一話【動く鎧の噂】
本日の営業開始まであと五分。受付嬢の二人は身だしなみのチェックを終えて歓談し、僕は掲示板に任務票を張っていた。後ろから聞こえるかしましい声を聞きながら、今日片付けるべき仕事を頭の中で整理する。
「みんな、おはよう!」
ボスが階段を下りながら朝の挨拶をする。いつも営業開始寸前に降りてくるのに、少し早い登場に僕らは訝しみながら元気よく挨拶を返す。
「みんな、ちょっと聞いてほしい」
「何かあったんですか、ボス?」
「実は、隣町のギルド支部から先ほど厄介な通信が入ってな」
各ギルドは国に税金を納める代わりに、いくつかの支援を受けることが出来る。その内の一つが〈通信魔方陣〉で、国家魔術師がギルド内に設置してくれる。どれだけ距離が離れていても魔方陣間はタイムラグ無しで会話ができる代物で、情報交換が重要なギルドには欠かせない。
「それで、その通信内容なんだが……」ボスの整った顔がしかむ。「『ひとりでに動く鎧がヒューゲルに向かっている』とのことだ」
「……はあ?」
「みんな、そんな顔をするな。あたしもよく分からないんだ」
動く鎧――物に亡霊が取り憑いたり、長年に渡って使われた物に魂が宿ったりする例はあるが、それらが動くのは基本的に夜だ。ボスの言葉からして、今この間にもヒューゲルに近づいているようなので、それらは当てはまらないだろう。
「人に危害を加えないらしいが、かなり騒がしい上に乱暴者らしい。近いうちに動く鎧関連のトラブルの相談が来るだろうから覚えておいてくれ」
「はい!」
「良い返事だ。さあ、今日も仕事頑張ろうか!」
ボスがイーゲル・騎士ギルドの扉を開き、不穏な空気を感じながら今日の仕事が始まった。
営業開始から一時間。ロビーには任務票を睨むウォリアーが一人と、魔物退治のために仲間を待つウォリアーが二人。魔物討伐依頼が二件寄せられたが、どちらも鎧とは無関係だった。
「ねえねえ、ファーレンさん」
今月の収支の計算をしていると、暇そうにしていたハンナさんが話しかけてきた。以前ゴブリンに襲われた経験から先輩受付嬢を警戒しているのか、僕に話を振る回数が増えてきた。寂しそうにしているイレーネさんが今後何かやらかしそうで怖いんだけど……今考えても仕方ない。
「どうしたんですか、ハンナさん?」
「その鎧、討伐依頼が来る前にウォリアーを募集して退治しちゃ駄目なんですか?」
確かに、新人のハンナさんにとってはもっともな疑問だ。
「もしもその鎧が危険な存在だったら、依頼が来る前に退治しますよ。その場合は国か領主様からの依頼になって、討伐料もそこから支払われます」
「じゃあ、今回はそれほど危険じゃないって判断されたわけですか?」
「そうですね。少なくとも、人を傷付けてはいないんでしょう」
「でも、早めに退治した方がいいんじゃないですか?」
「それはもちろんそうですが、騎士ギルドだって慈善事業じゃありませんからね。基本的に報酬が発生しない仕事はしませんよ」
「うーん……世知辛い」
「中には騎士ギルドに所属しない野良ウォリアーもいますが、そんな酔狂な人は滅多にいませんからね」
とはいえ、早く何とかしたいとは思う。立場上、騎士ギルド職員は「お金なんて気にせずトラブルを解決しに行こう」なんて言えないが、解決を急ぎたい気持ちは人一倍強いはずだ。特にボスは……。
僕らが話をしていると、イレーネさんがいつの間にか入ってきていた来客の対応をしていた。いつも笑みを絶やさない彼女は魔物に怯える人々に一時の安らぎを与えていると思うが、同僚としては何を考えているのか分かりづらくて接しにくい。
しかし依頼書に記入を続ける彼女の横顔を見て、ようやくその時がやって来たのだと悟った。
「それじゃ、なるべく早く頼むよ!」
「はい。担当の者がすぐにお伺いいたします」
イレーネさんが依頼人を見送り、受付カウンターに戻らず、ボスの仕事場である二階に上がった。その数分後、彼女と共に降りてきたボスが僕に新たな仕事を申し付けた。
「仕事だ、ファーレン。動く鎧の調査に迎え」
「はい、ボス!」
机の上の書類を引き出しに押し込み、巣代わりの引き出しの中で昼寝しているイガグリを連れてギルドを出た。
依頼によれば、東からやって来た鎧は街の中央にある広場に陣取り、武器を振り回しながら何かを喚いているらしい。想像以上にアクティブな怪異だ。
街中をしばらく走り続け、あと数分で広場に着くところで前方から声が聞こえてきた。市民たちも不安そうに声の方角を見ていることから、これが鎧の声だと思われる。
しかし予想外だったのは、その声が少女らしき声だったことだ。一体、鎧の正体とは何者なのか?
