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10.悩める乙女の恋心

 針一本落としても聞こえそうな静寂の後、みなから猛烈な歓声が上がる。グレースの予想外の言葉に驚きを隠せなかったのだ。それもそうだろう、彼女は浮気性の婚約者のことを愛していると言い切ったのだから。


 しかし私は、そんなグレースの表情が気になっていた。恥じらっているのは確かなのに、それがさっぱり見て取れない。どうやら彼女は、恐ろしく感情表現が苦手な女性のようだった。


 そしてもう一つ。彼女は婚約者であるケネスのことを愛していると言った。彼女がそう腹を決めているというのなら、どうしてヘレナは『友人を助けて』などと言ったのだろうか。どうしてグレースは、ここに来ることにしたのだろうか。


 グレースが何らかの問題を抱えていることは間違いない。それを聞き出すことなしに、私たちが彼女にしてやれることはない。


 けれど彼女の守りは堅い。しかも、彼女は周囲で騒ぐ修道女たちに戸惑っているようだった。そのせいで、余計にかたくなになっているように見える。


「……そう。あなたの気持ちは分かったわ、グレース。ひとまず、あなたが滞在する部屋を教えるから、ゆっくりと休みなさいな。細かい話は、また今度にしましょう」


 この場を仕切り直そうとそう言うと、グレースはわずかにほっとしたような顔をした。落ち着き払っているように見えた彼女も、やはり慣れないこの状況に緊張していたらしい。年頃の女性らしいそんな仕草に、思わず笑みがこぼれた。


「ええっ、もう解散なの?」


「もうちょっと話を聞きたかったのだけれど……」


 周囲からの未練がましい声を無視しながら、私はグレースを連れて食堂を出た。






「ここがあなたの部屋よ。何か困ったことがあったら、気軽に尋ねて。みんなあなたに力を貸したくてうずうずしているし、何でも教えてくれるから」


 グレースを部屋に案内すると、彼女は質素な室内をぐるりと見渡して、ためらいがちに口を開いた。


「ありがとうございます。……ヘレナから聞いていた通り、ここの方々は親切なのですね」


「素直に言っちゃっていいのよ、おせっかい焼きばっかりだって」


 私が冗談めかしてそう言うと、やっとグレースは小さく笑った。先ほどまでの堅苦しい雰囲気が消え、ひどく可愛らしい表情になる。


「あら、あなたって笑うととても可愛いのね」


 ついうっかり口をすべらせると、彼女ははっきりと顔を赤らめた。今までで一番、感情がはっきりと表れている。


「可愛いだなんて、そんな……」


「自信を持ちなさいな。まるで花が開くような、素敵な笑顔だったわよ」


 恥じらいながら目をそらすグレースがあまりに可愛らしかったので、ついつい言葉を重ねてしまう。彼女は困ったように胸に手を当てて、せわしなく目線をさまよわせながら小声でつぶやいた。こうしていると、ごく普通の令嬢そのものだ。


「……あなたは、少しだけケネス様に似ています」


 おや、浮気男に似ているだなんて心外だ。そんな思いが顔に出てしまったのだろう、グレースはあわてた様子で首を振った。


「あ、いえその、悪い意味ではなくて。……彼も、そうやって私の笑顔を褒めてくれたんです」


 そう言いながらこちらを見つめてくる彼女の表情は、まさに恋する乙女そのものだった。私が若い男性であったなら、一目で彼女に好意を持ってしまっただろう。そう断言できるほど見事な表情だった。さっきまでの取り付く島もない姿とは大違いだ。


「ふふ、あなたは本当に、ケネスのことが好きなのね。……いずれ気が向いたら、あなたの悩み事を話してちょうだい。私たちは、あなたの力になりたいのよ」


 私の言葉にうなずいている彼女は落ち着きを取り戻しているようだったが、その頬にはさっきの熱の名残がうっすらと浮かんだままだった。






 グレースもまた、例にもれず私たちの暮らしぶりに驚いていた。こちらも打ち合わせ通り、いつもよりずっと慎ましく過ごしていたというのに、彼女は毎日のように切れ長の目をまん丸にしていた。私たちが普段の姿をそのまま見せてしまったらきっと、彼女は卒倒してしまうに違いない。


 そう思えるほどに、彼女は模範的な修道女として過ごしていた。毎日規則正しく生活し、空いた時間は小さな礼拝室に通って神に祈りを捧げたり、静かに読書をしている。礼拝室が正しく利用されるのは何年ぶりだろうか。いつもこの礼拝室は、みんなの社交場の一つとしてしか使われていないのだ。


 今日も彼女は礼拝室にこもっている。私たちは食堂に集まり、彼女に見つからないようにこそこそと話し合っていた。


「……ねえ、誰か彼女の悩みを聞けた?」


 一人が発したその問いに、全員が難しい顔で首を横に振る。


「ひとまず、ケネスの方の情報を整理しておきましょうか。彼女の悩みが分かった時に、すぐに動けるように」


 なぜか小声になりながら私がそういうと、今度は全員が神妙な顔で首を縦に振った。そしてすぐに、様々な情報がやり取りされ始める。ひそひそと小声でささやきかわす声が、食堂に満ちていった。


「ケネスの屋敷に勤めているメイドから聞いたのだけれど、彼って女の子に甘い割に、一線を越えたことはないみたいなのよ。意外だったわ」


「女の子に誘われるとほいほいついていっちゃうみたいだけど、自分から女の子を誘惑したことはないみたいね」


「つまり、お茶会や舞踏会には気軽に顔を出しまくる癖に、手は出さないってこと?」


「そうみたいね。とにかく、可愛い女の子と気軽にたわむれていたいっていうだけの男みたい」


「それはそれで、たちが悪い気もするのだけど」


 その言葉に、私は片眉をつりあげた。その情報が真実なら、ケネスについての評価を改めるべきかもしれない。女癖が悪いのは事実だが、思っていたよりはましだったのかもしれない。


「それでも、彼の行いがグレースを苦しめていることは確かなのだし、最悪の場合彼をとっちめることも想定しておかなくてはね」


 私がそうまとめると、みなは複雑な表情になり互いに顔を見合わせた。


「駄目男をとっちめるのは胸がすくけれど……」


「そうなると、グレースはきっと悲しむわよね。彼のことをとっても愛してしまっているみたいだし」


「彼女、恐ろしくお堅くて真面目だけど、悪い子じゃないものね」


「できれば他の方法で解決したいわ」


 みなは口々にそんなことを言いながら、なぜかこちらを恨みがましい目で見てくる。これでは私が悪者だ。仕方なく反論する。


「私だって、グレースには幸せになって欲しいわ。でも、彼女の悩みが分からないことには動きようがないもの」


「だったら、ミランダさんがグレースに聞いてみたらいいと思います!」


 アイリーンが勢いよく立ち上がりながら主張する。すぐに、私以外の全員がそれに同意した。


「えっ、私が? ……あなたの方が年も近いし、適任じゃないかしら」


「私は警戒されてますから。グレースは真面目過ぎて、私とは合わないみたいです」


 小さく舌を出しながらアイリーンが笑う。確かに、人懐っこくてぐいぐいと迫るアイリーンは、グレースとはあまり相性が良くないかもしれない。


「だからここはミランダさんの出番です。彼女、ミランダさんに一番心を開いてますから」


 その言葉に、またそうだそうだと同意の声が飛ぶ。そう見られていたことに驚きながらも、少し嬉しく感じていたのも事実だった。


「分かったわ。だったらこれから、彼女に会ってみる」


 だから私にしては珍しく、そんなことを即答してしまっていたのだ。

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