こんにちは異世界 その1
「あ〜面白かった!」
西ノ宮優花は自宅の自分の部屋で読書に耽っていた。読み終わった本を勢いよく閉じると肩までストレートに伸びた黒髪が揺れた。ラフなジャージ姿を見ると中学生っぽいが、実際は小学生5年生の11歳である。
彼女は今、コアなファンの間で有名なファンタジー小説を読んでいた。勇者がサポーターと共に魔法とモンスターの世界の様々な事件を解決していくというものだ。優花はこの物語のファンで既刊は全て揃えている。このシリーズを遊びから帰って来たら読み耽るというのがここ最近のマイブームであり、日課となっていた。奇想天外な展開があり、腹を抱えて笑う場面もありと読めば読むほど味が出るそんな話である。楽しすぎて誰かとこの気持ちを共有したいと思うが、残念ながら彼女の周りにはこの作品のファンがおらず、いつももやもやした気持ちを抱えていた。優花の友人はあまり読書をしない。それよりも芸能関連や流行している食べ物や動画、ファッション、恋愛談義などを話題に生きている娘が多い。優花は本の話が出来ないのにストレスを多少は持っているが、友人に対して不満を持ったことはない。むしろ、自分を受け入れてくれる彼女たちが好きであった。
さて、この本を読み終わった優花は本棚にこの本を戻した。本には全てブックカバーが着けてある。優花は本を買う時は必ずブックカバーを装着する。大した理由はないが、そこの本屋で買う時は必ず着けてもらうのだ。本棚には既刊12巻が揃っている。来月新刊が出る。今から楽しみでわくわくする。次はいったいどんな冒険が本の中で文字で踊るのだろうか。
本棚には他にも考古学や宇宙に関する本も並べられていた。優花はこうした不思議な物が好きなのだった。一時期考古学者になりたいとも思っていた時期もあった。今は小説家になりたいと思っている。良く出来た物語というものは人を夢の世界へと誘うものなのである。そのような空想の中から新しい物語を紡ぐ人もいれば、他人と共有し、より深化させる者もいる。優花は前者である。いつか形にしたいとそう願っていた。
優花はまた、別の本を手に取り窓を背に座った。ベランダには母が昼間に干した洗濯物が竿に掛けてあった。窓は可愛らしい柄のカーテンは閉まっていた。窓の横に机があり、机上には教科書が乱雑に乗っかっていた。一応、優花は真面目に自宅学習する方だ。何時間とはしないが、日頃から予習復習はやる。そのため成績は中の上である。
優花が読み始めた。じっくりと読んでいた。時間は宵の口。そろそろ夕飯だろうなと優花は思っていた。面白かった名文のところに差し掛かったところ、家が大きく揺れ始めた。本棚は軋みながら揺れ、本が落ちてきた。机の椅子が倒れた。地震かと思い取り敢えず物が落ちてこないところに移動し、死の恐怖を感じた。どうしようどうしようと思って狼狽えていると揺れは収まった。数分の地震だったが、長く感じた。
揺れが収まり、一安心しているとふと外はどうなっているのかと思い、窓を開けてみた。すると、そこには見たことのない部屋が広がっていた。優花は一旦、窓を閉めて思案した。あれは何だ。きっと幻だ。気が地震の揺れの恐怖で見間違えたのだ。なので、もう一度開けてみた。やはり、見たことのない部屋に繋がっていた。
「何だろうここは。」
優花は好奇心から裸足でその部屋に入ってみた。窓の向こうから自分の部屋を見ると大きな枠があるだけだった。部屋の中は本が乱雑に所狭しと置かれ歩くのも一苦労であった。ここ程ではないが、大学の教授の研究室はテレビで見る限り、こんな感じだったなと優花は思った。でも、壁とか本棚のデザインは外国のファンタジー映画に出てきそうな雰囲気である。良い味を出している。
窓があったのでそこから外を見るともう夜のようで真っ暗だったが、電気が点いているようだった。ふと、電灯を見ようと天井を見ると電灯はなく、光る丸い物が浮いているだけであった。その球体は眩しく直視するのは辛かった。優花は不思議に思った。ランプでもなければ電球でもない。見たことのない明かりである。知らない技術が使われているのだろうかと優花は思った。とすればここは外国かなと思われた。内装の雰囲気からアメリカとか欧米を考えたが、こんな明るく部屋を照らす技術が日本で知られてないのはちょっと考えづらい。なら異世界とか冗談のつもりで考えてみたが、その可能性が強いと思えた。何故なら乱雑に置かれている本を見ると見たことのない文字で書かれているのだ。ローマ字でもアラビア文字でも漢字でもルーン文字でもない。地球上にあるとは思えない字体なのだ。そもそも窓を開けた先が全く知らない場所に通じているのだ。こんなこと今の地球の技術では出来るはずがない。信じられないが、ここは異世界と考えた方が合理的というものだろう。
