四話【王国一のギルドを目指して】
自分の打撲の処置を施したところで、二人でゴブリンの討伐依頼を出した依頼人の家に赴く。突然の訪問に男性は訝しんだが、僕とハンナさんがイーゲル・騎士ギルドの職員証を見せると、警戒を解いて家の中に入れてくれた。
応接室で男性と向かい合った僕は、森の中での調査結果の説明を始めた。男性は『ゴブリン一匹の討伐』を依頼したが、実際は十体以上のゴブリンがいる可能性が高いこと。そのため依頼内容を変更し、それに合わせて見積もり額も約十倍に引き上げること。
男性は難色を示した。いきなり料金が十倍になると言われればすぐに首肯出来ないのは当然のことで、このような反応を示されるのは珍しくない。罵倒されたり、殴りかかられたりしない分今回はましな方だ。
この場合、粘り強く説得する。徹底的に退治するメリット、討伐を先延ばしにするデメリットを織り交ぜ、男性の心を揺さぶる。
結果的に依頼してくれることがほとんどだが、知能が高い人間の相手は、ある意味野性的な魔物の相手よりも難しい。交信魔術で自然と語らう方が僕にとっては気楽なものだ。
「……分かりました。引き続きよろしくお願いします」
説得を始めて約十分、ようやく男性は依頼内容更新の書類にサインしてくれた。後はこれを正式な任務票にして張り出し、ウォリアーがゴブリン退治を終えた後に料金の回収に向かえばひと段落だ。
「ありがとうございます。速やかに退治いたしますので、今しばらくお待ちください。それでは、私たちはこれで失礼いたします」
「失礼いたします」
僕たちは男性に見送られながらギルドへと続く道を歩み始めた。
ぐうぅ~。
――歩み始めたのだが、お腹が空いた。そう言えば、もう昼過ぎか。腹の虫が鳴き出すわけだ。
隣を見れば、ハンナさんが胃の辺りを押さえて顔を赤くしている。どうやら腹の虫を鳴らしていたのは僕だけではなかったようだ。
「もうお昼だし、一緒にご飯でも食べに行きましょうか」
僕の提案に、彼女は笑顔で答えた。
僕はハンナさんを連れて、最近見つけた裏通りの雰囲気の良いカフェにやって来た。通りから見ると暗くて地味な店構えだが、まるで森の中にいるような自然豊かな内装はハーフエルフの僕にとって非常に居心地が良い。立地の悪さと外観の地味さで店内は心配になるほど空いているが、おかげで静かな時間を過ごせる。
本当は、後輩とは言えハンナさんを連れてくるのも迷ったが、彼女になら教えても良いかなと思った。「後輩に優しくしなよ」と言うあの表情がまだ効いているのかもしれない。
店員に窓際の席に通され、向かい合って座る。行きつけにしている僕はすぐに注文が決まったが、初めての彼女は開いたメニューを前にだいぶ迷っているようだ。初めてこのカフェに来た僕もこんな感じだったのかなと苦笑する。
「うーん……どれにしようかな?」
「おすすめは日替わりランチかな。何度も食べてるけど、ハズレだったことは一度も無いですから」
「じゃあ、それにしようかなあ」
「後は、デザートを付けるならそのケーキがおすすめで……」
身を乗り出してメニューを指そうとすると、彼女の胸元に視線が誘われた。
「……ファーレンさん、どこ見てるんですか?」
「えっ? あっ、いや! そうじゃなくて!」
彼女の軽蔑する視線を受け、僕は必死に弁解した。確かに彼女のスタイルは僕のような青少年にとってなかなか刺激的だが、見ていたのはそこじゃない。いや、本当に。
「ゴブリンが襲ってきたのは、たぶん、そのネックレスが原因ですよ」
僕は彼女の胸元で輝く、赤い宝石が埋め込まれたネックレスを指差す。
「えっ? これが?」
「なぜ好戦的でないゴブリンが一匹でハンナさんを襲っていたか疑問だったんですが、これで氷解しました。ゴブリンには収集癖があり、特に金銀や宝石のような輝く物が好みなんです。ハンナさんがか弱い女性と言うこともあり、ゴブリンは単独でも奪ってやろうと思ったんでしょうね」
「確かに、私は可憐でか弱い女の子ですけど……」
「そこまで言ってませんが……。それより、どうして一人で森に来ていたんですか?」
