三話【ファーレンの戦い方】
「ファ、ファーレンさん……」
なぜ受付嬢のハンナさんがここにいるのか分からないが、ゴブリンに襲われていたのは事実だ。ゴブリンは女性のハンナさんと比べても一回り小さいが、人の腕ほどの大きさがある棍棒で何度も殴られれば命の危険もある。
「ハンナさん。僕がこいつを食い止めるから、その間にゆっくりこの場から離れてください」
「は、はいっ」
荷物を入れたリュックを手に取り、体の前で構える。運の悪いことに、僕専用の武器は新調している最中でリュックの中には入っていない。慣れ親しんだ森だからと油断していた。
今の僕に出来ることは、リュックを盾にしてハンナさんが逃げる時間を稼ぐことぐらいだ。
「さあ、来い!」
ハンナさんの足音が遠ざかるのを聞きながら、視線はゴブリンから外さない。ゴブリンは群れなければ決して好戦的ではないので、上から睨むだけでも十分行動を抑制できる。
しかし、その習性から人間の女性すら滅多に襲わないはずで、ますますこの状況が不可解になってくる。
「ギイッ!」
ゴブリンがついに動いた。棍棒の一撃を受け止めるためにリュックのストラップを握りしめる。
「……えっ!?」
ゴブリンは飛び掛かると見せかけ、僕の脇を通り過ぎていった。その先にはハンナさんの後ろ姿がある。
「キャアッ!」
「まずい!」
ハンナさんは駆け足で逃げるが、ゴブリンの方が速い。すぐに追いつかれてしまう。
どうやらこのゴブリン、ハンナさんに強く執着している。ゴブリンの中には人間の女性を連れ去る種類もいるが、この辺りでそのような被害の報告は聞いたことが無い。
しかし理由はこの際どうでもいい。
「間に合え!」
全力で駆ける。
持ち前の身体能力でゴブリンとの差を一気に詰める。しかし、その前にゴブリンが先にハンナさんを捉えそうだ。
リュックを放り投げ、彼女に向かって手を伸ばす。
ゴブリンは棍棒を振り上げ、彼女めがけて振り下ろした。
ズンッ!
「うぐっ!」伸ばした左腕が彼女とゴブリンの間に割って入り、振り下ろされた棍棒を代わりに受け止めた。鈍い音と共に激痛が走る。
「ファーレンさんっ!」
ハンナさんが泣きそうな顔で叫ぶ。彼女を安心させるために「大丈夫だよ」と強がりたいところだが、そんな余裕は無い。それに、棍棒に触れた今がチャンスだ。
無事な右手で棍棒を握る。ゴブリンが困惑しながら振り払おうとするが、体全体で棍棒を抱え込んで動きを封じる。
ゴブリンの足蹴を受けながら、神経を集中して交信魔術を始める。
「邪なる者に振るわれる木々の一切れよ――望まぬ振る舞いを恥じるのならば土に還りたまえ――」
呪文の詠唱と共に魔力を棍棒に流した瞬間、重量のある頑丈な棍棒が砂糖菓子のように脆く砕け散った。
交信魔術は、ただ自然と語らうだけの魔術ではない。自然界のあらゆる場所に生きる精霊が了承すれば、ゴブリンの痕跡をたどったように過去を再現したり、今のように朽ちさせたりすることもできる。
「ギッ!?」
突如棍棒が砕け散ったのだからゴブリンも困惑している。今だ!
「来てくれ、イガグリ!」
走る途中で振り落とされていたイガグリがハリネズミとは思えない速度で駆け寄り、僕の手のひらの上に乗る。
「頼んだぞ!」
「フシュッ!」
地の妖精であるイガグリは、僕が魔力を注げば本来の力を発揮する。
イガグリが全身の針を立てながら姿勢を低くし、頭頂部をゴブリンに向ける。そして「フシュッ!」と鼻を鳴らすと、頭頂部の針が数本飛び出した。
針はむき出しの肌に刺さる。怪訝な表情を見せながらもすぐに針を抜いてしまうが、もう手遅れだ。
「ギッ……グギャ……?」
ゴブリンの体が小刻みに震えだし、やがてくずおれた。どうにか立ち上がろうとするが、手足が微かに動くだけで指一本まともに動かせない。
針の効果がすぐ表れてくれたことに安堵しながら、へたり込んでいたハンナさんに手を貸す。
「あの……あいつはどうなったんですか? 動かなくなっちゃいましたけど」
「あれはイガグリの針の力ですよ」今は僕の肩に乗るイガグリを撫でる。「見た目はただの可愛いハリネズミですが、僕が魔力を分けてあげると、針を飛ばして中の神経毒を注入するんです。すぐに相手の動きを封じるんですが、長くは続かないので急いでこの場から離れましょう」
「そ、そうなんですか……頼りになるハリネズミさんだったんですね……」
僕はリュックを回収し、未だ震えているハンナさんを連れて今回の依頼主に調査結果を報告しに行くことにした。
「ところで、腕は大丈夫なんですか? 私をかばって――結構痛そうな音が出ましたけど」
「ん? ああ、一応大丈夫ですよ」
左腕を見ると、棍棒で殴られた箇所が赤く腫れあがっていた。折れてはいないようなので、冷やして包帯でも巻いておけば明日には完治しているだろう。強い体に産んでくれた両親に感謝しなければ。
「僕の方は大丈夫ですけど、ハンナさんは? あいつに殴られたりとか……」
「幸い殴られたりはしなかったんですけど、走って逃げている時に転んじゃって……」
気付けば、彼女の手は膝を押さえていた。
あっ、嫌な予感。すぐに目をそらそうとしたが、その前に彼女は手をどけて傷口を自分に見せてきた。転んだ際に擦りむいたのか、膝のすり傷からは真っ赤な血が滲んでいた。
「いたた……でも、ちゃんと歩けるから心配しないでください」
「…………」
「あれ? ファーレンさん?」
彼女の血を見た瞬間、サアッと全身から自分の血がどこかに引っ込んでいく感覚と共に、僕はその場に倒れた。