「――あれは!?」
ようやく広場にたどり着いたところで僕が目にしたのは、騒ぎを聞きつけて来たらしい市民たちと、話に聞いていた通りの動く鎧だった。
しかし、妙に小さい。身長はせいぜい一メートルほどか。鈍く輝く銀色のプレートアーマーは装飾がほとんど無いシンプルなものだが、一般的なウォリアーが身に着けている鎧よりかなり分厚く頑丈そうだ。ただ、低身長のせいで随分不格好に見えるが。
鎧以上に目を引くのが、手にしている巨大なハンマーだ。赤い石を埋め込まれた巨大ハンマーの重さは百キロを超えているだろう。
「まさか、鎧の中に入っているのは……」
ギルドの職員証を掲げながら、遠巻きに鎧を見る人をかき分けて近づく。
最前列に着いた僕が見たのは、平たく言えば動く鎧の実演販売だった。
「さあさあ、見てごらん! わだす特製のハンマーなら、ドラゴンの頭だってぺちゃんこだよ! ほら、この通り!」
動く鎧は街の外から持ってきたのか、廃棄されていた古い鎧の塊を自分の目の前に置き、振り上げたハンマーを一気に振り下ろした。金属がぶつかり合う甲高い音と、ハンマーが石畳を砕く鈍い音が破裂する。
耳をつんざく音に気絶しそうになった僕が目にしたのは、もはや鎧ではなく鉄板と呼ぶにふさわしい鉄の塊だった。一方のハンマーは表面にうっすら傷が付いただけだ。
「どうよ、この威力! 今買ってくれれば、ドラゴンの爪牙をも防ぐわだす特製の鎧も特別価格で売ってあげるわよ! もちろんヒューマンサイズに作ってあげるから心配いらないわ!」
「そりゃ凄いな。ところで、そのハンマーで自慢の鎧をぶっ叩いたらどうなるんだ?」
「えっ? う~ん……試してみないと分からないけど、試したくないわね……」
市民からの問いに腕組してうんうんうなり続ける鎧。確かに人を襲う気は無さそうだが、こんな巨大な武器を振り回し、勝手に商売を始めるのは確実にトラブルを招く。実際、地面が一部えぐれてしまったわけだし。
「ちょっといいかな?」兜の前にギルド職員証を突き出す。「僕はイーゲル・騎士ギルドの職員、ファーレン・エアハルトだ。この街の市民の依頼により、君のことを調べに来た。少し話を聞かせてくれないか?」
鎧は僕を見上げると動きを止め、息を呑む雰囲気が伝わってくる。初見の相手なら僕のオッドアイを見て驚くのは当然だろう。ハーフエルフと言うのはそれほど珍しい種族だ。
鎧は話をする気になったのか、兜のバイザーを上げてようやく素顔を晒した。
息を呑んだのは僕も同じだった。鎧の正体は怪力と手先の器用さで知られる〈ドワーフ〉の少女と推測していたが、それは半分間違っていた。
ヒューマン特有の空色の瞳に、ドワーフ特有の琥珀色の瞳――僕も実物を目にするのは初めての〈ハーフドワーフ〉だった。