22.(輝かしい明日へ)
修道院の地下には窓がない。昼も夜も分からないそんな一室に、僕はひと月近く閉じ込められていた。途中から日にちを数える気すらなくしてしまったので、もしかしたらもっと経っているかもしれない。
僕はこの修道院に忍び込もうとして捕まり、あの忌々しい修道女たちの手によりここに押し込められた。すぐに役人に引き渡されるかと思ったのだが、予想に反して僕はここに留め置かれていた。
修道女たちはあれこれと僕の世話を焼いていた。ここは女ばかりということもあって、僕のことが物珍しいらしい。理由はどうあれ、ちやほやされること自体は悪いものではなかった。もちろん、僕はここの女たちに気を許すようなへまはしない。ヘレナが僕のもとに戻ってこなかったのは、きっとここの連中のせいなのだから。
けれど女たちは僕の冷たい態度にもめげず、色々なものを差し入れ、僕の機嫌を取ろうとし続けていた。そうやって優雅に過ごすうち、王宮でこきつかわれる生活よりここの暮らしの方がよほどいいと、僕はそんな風に思うようになっていた。
そんなある日、修道女たちの長らしい女が僕のいる部屋を訪ねてきた。
「久しぶりね、マーティン。実は、あなたにいい話を持ってきたのよ」
ミランダと名乗った女は、優美な曲線を描く肢体を見せつけるようにして堂々と立ちながら、優雅に笑った。質素な修道服をまとっているとは思えないほどのあでやかさに、思わず息を呑んでしまう。すぐに気を取り直し、女をにらみつけた。
「どういう魂胆だ」
僕が鋭く吐き捨てると、女はまったく動じていない様子で言葉を続ける。
「男爵家のミアを覚えているかしら。彼女が今、あなたに助けを求めているのよ」
ミア、その名前には覚えがあった。どちらかというと苦い記憶だ。かつて僕と将来を誓い合ったというのに、あっさりと僕の元を離れて他の男になびいていった尻軽女。
僕の眉間にしわが寄ったのを見て、女は苦笑した。まるで子供をなだめているような、そんな表情だった。
「あなたは勘違いしているわ。彼女は他の男に強く言い寄られて、どうしても断れなかっただけなのよ。ほら、彼女ってか弱くて、とても優しいから」
言われてみればそんな気もする。僕はもう一度、ミアの姿を脳裏に思い浮かべてみた。ひどくはかなげで、とても女らしくしとやかな、それはか弱い女性だった。
もしかしたらこの女の言う通り、ミアは他の男に迫られて、押し切られてしまったのかもしれない。だとしたら、そのことに気づけなかった僕にも落ち度はあるだろう。
「……彼女が僕に助けを求めているというのは、どういうことだ」
女が先ほど口走った内容が気になり、そう問いかける。化粧もしていないのに赤く濡れた唇が、きれいな笑みの形につりあがった。
「彼女、また別の男性に言い寄られて、それが大問題になってしまったの。そのせいで彼女は修道院に送られて、一人寂しく暮らしているのよ。誰かここから助け出してって、日々嘆いているわ」
「……ずいぶんと詳しいんだな」
「だって、本人の口から聞いたんですもの。今彼女は、この修道院にいるのよ」
それを聞いて、思わず僕はミアに会いたいと思ってしまった。きっと彼女は、かつてと変わらない弱々しい笑みを浮かべ、震えながら神に祈りを捧げているのだろう。
「私たちとしても、彼女を助けてあげたいと思っているのよ。それで、あなたに声をかけたの」
「どうして、僕なんだ」
「もちろん、あなたがかつて彼女と親しい仲だったからよ。あなたの勘違いでいったんは破局したみたいだけど、彼女もあなたのことは憎からず思っていたのだし、ちょうどいいでしょう」
女の言うことには筋が通っているように思えた。しかし油断してはいけない。僕の推理が正しければ、彼女たちにはあのヘレナをすっかり変えてしまうだけの何かがある筈なのだ。
