2.迷える子羊
「……友人を、助けて?」
「ミランダ、その友人が誰なのか、手紙には書いてないの?」
ヘレナの手紙の最後の一文を読み上げたとたん、みなの間にざわめきが起こった。
「書いていないわ。でも推測はできる。……実はね、もうすぐ新入りが来ることになっているのよ。たぶん、その子のことだわ」
男爵令嬢ドロシー、それが今度やってくる新入りの名前だった。彼女は伯爵家の跡取りであるバーナードと婚約が決まっている。
彼女は「彼のもとに嫁ぐ前に、神のもとで自分と向き合い、彼にふさわしい女性になりたい」と言って、しばらく修道女として暮らすことになったのだ。しかも、わざわざこの修道院を名指しして。
色々と不可解な動きではあったが、ヘレナが裏で糸を引いていたと考えれば納得もいく。彼女は私たちに助けを求めると同時に、ドロシーをこちらによこしてきたのだろう。それだけ、事態は切迫しているのかもしれない。
そんなことを順に説明しながら、私は頬に手を当てた。
「何をどう助けたらいいのかも分からないし、まずは本人に話を聞いてみましょう。ただし、その前に二人についての情報を整理しておくべきね」
「ミランダ、だったら私がやるわ。みんなから改めて情報を聞き出して、まとめておけばいいのよね」
間髪入れず一人が手を挙げた。それはもう見事に、期待に目を輝かせている。
この修道院では恐ろしいほどの情報が集まっているが、悪用されたり外部にもれたりすることを防ぐために、それらを書き留めておくことはしていない。
だからこんな風に情報をまとめる必要がある時は、修道院内で改めて聞き込みをして回らなくてはならない。一見面倒なこの作業は、ここでは大いに人気があった。何せ、家事当番を免除された上で全員から話を聞きまくれるのだ。ゴシップ好きにはたまらない。
「私も手伝うわ。目的もなく噂話を集めるのも楽しいけど、目的があるともっと楽しいもの」
ここでは比較的新入りの修道女がさらに手を挙げる。ドロシーが来るまであまり日にちがないが、二人がかりならどうにかなるだろう。
「ええ。よろしく頼むわ」
がぜん活気ついたみなを眺めながら、私の顔には苦笑が浮かんでいた。ヘレナがもたらした新たな騒動、それはきっと久しぶりの、そして特大の暇つぶしになってくれる筈だった。
一週間ほどして、ついにドロシーが修道院にやってきた。これから大騒動が起こるとは思えないほど、穏やかでうららかな日だった。
ドロシーはヘレナと同い年、まさに花咲き誇る年頃の女性だ。しかし彼女は年の割には幼い顔をうつむかせ、背中を丸めてとぼとぼと歩いていた。親とはぐれて雨に濡れた子猫のようなその姿は、見るからに哀れを誘う。
「ようこそ、修道院へ」
「ここは追放された女たちの楽園よ」
食堂に連れてこられた彼女に、そんな言葉をみんなで口々に語りかけた。ちょうど、ヘレナの時と同じように。
ドロシーについて一通り調べた私たちは、一つの結論を下したのだ。彼女には、この修道院の本当の姿を垣間見せてやってもいいだろうと。だから私たちはいつものように陽気に振る舞おうとしていた。
しかし私たちがそれ以上何かを言うよりも先に、ドロシーの悲鳴のような声が食堂に響き渡った。
「お願いします、助けてください!」
突然そう叫ぶなり泣き崩れたドロシーに、さすがの私たちも一瞬戸惑った。ここに送られてくる女性のほとんどは、多かれ少なかれ傷ついて、打ちひしがれている。けれどここまではっきりと、助けを求められたことは初めてだった。
みなで互いに顔を見合わせた後、中の一人が進み出る。彼女がドロシーにそっと寄り添い優しく背中をさすってやると、ドロシーは泣きじゃくりながら彼女にしがみついた。しばらく待ってドロシーが落ち着いたところを見計らい、声をかける。
「……ドロシー、あなたは意に染まない婚約に苦しめられているのね」
「は、はい! ……ヘレナの言った通り、本当にお見通しなんですね」
弾かれるようにこちらを見た彼女の顔には、驚きと期待がありありと浮かんでいた。さっきまでの沈んだ顔より、こちらの方がよほどいい。
「あなたの両親は、家の格だけを気にしてバーナードとの婚約を勝手に決めてしまった。あなたは前から彼のことが苦手だったのに、そんなことにはお構いなしに」
ゆっくりと語りかけるように言葉を紡ぐ。私たちが集めた情報が間違っていないことを確認するために、そして彼女自身が抱えている問題を明確にするために。
「さらにバーナードはとても嫌な男で、自分の都合だけであなたのことを振り回している。ある時など、あなたが風邪で伏せっているのにお見舞い一つなく、舞踏会に出席するからと言ってあなたを無理やり引きずり出してきた」
ドロシーの目にまた涙がたまり始めた。それでも彼女は、まっすぐにこちらを見つめている。
「彼の自分勝手な振る舞いはこれだけじゃない。あなたは彼と婚約してからずっと、彼のひどい仕打ちに耐え続けてきた」
食堂に集まった全員が、何も言わずに私の言葉に耳を傾けている。その顔には同情と、怒りが浮かんでいた。ここにはドロシーのような目にあった者も少なくはない。
「そうしてあなたは、友人であるヘレナに苦境を打ち明け、ここに来ることになった。……それで合ってるわね?」
無言のままドロシーがこくんとうなずいた。その拍子に、ついに涙がこぼれ落ちる。けれど彼女は口を固く引き結び、泣くのを必死でこらえようとしていた。
「今までよく耐えたわね、ドロシー」
そう優しく声をかけると、彼女は立ち上がり勢いよく飛びついてきた。今まで黙りこくっていた周りのみんなから、どよめきの声が漏れる。
ドロシーはそんな周囲の声には構わずに、まっすぐに私を見上げていた。
「ヘレナが教えてくれたんです。ここの人たちは頼りになるって。彼女はここでたくさんのことを教わって、強くなって、幸せをつかむことができたんだって。お願いします、私も……私も、強くなりたいんです!」
そう叫んだドロシーの目には、はっきりとした決意の光が宿っていた。彼女は虐げられ苦しんでいて、救いを求めている。けれど同時に、自分を変えようという気概もある。
ならばここは私たちの出番だ。私はドロシーを抱きとめた手に力をこめ、口を開こうとした。
けれどそれよりも先に、周囲から明るい声が上がった。それも、たくさん。
「任せておいてドロシー、もう大丈夫よ!」
「私たちはあなたの味方だからね!」
「みんなでかかれば怖くないわ、きっと解決できるから」
ドロシーも、私たちと同じ傷ついた女だ。でも、ここでは苦しみを一人で抱えなくていい。みんなで分かち合って、みんなで解決できる。みなの声は、そんなことを口々に語っていた。
一度に励ましの言葉を受けたドロシーはきょとんとしていたが、次の瞬間大粒の涙をこぼし始めた。また泣き出してしまったのかとあせりながら彼女の顔をよく見ると、彼女は泣きながらも満面の笑みを浮かべていた。
「ありがとう……ございます、私、頑張りますから……どうぞ、よろしくお願いします」
そういってそっと身を離し、深々と頭を下げる彼女。そこにみなが殺到し、あっという間に彼女はもみくちゃにされていた。
この可愛らしい仲間を救うため、力を合わせる。今までにないほどの一体感が、私たちの中には生まれていた。