔をしたままだった。ここの修道女たちの中でも飛び切り明るい彼女にしては珍しい。


「……大丈夫じゃないですよね。昼に昔の話をしていた時、ミランダさんはとても悲しそうでした」


「そう、あなたにはそう見えていたの」


「私たちはみんなで、今まで苦難の中にある女性たちに救いの手を差し伸べてきました。ヘレナも、ドロシーも、グレースも。ミアは……ちょっと横に置いておきますね」


 真顔でアイリーンが言った言葉がおかしくて、つい小さな笑みが漏れる。彼女はこちらに歩み寄り、すぐ近くで目を見つめてきた。


「だから、えっと……ミランダさんも、同じように救われる権利があるって、私たちはそう思ってるんです」


 しどろもどろになりながらアイリーンが発した言葉に、思わず目を丸くする。


「私たち、ミランダさんのことが心配なんです。いくらでも力になりますから、だから私たちを頼ってください!」


 笑顔で答えようとしたが、駄目だった。きっと今の私は、泣き笑いに顔をゆがめてしまっているのだろう。


 こんな顔を見られたくなくて、腕を伸ばしてアイリーンを抱きしめた。


「そうね、だったら……みんなのことを頼らせてもらうわ。みんなで立ち向かえば、怖いものなどないものね」


「はい、みんな一緒ですから! だから、大丈夫です!」


 腕の中で勢いよく叫びながら、アイリーンがぎゅっと抱き着いてくる。私たちはしばらくの間、互いに支え合うようにして立っていた。






 使者が来た数日後、予告通りフェルム家からの迎えがやってきた。支度を整えた私は、みなに見送られ迎えの馬車に乗り込む。


「それじゃ、行ってくるわ」


「……気をつけて」


 みなは言葉少なに、私を送り出した。けれどそこには戸惑いや憂鬱さはなく、ただ静かな一体感だけが満ちていた。

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