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8.(これにて一件落着)

 それから数日、私はドロシーと共にアレックス様の屋敷にとどまりながら、ひたすらじっと待っていました。修道院のみんなの読みが当たれば、すぐに次の動きがある筈です。


 幸い、そう長く待たずに済みました。三日後の夜、いきなり屋敷の玄関が騒がしくなったのです。


「ドロシーを出せ、ここにいるのは分かっているんだ!」


 静かな屋敷に響き渡る、聞き覚えのある腹立たしい声。間違いありません、ドロシーの父親です。しかしアレックス様は伯爵家の遠縁の方で、ドロシーの父親は男爵家の当主です。


 アレックス様がいずれ伯爵家を継ぐことを伏せておいたとしても、二人の立場は大体対等といったところでしょうか。それにしてはドロシーの父親は偉そうです。元からこういう人なのでしょうが、それでももう少し何とかならなかったのでしょうか。


 客間を飛び出し、廊下の曲がり角からこっそりと顔を出して玄関の様子をうかがいます。そこには運悪く彼を出迎える羽目になってしまった執事が、ドロシーの父親に詰め寄られていました。よく見ると、ドロシーの母親も来ています。これは好都合かもしれません。


 玄関を挟んで反対側の廊下から、ドロシーを連れたアレックス様が姿を現しました。私も出ていこうかと思いましたが、やはりもう少し隠れたまま様子を見ることにしました。


「男爵殿、お久しぶりです」


「ふん、アレックスか。それにドロシー。家から出ていくなりこんなところに転がり込んでいるとは、ふしだらな娘に育ってしまったものだ」


「ええ、これではとてもお嫁に出すことなんてできません。また修道院にでも送らなければならないでしょうね。ねえ、あなた」


 ドロシーの母は青ざめながらも、結構ひどいことを言っています。案外似た者夫婦なのかもしれません。


「お父様、お母様、何をしに来られたの」


「無論、お前を連れ戻すためだ。こんな継ぐ家のない男のところになど、絶対に嫁がせんからな」


 その物言いに、アレックス様の眉がぴくりと動きました。優しげな犬のようだった顔は、一転して獰猛な猟犬のような雰囲気をまとっています。


「……あなたが私を認めてくださらないのは、私が家の跡継ぎでないからですか。家を継ぐということは、そこまで大きなことなのですか」


 アレックス様の気迫に押されたのか、ドロシーの両親がたじろいでいます。普段強気に振る舞っているだけに、他人が強気に出られることに慣れていないのかもしれません。


「ああ、もちろんだろう」


「私はドロシーを愛しています。この身の全てをかけて、彼女を幸せにしたいと思っています。その思いは、認めていただけないのでしょうか」


「思いなど、何の役にも立たん! お前のような価値のない人間に、娘はやらん!」


 アレックス様の事情などつゆ知らぬ父親が、胸を張って堂々と言い切りました。中々にこっけいです。


 さて、そろそろ私の出番でしょうか。


 私は精いっぱい優雅に歩き出し、玄関で言い合っている二人に近づきました。二人の視線がこちらに集まります。私はごく普通の令嬢。そう自分に言い聞かせながら、私はできるかでおっとりと口を開きました。


「アレックス様、お祝いを申し上げるのを忘れておりました」


「お祝い、だと?」


 ドロシーの父がいぶかしげににらみつけてきます。私は涼しい顔で、準備しておいた言葉を告げました。


「はい、男爵様。アレックス様はこのたび、ユスト伯爵家の後継ぎとなられることが決まったと、聞いております」


 その言葉に、ドロシーの父親は面白いくらい目まぐるしく顔色を変えました。真っ赤になっていたと思えば見事に青ざめ、また赤くなっています。人間って、ここまで急に顔色を変えられるものなのですね。びっくりです。


