21.二つの問題
院長室を出て、ミアを探す。今は各自勉強をすることになっている時間なので、彼女も自室にいる筈だ。私は迷うことなく、彼女の自室に向かっていった。
いつもの修道院であれば、誰がどこにいるのか探し出すのは至難の業だ。なんせここには細かい決まりなどないし、いつもそれぞれが好き勝手に行動しているからだ。それを思えば、今のこの状況にも少しくらいはいいことがあると言えなくもない。
「ミア、ちょっといいかしら」
ゆっくりと扉を叩くと、少し間をおいて扉がゆっくりと開かれた。中から戸惑い顔のミアが姿を現す。
「少し話したいのだけれど、入れていただける?」
「はい」
そう手短に答えた彼女の顔には、ほんのわずかであったが喜びのようなものが浮かんでいた。どうやら、一人でひたすら勉強させられるこの時間は、彼女にとってもかなりの苦痛だったのだろう。
ひどく質素な部屋に入り、空いた椅子に座る。ミアも自分の椅子に座り、いくぶん居心地悪そうにこちらに向き直った。その頬は少しばかりこけたように見えるし、目の下にはうっすらとクマができている。彼女にここの暮らしが合っていないのは、火を見るより明らかだった。
「あなたもそろそろここに慣れた頃だと思うのだけれど、どうかしら」
「はい、みなさまには良くしていただいています」
そう言いながら彼女はそっと目を伏せる。その口元はわずかにこわばっていた。これは間違いなく嘘だ。彼女はここに不満を持っている。
思わず笑みが漏れそうになるのを咳払いでごまかしながら、さらに淡々と言葉を紡ぐ。
「それは良かったわ。けれど、あなたのような未来ある若い女性がこんなところに押し込められているのはもったいないと、私は思っているの」
その言葉に、ミアははっと顔を上げた。彼女が食いついてきたのを確認し、独り言のようにつぶやく。
「あなたが幸せになるために、何か私にできることはないかしら」
今までドロシーに、グレースに、そしてヘレナにかけたのと同じような言葉を、まったく違う意図で口にした。かつて彼女たちを助けてやりたいと、力になってやりたいと思ったものだが、ミアに対しては、何でもいいからさっさとどこかへ行って欲しいとしか思えなかった。彼女の今までの所業を思えば、仕方のないことなのだが。
ミアは当然ながら、私のそんな内心を知る由もなかった。彼女は希望が見えたといわんばかりの顔で、しかしあくまでもしおらしい態度のまま小声で答える。
「いえ、お気持ちだけで十分です。ただ、もしかなうのなら……」
あくまでも遠慮しているように見せかけながら、その目は隠しようのない期待に輝いていた。
「……父との仲をとりなすのを、手伝ってはいただけないでしょうか」
そうして彼女が語ったのは、先ほどアイリーンが報告してきたのとほぼ同じ内容だった。ただし、彼女は自分が今までたくさんの男をたらしこんできたことは伏せて、あくまでも父親の怒りに触れたかわいそうな娘のふりをしている。したたかなことだ。
「ええ、考えておくわ」
「ありがとうございます!」
私の答えを聞いたミアは、今度ははっきりと顔を輝かせた。うまいこと私を丸め込むことができたと、そう思っているようだった。彼女の色香に迷った愚かな男たちと同列に思われていることは大いに心外だったが、澄ました顔で微笑む。
「それでは、そろそろ失礼するわ。お勤め、頑張ってね」
振り返ることなくミアの自室を後にする。彼女のねばつくような視線が、背中にまとわりついているような気がしていた。
その足で、別の修道女の自室に向かう。マーティンの世話役の一人が、一度話を聞きに来てくれと言っていたのだ。
「ミランダ、やっと来てくれたのね! もう話したくて話したくて、ずっとうずうずしてたのよ」
今にも小躍りせんばかりに喜びながら、世話役が私に椅子を勧める。腰を下ろしたのと同時に、世話係がせきを切ったように話し始めた。
「マーティンったら、すっかり私たちに心を許しちゃって。息子がいたらあんな感じなのかしらねえ」
ふっくらとした中年女性である彼女は、子供のようにふくふくとした手を胸に当ててそう前置きした。
「彼ね、王宮で文官として働くことにすっかり嫌気がさしていたんですって。仕方ないわよね、この間まで侯爵家の跡取りとして優雅に暮らしていたんですもの」
私も同意だ。人の上に立ち尊大に振る舞うことに慣れている彼にとって、王宮でも最下層の文官として働くということは、屈辱でしかなかっただろう。
「それで彼、一生懸命に考えたらしいの。どうしてこんなことになってしまったのか、って。でその結果、ヘレナのことを逆恨みしたみたいで」
「……何をどうしたら、そんなことになるの」
「そうねえ、ヘレナが彼の元に戻って反乱を収めるのに手を貸してくれれば、こんなことにならなかったんじゃないかって考えたみたいね」
「一度は彼女のことを捨てておいて、戻ってこなかったことを逆恨みって……つくづく、救いようのない馬鹿ね」
「ほんと男って馬鹿だけど、彼は特別馬鹿よねえ。馬鹿な子ほど可愛いとは言うけれど」
「そういうものなのかしらね。私にはよく分からないけれど……それで、彼はそれからどうしたの?」
そう水を向けると、世話係はそれはおかしそうに笑った。
「ええ、彼はヘレナのことを恨んではいたけれど、彼女のもとを理由もなく訪ねていく訳にもいかないでしょう? 門前払いされるのは確実ですから。それで彼は悩みぬいて、私たちの存在に目をつけたんですよ」
「あら、彼女の変化と私たちを結びつけるだけの頭はあったのね。馬鹿なりに頑張ったのかしら」
「そうですね。ヘレナはこの修道院に行ってからすっかり変わってしまった、彼女を変えたのは修道院に違いないって、彼は主張していましたよ」
「で、恨みの対象を私たちに向けた、ということかしら。女ばかりだからって、ずいぶんとなめられたものね」
必死に考えた末に私たちを逆恨みしたのはまあ分からなくもない。しかし単身ここに乗り込んでくるとは何を考えていたのか。彼は男性で、こちらはか弱い女性だが、それでも数が違いすぎる。実際、彼は私たちに指一本触れることすらできなかった。
頬に手を当てながら、今聞いた話をおさらいする。彼はどうしようもない馬鹿だが、賊として処罰されるほどのことは、まだしていないと思う。ただこのまま野放しにしてしまったら、逆恨みからまた何か仕掛けてこないとも限らない。そのたびに捕まえるのもわずらわしい。
ミアの件も厄介だが、こちらも負けず劣らず厄介だった。まったく、強烈な面倒ごとがまとめてやってきたものだ。
痛む頭を押さえた瞬間、ふとひらめいたものがあった。
「ねえ、ちょっと聞いて欲しいのだけど……」
こちらを興味深そうに見守っている世話係に思いついたことを話す。彼女の目は、愉快そうに細められていた。