表情をこわばらせる僕に、女は小首をかしげながらさらに言葉を続けた。
「あなたにとっても悪い話じゃないと思うのよ。だってミアのところに婿入りすれば、あなたはもう王宮でこき使われなくて済むでしょう」
とどめとばかりに女が発したその言葉に、僕があらがうすべはなかった。そんな僕に、女は詳しい事情をゆっくりと語り始めた。
その次の日の朝、僕は修道院の外にいた。女に教えられた通り玄関から修道院の中に入り、礼拝堂を目指す。
勢いよく扉を開けると、まったく同じ格好をした修道女たちが一斉に振り向いた。今まで僕が見てきた彼女たちとは驚くほど雰囲気が違っていて、とても敬虔な雰囲気をまとっていた。本当に彼女たちは、罠と棒きれで僕を取り押さえたあの野蛮な女たちと同一人物なのだろうか。
あっけにとられながら、気を取り直してミアを探す。すぐに、愛しい彼女の姿が目に飛び込んできた。
「ミア、君を助けに来た!」
そう叫んで彼女のもとに駆け寄る。彼女の姿は記憶にあるものより、少しやつれているようだった。かわいそうに、彼女にはこんなところはふさわしくない。
「マーティン……様……?」
彼女の幼子のようなあどけない瞳は、驚きに大きく見開かれていた。その表情に愛おしさを覚えながら、僕は彼女の肩をそっと抱いた。
「君が大変なことになっていると聞いて、ここまで迎えに来たんだ」
「迎えに、ですか……?」
「ああ、そうだ。君がこんなところに送られて、いずれ意に染まない相手と結婚させられると、僕はそう聞いたんだ」
「それは……そうですが……」
「かつて君が僕を裏切ったことなら、もう気にしていないさ。君にも事情があったのだろう?」
懐の広いところを見せようとそう言ったのだが、ミアはまた小さく目を見開いただけで、そのまま口を閉ざしてしまった。きっと、申し訳ないと思ってくれているのだろう。そんな彼女を元気づけるように、さらに言葉を重ねる。
「さあ、僕と一緒に君の両親に会いにいこう。僕は侯爵家の跡継ぎでこそなくなったが、今でも男爵だ。きっと僕たちのことを認めてくれるさ。そうすれば君もここから出られるし、どこの誰だか知らない相手と結婚しなくて済むだろう」
ミアはまだ戸惑っているのか、目を伏せてしまった。彼女の肩にかけた手から、かすかな震えが伝わってくる。
と、ミランダと名乗ったあの女の声が奥から聞こえてきた。いかにも感心しているような、そんな声だった。
「こんなへき地までわざわざ迎えに来てくれるなんて、あなたも素敵な方に愛されたものね、ミア」
すると、その声に続くように修道女たちが口を開き始めた。あくまでも慎ましやかに、しかし妙に熱心に。
「ええ、ちょっとやそっとの覚悟でできることではないわ」
「本当に、彼はミアのことを大切に思っているのね。きっと素敵な旦那様になるでしょうね」
軽くうつむいたまま何事か考えこんでいたミアの瞳が、どこか怪しい光を放ったように見えた。けれどそれもつかの間のことで、彼女は顔を上げると僕をきらきらとした目で見つめてくる。
「ありがとうございます、マーティン様。どうか、私をここから連れ出してください」
ああ、そう口にした時の彼女の愛らしいことといったら! 僕は彼女をしっかりと抱きしめると、耳元でささやいた。
「もちろんだ、ミア。さあ、こんな忌々しいところからはすぐに立ち去ろう!」
そうして僕たちは手に手を取って、礼拝堂を後にした。手早く彼女の荷物をまとめ、ミランダが用意した馬に二人で乗って、大急ぎで彼女の実家を目指す。
僕の腕の中に確かに感じる、小さなミアの温もり。僕たちの行く手には、輝ける未来が待っているように思えた。