「フェルム公爵夫人から、お祝いの言葉をあずかっております。『あなたのような素晴らしい方が次の当主となるのなら、ユストの家はますます栄えるでしょう』と」


 実は、フェルム公爵夫人が誰なのか私には分かりません。ただミランダさんから、もしこういう状況になったらこう言え、と教わった言葉をそっくり喋っているだけなのです。


 しかしその名前は驚くほどの効果を発揮したようで、ドロシーの父親は真っ白になって口をぱくぱくさせていました。うっかり陸に打ち上げられた魚そっくりです。それも、瀕死の。


「お前……いや、あなたが、次のユスト伯爵……」


「なんて、立派な家に……ドロシー、あなたがそちらに嫁いでくれれば、私たちの家も安泰ね」


 吐き気がするぐらい見事な手のひら返しに私があきれていると、アレックス様は厳しい目をしてきっぱりと言い切りました。


「私はドロシーと結婚します。しかしあなた方とは、親戚でも何でもありません。私は金輪際、あなた方と関わりたくはありません」


「私はずっと、アレックス様と一緒になりたいと懇願していました。でもお父様とお母様はその思いを踏みにじり、あのバーナード様のところに嫁がせようとしました。どれほど私が嫌だっていっても、これっぽっちも聞いてくださらなかった」


 ドロシーはアレックス様の腕に手をかけたまま、ゆっくりと言いました。彼女の目には、いつか見た驚くほど強い光がともっていました。


「だから私は、あなた方を捨てる覚悟を決めたんです。私を不幸にする人たちなんて、もう親じゃないって」


「男爵殿、男爵夫人殿、どうかお引き取りください。そして、さようなら」


 ドロシーの肩を抱いて去っていくアレックス様。彼は一度も、二人の方を振り返ろうとはしませんでした。






「……以上が、私がドロシーに同行して見てきたものの全てです」


 ドロシーとアレックス様に見送られ、私はまた修道院に戻ってきました。そうして旅から帰ってきた私は、そわそわしているみんなに出迎えられました。


 といってもみんなが待っていたのは私ではなく、私のみやげ話のほうでした。分かっていたけどちょっと冷たいと思います。


 到着するなり食堂に連れ込まれて報告会をすることになってしまった私は、食堂いっぱいに集まったみんなを前に、起こったことのすべてを一通り話しました。話を締めくくったとたん、耳が痛くなるほど強烈な歓声が湧きおこりました。


「安心したわ、ドロシーはちゃんとアレックスのところに行けたのね」


「アレックスも、噂に聞いていた以上にいい男みたいで良かったわ」


「ドロシーの両親も、これで少しはこりるんじゃない? 胸がすっとしたわ」


 どうやら私は、ちゃんとみんなの望む情報を持って帰れたようです。今日は祝杯だと大騒ぎしているみんなを見ながら、そっと壁際に下がりました。安堵のため息をついて、壁にもたれかかります。


 いつの間にかミランダさんが横に来ていて、微笑みながら話しかけてきました。


「お疲れ様、アイリーン。よくやったわ」


「あ、ミランダさん。いえ、私はずっとドロシーについていただけですから」


「それでも、彼女が勇気を出せたのはあなたがいたからだと思うのよ」


「そうでしょうか。……そうだったら、嬉しいな」


 ドロシーと過ごした時間は長くありません。それでも、私にとって彼女はかけがえのない友人になっていました。けれどもう、私が彼女にしてあげられることはありません。それが少し寂しいなと思っていると、みんなの大騒ぎを眺めていたミランダさんがゆっくりとこちらに向き直りました。


「あとはただ祈りましょう、アイリーン。どうかあの二人が末永く幸せであるように、って。これでも私たちは神に仕える修道女なのだし、きっと祈りは届くわよ。……個人的には、神ってあんまり信用してないけれど」


 いたずらっぽくそう言ったミランダさんの顔には、普段のなまめかしさを感じさせる笑顔ではなく、まるで子供のような透き通った笑みが浮かんでいました。

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