9.さらなる難問
ドロシーの問題が無事に解決し、私たちはどこか物足りない日々を送っていた。相変わらず毎日のように噂話を集めてはいるのだが、どうにも張り合いがない。
「ミランダ、また何か面白そうな騒動はないの……?」
こんなどうしようもない質問をされることも一度や二度ではなかった。それほどに、みなは新しい刺激に飢えてしまっていたのだ。
午後の気だるいひと時、食堂に顔を出すと数人の修道女がぐったりと椅子に腰かけていて、力のない声でだらだらと話し込んでいた。
「また、何か興味深い騒ぎが起こらないものかしら……」
「ドロシーの時は本当に面白かったわね……」
「あなたたち、騒動が転がり込んでくるということは、それだけ誰かが不幸になっているということよ。他人の不幸を喜ぶなんて、はしたないわ」
「今さらじゃない。私たちが毎日集めてるゴシップ、あれなんかもろに他人の不幸話じゃないの」
「ああ、退屈だわ……」
彼女たちは机に突っ伏したり天井を仰いだりしたまま動かない。私が近づいたことに気づいても、小さく声を上げるだけだった。本格的に退屈を持て余した結果、何もしたくなくなってしまっているらしい。
微動だにしない彼女たちにいたずらっぽく笑いかけ、手にしたものを見せつける。大きさの割に妙に分厚く、上品な字がきちんと並んでいる封筒を。
「ミランダ、どうしたのそれ……?」
「もしかして、また手紙が来たの!?」
「誰から誰から!?」
今までぐったりとしていたのが嘘のように、彼女たちは飛び起きて顔を近づけてくる。私は苦笑しながら口を開いた。
「臨時の報告会を開くから、みんなを集めてちょうだい」
そう言うが早いか、全員が驚くほどの速さで立ち上がり、食堂を飛び出していった。
その手紙は、またもヘレナからのものだった。興味津々でこちらを見ているみなの前で、手紙を読み上げる。
『ミランダさん、修道院のみなさま、ドロシーを助けてくださってありがとうございました。どれだけ感謝しても足りません』
彼女の喜びは、その簡潔な文面からもはっきりと伝わってきた。みなの間から親愛に満ちた笑いがこぼれる。
『ドロシーから、みなさまの話を聞きました。彼女を救うためにみなさまが立ててくださった、数々の愉快な作戦についても』
その言葉に、あの時は楽しかったわね、というささやきがあちこちから聞こえてきた。確かにああやってみんなで計画を立てて実行するのは、とても楽しかった。可愛いドロシーの幸せのためとあっては、なおさらだった。誰かの役に立つということがこんなにも力を与えてくれるのだと、心の底からそう思えた。
それからヘレナの手紙は、いつものように様々な世間話を語り始めた。彼女が伝えてくれる社交界での噂話にみなは一層楽しげに笑いながら、その実必死に耳を傾けていた。
そんな世間話の後、手紙の最後に書かれていたのはいつぞやと同じ文句だった。
『幾度も同じことをお願いするのは心苦しいのですが、私の友人をどうか助けてください』
次の瞬間、辺りに力強い歓声が響き渡った。みなの顔にはもう、退屈はかけらほども浮かんでいなかった。
ヘレナの手紙が来てからしばらく経ったある日、一人の女性がやってきた。次の新入りである彼女の名はグレース。一分の隙も無い淑女の鑑のような身のこなしが目を引く、厳格で高潔な雰囲気の女性だった。彼女はヘレナやドロシーと同世代なのだが、そうとは思えないほど落ち着き払っている。
「初めまして、グレースと申します。花嫁修業の一環という名目で、こちらに参りました。これからひと月の間、よろしくお願いいたします」
折り目正しくあいさつをする彼女を食堂の椅子に座らせる。満面の笑みを浮かべたみながすぐに彼女を取り囲んだ。かつて同じ目にあったヘレナは驚きに目をむいていたし、ドロシーは泣き崩れていたものだが、グレースは顔色一つ変えなかった。
「ようこそ、修道院へ」
「ここは追放された女たちの楽園よ」
「私、追放されていませんから」
新入りへのお決まりのあいさつを、グレースは途中でぴしりと遮った。満面の笑みを浮かべた修道女たちにぎっちりと囲まれているという事実も、歌うような私たちのあいさつも、彼女の理知的なたたずまいを崩すことはできなかったらしい。
それですっかり調子が狂ってしまったみなが、どうする? といった表情でこちらを見てくる。やれやれ、結局面倒ごとは私に押し付けるらしい。取りまとめ役なんていったって、要は体のいい雑用係だ。
そんな風に心の中でぼやきながら、私は彼女の前に進み出た。グレースは切れ長で知性を感じさせる目が印象的な美少女だが、いかんせん気が強すぎるように見えるのが玉にきずだ。もしかしたら、本当に見た目通りに気が強いのかもしれないが。
「ようこそ、グレース。私はミランダよ。ちょっとあなたと話したいことがあるのよ。いいかしら」
「はい」
そう答える言葉も、無駄がなく礼儀正しいものだった。しかしそこには、何らかの感情はかけらほども見えてはこない。これは厄介な子が来たかもしれないと思いながら、私たちはこっそり目でうなずきあった。
しかし、まずは状況を確認しなければ。椅子を引っ張り出してグレースの正面に腰かけ、真正面から彼女の目を見て尋ねる。
「グレース、あなたは伯爵家の令嬢で、他の伯爵家の跡取り息子ケネスとの婚約が決まっている。けれどあなたはケネスのことで悩んでいる。そうよね?」
「……はい」
ほんの少しだけ、ためらったような答えが返ってきた。そこを逃がさず、一気に畳みかける。
「具体的には、ケネスの女癖に困っている。それをヘレナに相談したところ、ここに来るよう勧められた。こんなところかしら」
「はい、そうです」
ここでようやくグレースの鉄壁の守りにひびが入った。彼女はわずかに目を見張ると、唇をそっとかみしめたのだ。
しかし私がそれ以上追及するよりも早く、周囲のみながざわつき始めた。てんでに、ケネスについて知っていることを口にしている。
「ケネスってやたらともてて、女の子の方が放っておかないって聞いたことがあるわよ」
「美形すぎると逆にもてなかったりするんだけど、その点ケネスはほどよい美形らしいわね」
「彼、女の子とみると甘い顔をするって聞いたことがあるわ」
「なるほど、つまり彼はやっと婚約が決まったというのに、婚約者をほったらかしでよその女とよろしくやっている、ということね」
「だったら、そんな婚約は破棄してもらってさっぱりした方がいいんじゃない?」
「違います!」
みなのお喋りが勢いづいてきたその時、いきなりグレースが大声で否定してきた。あっけにとられたみなが目を丸くして見つめる中、彼女はわずかにうつむくと静かに言葉を付け加えた。
「私は……ケネス様のもとに嫁ぎたいと思っています。婚約破棄など、絶対に考えられません」
「グレース、それはどうして? 親が決めた婚約を破棄して、親をがっかりさせたくないからかしら?」
「それも、違います」
私の問いをきっぱりと否定すると、グレースはそのまま口を閉ざしてしまった。何を言えばいいのか、考え込んでいるように見える。みな黙りこくったまま、彼女に注目していた。
「私は……ケネス様を、愛しているんです。彼との婚約が決まった時、とても嬉しかった」
その瞬間、人であふれていた食堂は水を打ったように静まり返った。




