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11.二人の打ち明け話

 この時間なら、グレースはまだ礼拝室にいる筈だ。礼拝室をそっとのぞくと、思った通りグレースは一人で静かに祈りを捧げていた。凛としたそのたたずまいと相まって、神聖な宗教画のような光景だった。


「……あ、ミランダさん、何か御用でしょうか」


 私に気づいたグレースが祈りを中断し、こちらを向く。私は彼女の近くの長椅子に腰掛け、正面から彼女を見据えた。


「……一度、話しておこうと思ったのよ」


 私の声に真剣なものを感じ取ったのか、グレースが背筋を伸ばす。もともとこれ以上ないほど姿勢の良かった彼女だが、そうするとさらに気の強そうな印象が強調されてしまっていた。


「あなたはケネスを愛していると言ったわ。けれどケネスは女性にとても甘い。そんな彼とこのまま結婚して、あなたは幸せになれると思っているの?」


「それは……私さえ、我慢すれば」


「そうやって我慢しても、報われるとは限らないわ。……私が、そうだったから」


 突然の告白に、グレースがはっとした顔になる。そんな彼女を直視するのが少しだけつらく思えてしまい、そっと目線をそらした。そのまま、ゆっくりと打ち明け話を始める。私があまりにも若かった頃の、愚かな思い出話を。


「私、これでも昔はあなたと同じ貴族の令嬢だったのよ。親の決めた相手のところに何の疑いもなく嫁いで、そして……不幸になった」


 彼女がこちらを食い入るように見ているのが、その気配だけでもよく分かる。私は何とも思っていないふりをして、話を続けた。


「夫は女癖が悪かったけれど、私は黙って耐えていた。いつか私の方を振り向いてくれるんじゃないかって、そう思っていたから」


「でも……」


 グレースが言いかけて止める。そうなのだ。私がここにいるということは、私が夫と幸せになれなかったという、何よりの証拠だ。


「結局夫は愛人を作って、邪魔になった私をここに放り込んだ。その頃にはもう夫のことはこれっぽっちも愛していなかったけど、ああも邪険にされるとさすがに辛かったわね」


「ミランダさんみたいな人にそんな仕打ちをするなんて、その夫はひどい方です」


 いつの間にか、グレースは静かに泣いていた。口を堅く引き結んで、どこかをにらみつけるようにして。彼女が私のために泣いてくれることが、とても嬉しかった。


 けれどいつまでも場を湿っぽくしておきたくはない。それに、私がここにきた目的をまだ果たせていない。私はあえて軽い調子で、彼女に尋ねた。


「はい、私の内緒話はこれでおしまいよ。私ね、こんな目に合う人を少しでも減らしたいの。だから、どうにかしてあなたにも幸せになって欲しいのよ」


「……はい、ありがとう……ございます」


「ねえグレース、どうしてあなたがそこまでケネスのことを思っているのか、良ければ教えてくれないかしら。まずは、あなたの思いを知りたいの」


 彼女は涙をぬぐい小さくうなずくと、どこか沈んだ口調でよどみなく答えた。


「私、ケネス様に初めてお会いした時に、褒めていただいたんです。笑顔が可愛いねって。そんな風に言われたのは、初めてでした」


 きっと彼は、他の令嬢たちを相手にしている時と同じように何気なく褒めたのだろう。しかしその一言が、純粋なグレースの心をがっちりと捕えてしまった。全く、罪作りな男だ。グレースはまだ真剣な顔をしていたが、その頬にはわずかに赤みがさしていた。


「それで、あなたは彼と別れる気はないと言ったのね。ねえグレース、あなたの望みは何? ケネスが浮気をやめること? あなただけを見てくれるようになること?」


「そんな大それたことは思っていません。ケネス様はみなから好かれているお方ですし、私が独占するなんて」


 私の言葉をすぐさま否定してみせた彼女は、ふと寂しげに笑った。ゆっくりとうつむいて小声でつぶやく。私に聞かせるためではなく、自分自身に言い聞かせるように。


「でも、少しだけわがままを言うことが許されるのなら……私は彼の一番になりたい。彼が他の女性と親しくしていても、動じることなく笑っていられるだけの、自信が欲しい」


 ああ、ようやく彼女の望みが聞けた。恋する乙女の、なんともいじらしい望みだ。


 先走ってケネスをとっちめなくて良かったと、心の中で大きくため息をついた。顔を上げて彼女の目をしっかりと見つめ、安心させるように言葉を紡ぐ。


「グレース、この修道院は追放された女たちの楽園なの。そして、苦しむ女性たちに手を差し伸べたがる、そんなおせっかいやきの修道女たちが集まっているの」


 私の言葉に、彼女はぎこちないながらも笑みを浮かべた。その両肩に手を置いて、にっこりと微笑んでみせる。


「だから、一緒に頑張りましょう。あなたが彼と結婚して、その上でしっかりと幸せをつかみとるために」


「……はい」


 どこか照れ臭そうに笑う彼女の手を取って、私たちはみなの待つ食堂に歩いていった。






「みんな、やることの見当がついたわよ!」


 グレースの手を引いたまま食堂に戻りそう宣言すると、久々にみなから歓声が上がった。いつもより声量が大きい。その声に負けないように、こちらも声を張り上げる。


「まずは、ケネスの女癖を何とかすること。正確には、彼に女性が近づきにくくすること」


 私が指折り説明すると、みながうんうんとうなずく。グレースはまた元の澄ました表情に戻っているが、ほんの少し目が興味深げに見開かれている。


「そしてもう一つが、ケネスをグレースにべた惚れさせることよ!」


 勢いよくそう叫ぶと、みなは一瞬きょとんとした後、握りこぶしを上に突き上げた。


「なるほど、グレースを改造するのね!」


「改造だなんて人聞きの悪い、特訓とかレッスンとか、そういうのでしょ」


「どっちでも同じよ」


 乗り気になって大騒ぎするみなをあ然とした顔で見ていたグレースが、ぎこちなくこちらを見た。


「あの、私……どうなってしまうのでしょうか?」


「大丈夫よ。心配しないで」


 顔を寄せ合ってささやきあっていると、修道女が三人進み出てきた。どうもグレースに用があるらしい。


「ねえグレース、ケネスのことなんだけど……ちょっとした嘘の噂を流せば、彼に近づく女性を減らせると思うのよ。ただ……」


「……ちょっとその噂の内容が、ね。ありきたりなものじゃ意味がないから、ちょっと過激になっちゃいそうで」


「あっ、もちろん、彼の家名とかには傷がつかないようなものを選んだのだけど……」


「どうしたの、歯切れが悪いわね。ちょっとその噂を聞かせて。それから判断するから」


 口ごもる彼女らをせっついて、グレースと二人して噂の内容に耳を傾ける。聞いているうちに、グレースの顔が真っ赤に染まった。今までで一番赤いかもしれない。


「……確かに、効果はありそうね。問題があるとしたら、ケネスだけでなくグレースも若干妙な目で見られかねないってことだけど……」


「それで、お願いします。ケネス様に近づく女性を減らせるのなら、私の名誉など……!」


 相変わらず真っ赤になったまま、グレースが力強くうなずく。今まで彼女が見せなかったそんな様子に、みなは優しく笑いながらうなずき返していた。

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