23.私たちの勝利
「……もう行った?」
マーティンが引き起こした騒動から数時間後、私たちは塔の中ほどにあるジルの部屋に集まり、外を眺めていた。修道院に続く細い街道を、点のような何かが動いているのがかすかに見える。言うまでもなく、それはマーティンとミアを乗せた馬だった。
遠眼鏡をのぞきこんでいたジルが、こちらを振り返ると大きくうなずく。
「行った。二人とも、もうこっちのことは気にしていない」
それを聞いた私たちは、腹の底から絞り出すような歓声を上げた。どれだけ騒いでも、もうあの二人には聞こえない。それだけのことがとても嬉しかった。
「ああ、これでやっと堅苦しい生活から解放されるわ!」
「もうミアに見つかる心配をせずに、のびのび過ごせるのね!」
そんなことを叫びながら、手を取り合って小娘のようにはしゃぎあう。部屋の主であるジルが渋い顔をしていたが、みなそれに構っている余裕はなかった。それだけ喜びが大きかったのだ。
「それにしても、さっきの二人のおかしなことといったらもう……笑いをこらえるのが大変だったわ」
誰かが漏らしたそんな一言が引き金になって、全員が一斉に笑い転げる。
「そうよね。マーティンはミランダの口車に乗せられて、すっかりミアを救う白馬の王子様になりきってたし」
「面白いくらい自分に酔ってたわよね。彼が単純で助かったわ」
「それに引き換えミアときたら」
笑いすぎて涙目になりながら、みなは心底愉快そうに先ほどのことを語り合う。
「あれは明らかに計算してたわよね。このまま彼に従ってここを飛び出すのと、彼を振り払ってここに残るのと、どちらがいいか悩んでる顔だったわ」
「あの時ははらはらしたわね。ミアがマーティンを拒んだら、それで計画はおじゃんですもの」
「まあ、最終的にはマーティンの誘いに乗ってくれて助かったわ」
「みんなで一生懸命、厳格な修道院を演出した甲斐があったわよね」
「たぶんあの二人、いずれまた何かでもめるんでしょうけど……それでも、ミアがここに来ることは、もうない筈よ」
「そうね、彼女本当にここにうんざりしてたものね」
「ああ、自由って最高!」
感極まった誰かが声を張り上げ、少し静まり始めていたみなの熱気が戻ってくる。
「そうだ、せっかくだし今日は宴にしましょうよ。ねえミランダ、いいでしょう?」
「まあ、今日くらいはいいんじゃないかしら」
苦笑しながらそう答える。このささやかな勝利を祝いたいという気持ちは痛いほど分かるし、無粋なことを言うつもりはなかった。
その時、首元がどことなくきゅうくつなことに気がつく。ミアとマーティンが無事に旅立ったか確認することに気を取られていたせいで忘れていたが、私たちはまだ、きっちりと厳重に修道服を着こんだままだったのだ。
堅苦しい修道服の首元をひっぱって緩め、髪をきっちりと覆い隠していた頭巾を外す。ついでに髪をほどき、いつものように無造作に垂らした。
見ると、みなも同じようにいそいそと服を着崩している。つい先ほどまでは模範的な修道女の一団だった私たちは、もうすっかりいつも通りの、自由そのものの姿になっていた。
「さあ、元の生活に戻ったお祝いを始めるわよ!」
みなが底抜けに明るい笑みを浮かべて、拳を天に突き上げる。分かったから早く出ていって、というジルの抗議の声は、みなのはしゃぎ声にかき消されてしまっていた。
それから私たちは、修道院のあちこちに隠していたものを引っ張り出し、宴の準備に精を出していた。今日ばかりは、普段の家事もほとんどお休みだ。もうマーティンの世話や警備に人を割かなくても済むし、ミアの動向を警戒しなくてもいい。そんな解放感もあって、宴の準備それ自体がお祭りのようになっていた。
「あっ、それ私の秘蔵の火酒じゃない! いつの間に引っ張り出してきたのよ!」
「いいじゃないの、けちけちしないでよ。ほら、私が隠してた上物の干し葡萄も出すから。あなた、これ好きでしょ?」
「ねえねえ、いざという時のために取っておいた塩漬け肉、使っちゃいましょうよ。お祝いなんですし」
「いいわねえ。今日は盛大に飲み食いしましょう」
「だったら今度大目に食料を持ってくるよう、出入りの商人に頼んでおかないとね。備蓄がごっそりなくなりそうだし」
「もう、せっかくの宴なのに仕入れの話だなんて、興が覚めちゃうわ」
「みんな羽目を外すことしか考えてないんだし、一人くらい冷静な人間がいてもいいんじゃない?」
「それもそうかもね。でも宴の間は一緒に騒ぎましょう」
「もちろんよ」
みな笑いさんざめきながら、手に手に酒や食材を抱えて食堂へと急いでいく。私はそんなみなをからそっと離れ、一人自室に戻った。ここの取りまとめ役である私には、もう少しだけ仕事があるのだ。
まずは、上の連中に事のてん末を説明しなければならない。ここのように貴族の関係者が入る修道院は、基本的に王宮の管理下にあるのだ。だから、修道女がいなくなった場合はちゃんと報告する義務がある。
正直な話、面倒この上ない。しかしその代わりに潤沢な予算をもらえているので、このくらいは我慢するべきなのだろう。
手紙を書く準備をしたところで、はたと手が止まった。さて、どう書いたものか。
修道女ミアを、王宮で働く男爵マーティンが迎えにきた。二人は共にミアの実家に向かい、結婚の許しをもらいに行くことにした。
裏の事情がばれないように報告しようとすると、この程度しか書くことがない。まあ、上の連中も細かいことは気にしないだろう。大まかな事実だけ伝えられれば、それでいい。
もっとも、もしもミアが無事に実家に戻れなかった場合、私たちの管理責任を問われる可能性もある。そうなったらなったで言い逃れてみせるという自信はあったが、できれば二人には無事に目的地にたどり着いて欲しかった。それでなくても二人のせいで大騒ぎをする羽目になったのだ、これ以上余計な苦労はしたくない。
信じてもいない神に二人の無事を適当に祈りながら、手紙に封をする。それを脇によけて、すぐに二通目の手紙を書き始めた。こちらはヘレナにあてたものだ。私たちに変事をいち早く伝えてくれた彼女に、一刻も早くこの結末を教えてやりたかったのだ。
ヘレナ、あなたのおかげで助かったわ。無事にミアを追い出すことに成功したのだけど、ちょっと面白いことになっちゃって……
一通目の手紙とは打って変わって、すらすらと言葉が出てくる。私は小さく笑みを浮かべながらヘレナへの手紙を書き続けた。
廊下からは、いつも以上に元気なみなのはしゃぎ声が聞こえ続けていた。




