13.恋の話はにぎやかに
いつものように廊下をぶらぶらと歩いていると、通りすがった修道女が意味ありげな笑顔を向けてきた。
「ミランダ、あなたどんな手を使ったの? グレースが見違えるように可愛らしくなってしまって」
「秘密よ」
そう答えて片目をつぶると、彼女はいつか口を割らせてみせるからね、と楽しげに笑いながら立ち去っていった。手を振って見送りながら、グレースのことを思い出す。
私が与えたとんでもない助言を、グレースは真面目に実行していた。そしてその結果、彼女はわずか十日足らずのうちに、誰に対しても自然な笑顔を向けられるようになっていたのだ。ちょっとした思いつきだったのだが、まさかここまでうまくいくとは思わなかった。
笑いをかみ殺しながら廊下をさらに歩いていると、ちょうどグレースに出くわした。彼女は私の顔を見ると、すぐに輝くような笑顔を浮かべてみせる。つられて笑顔になりながら、彼女に声をかけた。
「グレース、頑張っているみたいね。うまくいっているみたいで良かったわ」
「全部、ミランダさんのおかげです。……あの提案をされた時は、さすがに驚きましたけれど」
私がグレースにした提案、それは「話している相手を私だと思え」というものだった。彼女は「私をケネスだと思って話せ」という指示に、それは見事に従ってみせた。だったら同様に、話している相手を私だと思うこともできる筈だ。
どういう訳か彼女は私には心を開いていて、素の顔を見せてくれている。だったらもう思い込みでもなんでもいい、どうにかしてこの顔を他の人に見せることができればいいと、そう考えたのだ。
そうして彼女は私の期待に応えてくれた。というよりも、彼女は案外演技に向いているのかもしれない。演じるというよりも、役になりきるたちの役者を思わせるところがある。
自然な笑顔をあちこちで見せられるようになったからなのか、彼女からは最初の頃のようなかたくなさが消えていった。そんな彼女をみなは仲間として快く受け入れ、彼女もみなから様々なことを学ぶようになっていた。
だが、この交流は一筋縄ではいかなかった。がちがちに生真面目なグレースと、自由気ままで奔放なここの女たち。まるで真逆のこの二つが混ざりあった結果として、誰も予想していなかったちょっとした騒動が起こってしまったのだ。
「ミランダさん、ちょっと愉快な……じゃない、大変なことになってますよ」
そんなことを言いながら、アイリーンが私の部屋にひょっこりと現れた。その顔には緊張のかけらもなかった。むしろ、面白がっているようにしか見えない。
「本音がはみでているわよ、アイリーン。さて、何が起こっているのか聞かせてもらえるかしら」
おそらく緊急事態ではないだろう。のんびりと彼女に向き直ると、彼女は一瞬だけ考え込み、私のすぐそばまで駆け寄ってきた。
「説明するより、実際に見たほうが早いと思うんですよ。案内しますから。ほらこっちです」
「はいはい、分かったから押さないの」
アイリーンはそう言いながら、私の後ろに回って背中を押してくる。子供のようなその振る舞いに苦笑しながら、私は問題が起こっているという場所に足を向けた。
飛び跳ねるように私を先導するアイリーンに連れられて、食堂に足を踏み入れる。そこで繰り広げられていた光景は、まったくもって想像を超えるものだった。
まだ昼過ぎだというのに、食堂には多くの修道女が押し合いへし合いしていて、そしてなぜか陽気に酒を酌み交わしている。食事の時に飲むような軽いワインではなく、きつい酒精の匂いがする。いくらここが自由だといっても、限度というものがある。ここまで羽目を外しているのは珍しい。
「これはいったい何の騒ぎなの?」
とがめるような私の問いに、すっかり上機嫌になった声が答えを返してきた。
「今、みんなでグレースの話を聞いていたところなのよお」
「そうそう。ケネスについて彼女がどう思っているか、詳しく知っておく必要があるでしょう?」
「お茶でも飲みながら、とも思ったんだけど、それだと堅苦しくなっちゃうでしょ」
「だから、酒盛りにしたの。お酒は肩の力を抜くのにちょうどいいしねえ。みんなでわいわいやってるほうが、きっとグレースも話しやすいだろうって思ったのよ」
「大丈夫、節度は守ってるから。あくまでも淑女らしく、ね。うふふふ」
筋が通っているような、いないような。目の前の事態をどうしたものかと考えている私の目の前に、今度はグレースがひょっこりと姿を現した。頬は赤く染まり、両手で酒の入った酒杯をしっかりとつかんでいる。彼女にしては珍しく、天真爛漫な笑みを顔いっぱいに浮かべていた。
「あっ、ミランダさん、ごきげんよう」
「ごきげんよう、グレース。……ごきげんが良すぎるようにも思えるけれど」
「はい、私今とっても楽しいんです!」
明るい声でそう答える彼女は明らかに酔っぱらっていたが、それでも礼儀正しさを失っていないのはさすがだった。
「そうだ、ミランダさんも聞いてください、ケネス様のこと。あの方は、本当に素敵な方なんです」
私の返事を聞くより先に、彼女は語り始めてしまった。楽しそうな笑みを浮かべたみなが冷やかしの声を上げる。
「初めてケネス様に会ったのは、友人が開いたお茶会でした。友人といってもそこまで親しくはなかったので、私はずっと静かにしていたんです」
その光景が目に浮かぶようだ。和やかに談笑する人々の中で、背筋を伸ばしたまま静かに、そして上品にお茶を飲んでいるグレース。
「けれど、ずっとそうしているのも疲れてしまって……私は、息抜きにその場を離れ、庭を見にいったんです。ちょうど薔薇が花盛りでしたから」
グレースが酒杯を置き、両手の指を組み合わせてうっとりと宙を見つめた。はやしたてるみなの声が大きくなる。
「美しい薔薇の花に顔を寄せ、かぐわしい香りをいっぱいに吸い込みました。思わず目を細めたとき、横から声をかけられたんです。『やっぱり君は、笑顔の方が可愛いね』って」
ケネスのせりふに重ねるようにして、きゃあきゃあという黄色い声がわきあがった。みな、彼女の話を相当面白がっているらしい。
「あんなことを言われたのは初めてでした……あの瞬間、ケネス様のことしか見えなくなってしまいました。きっとあれは、一目惚れというものだったのでしょう」
彼女は遠くを見つめ、目を細めるとほうと甘いため息を漏らした。すっかり自分の世界に入ってしまっている。
「その後、親がケネス様との婚約の話を持ち掛けてきた時、これは夢ではないかと思いました。こんな幸せな偶然があっていいのかと」
「いいえ、きっとあなたとケネスとの出会いは運命だったのよお」
「だから、あなたたちが幸せになるのも運命なのよねえ」
すっかり酒の回ったみなが、若干ろれつの回らない口でやんややんやとはやしたてる。グレースはさらに顔を赤くして、もじもじと恥じらった。
「……これはこれで楽しそうだし、好きにさせておきましょうか」
ぽつりとそうつぶやくと、すぐ後ろからアイリーンが同じように小声で答えてきた。
「明日あたり、グレースが自己嫌悪でへこみそうな気がするんですけど、いいんですか?」
「もう手遅れよ。こうなった以上、変につつかずにそっとしておいてあげましょう」
「了解です。でも、素敵な話が聞けてよかったです。グレース、幸せになれるといいですね」
小走りで食堂を立ち去っていくアイリーンの背中を見ながら、私も彼女と同じことを思っていた。背後からは、幸せそうに笑うグレースの声が聞こえていた。