「先輩に『ファーレンさんってたまに外で何してるんですか?』って訊いたら、『今は受付も暇だから見に行ってみたら?』って言われたもので……」
新人を危険な現場に行くようそそのかすとは……ギルドに帰ったら文句の一つどころじゃ済ませられないな。もっとも、あの人の性格からして正してくれるとは思えないが。
「だけど、驚いちゃいましたよ」彼女がテーブルの下で膝をさすりながら言う。「ファーレンさんが血を見るのあんなに苦手だなんて。血液恐怖症ってやつですか?」
その質問に、僕は苦笑しながら答えた。
「子供の頃、魔物に襲われて大怪我してね。血がドバドバ出て、それがトラウマになったみたいなんだ。幸い僕の両親は優秀なウォリアーで、魔物退治と怪我の応急処置が早かったから助かったんだけど」
「あっ、ごめんなさい……嫌なこと訊いちゃいましたね」
「いや、そんな」
昔のことだ。こうして生きているし、血液恐怖症とも折り合いをつけている。
僕は気にしなかったが、彼女は別の話題を探すように視線を泳がせた。
「あっ……そういえば!」良い話題が見つかったのか、パンと手を叩いた。「ファーレンさんの苗字って『エアハルト』でしたよね」
「――左様! 我が名はファーレン・エアハルト!」わざとらしく胸を張る。「かのお伽話ランクの最強ウォリアー、エアハルト夫妻の息子である!」
「やっぱり! ヒューマンとエルフの、生きる伝説と称される二人じゃないですか! だからファーレンさんはハーフエルフなんですね」
彼女が身を乗り出して顔を近づける。
この国のヒューマンの瞳は澄んだ空色、そしてエルフの瞳は若葉のような鮮緑。ハーフエルフの僕は右目が空色、左目が鮮緑のオッドアイなので、改めてそれが珍しく感じたんだろう。
恥ずかしくて目を逸らしそうになる前に彼女の方から引いてくれて内心ホッとする。
「じゃあ、騎士ギルドで働き始めたのもご両親に憧れてですか?」
「そうですね。一応最初はウォリアーとして働き始めたんですが、血液恐怖症が思いのほか深刻だったので、調査士に転向したんです」
「なるほどお。私だったら騎士ギルド自体辞めちゃいそうですけど」
「僕も当時は迷いました。でも、僕みたいに魔物に襲われる人を少しでも減らしたいと思い、半ば意地で続けたんですよ。血を見るのが苦手な僕にも、僕なりの戦い方が出来ると信じて」
テーブルに置かれたグラスに水を注ぎ、口の中を潤す。夢を語る時は妙に口が乾く。
「僕の夢は、〈リサーチャー〉と言う新たな役割を通じてイーゲル・騎士ギルドを王国一と呼ばれるほど大きくして、偉大な両親と肩を並べる一人前の男になることです。その過程で、一人でも多くの人を救えればこれ以上の喜びはありません」
胸を張って宣言する僕を前に、ハンナさんは目を丸くしていた。
少しカッコつけすぎたかなと思ったが、彼女は静かに拍手した。
「――すごいですね、ファーレンさん。私なんて、ただ食い扶持を稼ぐためにギルドで働き始めただけなのに、そんな立派な志を持ってるなんて」
「そんなことないですよ。僕の勝手な目標ですし、ハンナさんだって立派に働いてるじゃないですか。仕事の呑み込みは早いし、雑用も率先して引き受けてくれますし」
「いやいや、私なんて! もし良かったら、私にもファーレンさんのお手伝いをさせてくれませんか?」
「――じゃあ、まずは受付嬢として一人前になりましょうか。先輩にそそのかされて魔物に襲われるなんてことが無いようにね」
「うっ……ご迷惑をおかけしました」
彼女との会話を楽しんでいる間に料理が出来たようだ。店の奥からは食欲を刺激する香りが漂い、若いウエイトレスが湯気を立ち上らせる皿を運んできてくれる。
「お待たせいたしました。本日のランチです」
「うえっ?」
僕等のテーブルに置かれたのはライスにスープにサラダ、そして赤い肉汁があふれ出すレアのステーキだった。食べられなくは無いのだが……まさか緑に囲まれたカフェのランチでステーキが出てくるとは予想外だった。
「ファーレンさんも、もうちょっと血や赤身に慣れた方が良さそうですね」
「……努力します」
僕はカットしたステーキにフォークを刺すと、目を閉じながら口に入れた。