19.偶然にしては悪趣味
修道院に侵入しようとした男性、彼は元侯爵家のマーティンだった。その名前は、私たちにとっては思い出深いものだった。
今でもしばしば手紙をよこしてくれるヘレナ、彼女がこの修道院に送られる原因を作ったのが、誰あろうマーティンだった。彼はヘレナと婚約していながら、他の令嬢に誘惑されてヘレナを捨てたのだった。
「確か彼、領地で反乱が起きて家が取り潰されたのよね」
記憶をたどりながら、誰かがそうつぶやく。すぐに合いの手が入った。
「そうそう。でも彼は反乱を阻止しようと努力したのが認められて、新たに男爵の位を授けられた筈よ」
「たぶん、ヘレナが反乱について彼に教えたのでしょうね。自分を捨てた男なんて放っておいて完璧に破滅させちゃえばよかったのに、あの子ったら優しいんだから」
「けど男爵位って言っても、彼の場合領地もなく王宮でひたすら文官として働くだけの地位でしょ」
「ああ、そうだったわね。でも結局、どうしてこんなところに来たのかはさっぱり分からないわね。家はなくなったといっても、生活には困ってない筈なのに」
その場の全員の視線が、今しがた彼の名をつかんだばかりの世話係に注がれる。彼女は一瞬たじろいだが、すぐに胸を張った。
「ええ、任せておいて。すぐにその辺りのことも聞き出してみせるわ。……彼の正体も分かったことだし、これからはさらに説得がやりやすくなるもの。まずは彼の好物を用意して、それから……」
どこかどす黒いものを感じさせる低い笑い声を漏らしながら、世話係が立ち去っていく。ただ待つしかないのはもどかしいが、ここは彼女たちに任せるしかない。
その場を解散しようとした時、今度は塔に続く上り階段から、大きな足音が勢いよく駆け下りてきた。
「どうしたの、シャーリー。顔色を変えて」
塔から駆け下りてきたのは伝書士の孫娘シャーリーで、その手には一通の手紙が握られていた。彼女は私の姿に気づくと、まっすぐに駆け寄ってきた。息を弾ませながら手紙を差し出す。差出人はヘレナになっていた。
シャーリーが手紙を持ってきたということは、この手紙には急ぎの用件が書かれているのだろう。普通、手紙の類は荷馬車で運ばれることが多い。特別に訓練された鳥を飼っている伝書士が活躍するのは、主に急ぎの手紙をやり取りする時だ。ドロシーの件でアレックスと連絡する際にも、彼女たちは目覚ましい働きを見せてくれた。
ヘレナが伝書士を介して手紙を送ってきたのは初めてだ。そのことに嫌な予感を覚えつつ、慎重に手紙を開封する。
いつも長文の手紙をよこしてくれる彼女にしては珍しく、その手紙にはたった一言だけが書かれていた。
『ミアがそちらに行くことになりました。気をつけてください』
私がその手紙を読み上げると、さっきまで陽気に騒いでいたみなが不快感を露わにした。
「ミア……って、男爵令嬢のミアよね? こんな偶然ってある?」
先ほど話題になっていたマーティン、かつて彼を誘惑したのがミアだったのだ。彼女のせいでヘレナは苦しんだ。そのことを、私たちは忘れてはいない。
「彼女はマーティンをさっさと捨てて、うまいこと逃げたって聞いてたけど」
「でもこの間、性懲りもなく婚約者がいる男性に手を出したって小耳に挟んだわ」
「じゃあ、そこで何かへまをしでかしたのかしら。そうでもないと、修道院送りになんてならないしね」
「そういえば、最近彼女のふしだらな行いが目につくようになったって、外の友人から聞いたわ。もしかしたら、ほとぼりを冷ますために一時的に修道院にこもることにしたのかも」
それぞれがてんでに知っていることと推測とをごっちゃにして話し始めている。私はそれらに耳を澄ませてから、静かに口を開いた。
「いずれにせよ、彼女が来るというのなら警戒した方がいいでしょうね」
また騒ぎ出していたみなが私の一言でぴたりと黙り、こちらを見た。
「ミアは次々と男をとっかえひっかえして、たくさんの女性を泣かせてきたわ。私たちの仲間、ヘレナもその一人。言わばミアは、私たちの敵よ」
みなが一斉にうなずく。私は次第に声が大きくなっていくのを自覚しながら、さらに言葉を続けた。
「彼女には、この修道院の真の姿を知られる訳にはいかない。みなで力を合わせて、できるだけ穏便に、そして速やかに、彼女をここから追い出しましょう」
そう締めくくると、全員から力強いうなずきが返ってきた。これからの困難に、みなで立ち向かっていくのだ。そんな決意がみなの目にはあふれていた。
それからは急に忙しくなってしまった。ミアが来るという正式な通達はまだ受けていないが、それでも私たちに残された時間はあまり長くない。ヘレナが知らせてくれなければ、後手に回るところだった。彼女には感謝しなくては。
まずは修道院の中を一通り調べて、普通でないものは片っ端からしまい込んでいく。強い酒、ぜいたくな装飾品、少々刺激的な書物、そういったものだ。おかげで、修道院の中がずいぶんとすっきりしてしまっていた。
もっとも私たちのうち誰一人として、普通の修道院がどういったところなのか分かってはいない。だからこの取り締まりも、とにかく質素で、飾りけのない感じになればいいだろうといった程度のものだった。
修道院の外に張り巡らされているジルの罠についてはかなり悩んだが、そのままにしておくことにした。罠の取り外しには時間と手間がかかるし、そもそも罠は修道院の外側にしかない。ジルとの火花飛び散る話し合いの結果、そんな結論に落ち着いた。
それと同時に、ミアについての情報を集め直した。みなは大張り切りで、いつも以上に精力的に情報を集め始めていた。
伝書士が過労で倒れはしないか、それだけは心配だった。シャーリーが「うちのばあちゃんはたくましいので、これくらいなら何でもありません。あ、でも何か精のつくものを差し入れてもらえると嬉しい、と言ってました」と教えてくれたので、特製の薬草酒を差し入れることにした。料理好きたちが共同で開発した一品で、効き目はみなのお墨付きだ。私は飲んだことがないが、とにかく良く効くらしい。色々と。
一番頭が痛いのはマーティンのことだった。ミアと彼を会わせてしまっては、彼の口からここの実態がばれてしまう可能性がある。地下牢に続く廊下には、常に見張りを立てることになった。凶暴な賊を捕えているから、いずれ役人が引き取りにくるまで近づいてはならない。ミアにはそう言い聞かせればいいだろう。
そうこうしているうちに、あっという間にミアが来る日になってしまった。私は数名の修道女を連れ、玄関のすぐ内側でミアを待ち受ける。
「いよいよね。みんな、手筈通りに」
小声でささやく私の目の前で、ゆっくりと玄関の扉が開いた。