改めて部屋の中を見渡すとテーブルがあり、そこにはヨーロッパの貴族が使っていそうなカップがあった。可愛いなと思いつつそのカップの横に積み重ねられている本のうち、一番上に置いてある本を手に取った。字は読めなかったが、挿絵が目に止まった。それは植物の絵だった。それは綺麗な花を咲かしていた。この花も見たことがなく、ここが優花にとって知らない世界だと物語っているように思えた。
ここが異世界だとすると俄然好奇心が湧いてくる。不安よりもこの世界について知りたいという知的好奇心な面が、頭に浮かんでくる。なら早速この部屋から出てみることにした。この部屋にあるドアは一つだけだった。そこから出ると二人が並んで歩けるくらいの廊下であった。一定間隔でドアがあり、恐らく同じ様な部屋がいくつもあるのだろう。この廊下と部屋の並び、そして、優花が今出て来た部屋の中の様子を考え合わせると研究施設とか家というよりもある目的で使われている施設なのかもしれないと推測出来た。そうなるといよいよ冒険したくなるのが、優花の性であった。
この建物の中を見て回ろうと思った優花は慎重に施設の人間に見つからないように警戒しながら探索した。見つかったら面倒な事になりそうだからだ。この建物の内装からして多分優花の世界とは服装が違うだろうことも予想されるだろう。異世界の人間から見て珍妙な格好している子供を見つけたらどうなるか分からない。研究対象にされ何かをされるかもしれないのだ。そのリスクを考えると慎重に行動した方が良いだろう。
真っ直ぐの廊下を歩いていると二手に分かれる所に出た。
「どっちに行こうかしら。」
左手を見ると上下階段があり別の階に行けるのだろう。右手を見ればどうやら外との出入り口があるようだ。外の様子も見てみたいと考えた優花だが、まだ、もう少しこの建物の中を探検したいと思い、左手に曲がった。階段までの間、いくつかの部屋に明かりが点いていた。人はいるようで警戒心を抱きつつ、人がいることに安堵もしていた。階段の前に到着すると上に行こうか下に行こうか悩んだ。少し考えて優花は下に行くことにした。上は多分この階と似た内装だろうと思ったからである。
下の階に行くと目の前に出入り口があった。ドアは開け放れており気持ちの良い風が外から中に流入している。見える外の様子からどうやらここは一階のようであった。一階の廊下自体は二階と同じでつまらないので優花はニ階に戻ろうと思った。その時である。外から人の声が聞こえたのだ。慌てた優花はきょろきょろと辺りを見渡し、階段の裏に隠れた。掃除用具の置かれているそこは少し臭かった。
楽しげに談笑している二人組は優花に気づかずに階段を登って行った。二人組は顔からして女性のようだった。年は大学生くらいだろうか。ここは大学なのかなとふと思った。さっきの二人組は社会人というよりも学生っぽかった。大人な洗練された感じと多少の幼さを感じさせる見た目だった。服装はファンタジー小説に出てきそうないかにも感がある。スカートに独特なデザインの上着で何という名前で言えば良いのか分からない。
「可愛さと綺麗さを両立をしていた人たちだったなぁ。」
優花はそう呟いた。偏見を言うと男にモテそうだと思った。外に出てみようかと考えたが、優花は家に帰ることにした。人の出入りもあるようだし、この建物にはまだ人がいる。これ以上ここにいるのは危険だと判断した。
ニ階に戻り自宅と繋がる部屋へと入ろうとした。ドアに手をかけ。開けようとした時にふと大丈夫かなと不安が過ぎった。さっきから人はいるようだし、今思うとこの部屋には鍵がかかってなかった。ということはこの部屋の主はまだこの建物内にいるのではないかと想像できる。それが今、部屋に戻って来ているかもしれない。今更ながら優花は思い慌てた。ドアに耳を当てて中の音を聴いてみた。物音はしない。大丈夫だろうかと反芻しているとどこからかドアが開く音がした。誰かが廊下に出たようだ。優花は慌てて何処かに隠れようとしたが、何もない。足音がこちらへと近づいて来る。焦った優花は仕方がないとドアを開けて部屋に入った。
中に入ると一人の少女が本と本の間に座っていた。後ろ姿だけなので顔は分からないが、なで肩で華奢な見た目から女の子だと思われた。声をかけようかと思ったが、こちらにまだ気づいていないようなので息を潜めた。外の人が通り過ぎるのを待つことにした。物音を立てないようにしつつ、外に耳を傾けているとゆっくりとした足取りでこの部屋の前を通り過ぎるの確認できた。ホッとしたのでつい足を動かすと本に足がぶつかり、本が崩れてしまった。最悪であった。この部屋の主と思われる少女はこちらに気づき慎重に本を避けながら近づいて来て優花を見つけた。
「やあ。」
優花は取り敢えず挨拶した。
「だ、誰ですか?」
自分より年下と思われるその少女は怯えていた。異世界に来てからの初めての人との接触だった。そして、彼女はそう言うと倒れた。気絶したようだ。