四話【ファーレンのやるべきこと】
ベルクのように重要な拠点には、駐屯軍や騎士ギルドが置かれているのが通例だ。騎士ギルドは市民やウォリアーが通いやすいように街の中央部に置かれることが多いが、鍛錬の場や武具の保管庫、軍用馬の厩舎など、広い土地を必要とする駐屯軍は街はずれに置かれることが多い。
僕が調べた情報では、ベルクの駐屯軍は街の北側、かつて大規模な山賊団との戦いが繰り広げられたという土地にある。人数は約八十人。一つの街を守る人数としては若干少ないが、その分一人一人の実戦経験が豊富な精鋭部隊と聞く。
彼らをまとめるシュラーゲン大尉は、「産まれてくるのがあと三百年早ければ、その武力で大将軍と呼ばれていたであろう」と称される、血の気の多い武闘派の男だ。
「貴様らが、連絡のあった騎士ギルド職員とウォリアーか。こんなガキどもとはな」
ペトラの倍ほどの身長の大男が、これ見よがしに眉間にしわを寄せながらにらみつける。白髪が混じり始めた黒髪が、怒りを表すかのように天に向かって逆立っている。歓迎されていないのは明らかだった。
「はじめまして、シュラーゲン大尉。イーゲル・騎士ギルド職員のファーレン・エアハルトと申します」僕は嫌味にならない程度の笑顔を作って見上げる。「ディアナ・イーゲルより連絡が行っていると思いますが、ベルク周辺に現れたコカトリスの捕獲のため滞在いたします。その際、こちらの駐屯軍との連携を願いたいのですが――」
「ああ、分かっている」あごの無精ひげをジョリジョリ撫でる。「部下共にも話してある。力を借りたければ、何でも言うがいい」
シュラーゲンの顔を見据えながら、視界に入る兵士たちにも意識を向ける。ある者は首を横に振り、ある者は舌を出している。
「感謝します。それでは僭越ながら、さっそくお願いしたいことが一つ」
「ふん。何だ?」
「コカトリスが街に接近していないか監視するための物見櫓を作っていただきたいです。可能なら、明日までに、少なくとも二十メートルの高さのものを」
「何だと!?」
一般的な物見櫓の倍近い高さのものを、明日までに作ってくれと言われれば驚くのも無理はないだろう。しかし、悠長に構えるつもりはないし、不可能でもないだろう。この場には約八十人の屈強な男たちと、北部から運ばれる豊富な木材もある。軍の権限で優先的に仕入れることは難しくないはずだ。
「……分かった。ただし、強度にはあまり期待しないことだな」
「構いません。数日使えれば問題ありませんので。完成しましたら、宿の方まで連絡をお願いいたします」
事前に予約しておいた宿の住所のメモ書きを渡す。それを受け取ると、乱暴にポケットの中に突っ込んだ。
「要件はそれだけかね?」
「はい。続きは、櫓が完成した後に」
「分かった。一日も早く解決してくれよ」
「ええ、もちろん。それでは、失礼いたします」
僕らは頭を下げ、駐屯地を後にする。
リサーチャーとして磨き上げた感覚が、背後からの冷たく射抜くような視線や舌打ちを感じ取っていた。
「何あれ! 感じ悪いわね~!」
駐屯地が見えなくなったところで、ペトラは怒りを露わにした。ハンマーを持っていたら遠慮なく振り回していただろう。
「一緒に魔物を捕まえようって話なのに、ずーっとこっちを見下して! 本当に協力してくれるのかしら!?」
「協力はしてくれるだろうな」
答えたのは兄さんだった。
「詳しい経緯を教えると、事の発端は二人の行商人がコカトリスに石化されてしまった事件だ。その場は駐屯軍が魔物を追い払ったものの、その後も石化被害は続いた。やがて市民と商人たちはベルクの領主に嘆願し、近隣の騎士ギルドを中心にコカトリス捕獲の依頼が舞い込んだ。俺の所属するファルケ・騎士ギルドも例外じゃなく、今回は下請けという形でイーゲル・騎士ギルドに依頼を持ち込んだんだ」
「ふうん。つまり、あのおっさんが不機嫌だったのは、よそ者に尻拭いされるのが屈辱的だからってこと?」
「だろうね。加えて、シュラーゲンさんのように一つ一つ実績を積み重ねてきた軍人はプライドも高いから、怒り心頭だろう。レン君も災難だね」
「え? ……うん、そうだね」
兄さんの言葉には嘘が含まれていた。ベルクに最も近い騎士ギルドはイーゲル・騎士ギルドなのに、コカトリス捕獲の依頼なんて聞いたことがない。
「大丈夫? ぼーっとして」
「……うん、大丈夫だよ」
どうにも、兄さんを信用できない。何を考えている?
「とりあえず挨拶は済んだし、次はどうするんだい?」
「分かり切ったことを訊かないでよ」僕はリュックを背負い直した。「コカトリスが現れた現場の調査だよ」
ベルクの街を少し離れると、草木の少ない荒涼とした岩場が広がる。山脈に続く傾斜はしばらく緩やかだが、すぐに道具なしではとても踏み込めない壁のような急斜面が立ち塞がる。落石の心配はなさそうだが、まるで巨大な両手が挟み込んでくるような圧迫感がある。
「豊かなる土よ――萌える草木よ――この土地を見守る精霊たちよ――この地に踏み込んだ魔の者の痕跡をつまびらかにしたまえ――」
交信魔術を試みると、岩場を微かに覆う砂が動き出し、やがて魔物の足の形を成した。ニワトリの足をそのまま拡大したかのような、四本指の足。間違いなくコカトリスの足跡だ。
あちこちを行ったり来たりする足跡を三人で辿る。
「おっ? でっかい草が生えてる」
目の前に、ペトラの身長を超える背の高い草が現れた。鮮やかな青紫色の実を着けて群生するその姿は、無機質な岩場に現れた不純物のように見える。
「ペトラ、その〈ストネ〉の草に触るなよ。触るだけで肌がかぶれるし、実を食べたら丸一日は寝込むことになるから」
「うえっ!? 早く言ってよ!」
膨れるペトラを通り過ぎ、触れないように観察する。ストネの一部はちぎられたように食い荒らされていた。
ストネはコカトリスの食料であり、摂取することで体内で分解・蓄積された毒は性質が変わり、生き物を石化される息となって放たれる。
本来、この土地にストネは自生していなかった。それが目の前に存在するのは、おそらく商人たちの馬車や商品に紛れ込んでいたストネの種が落ち、この土地に根付いてしまったせいだろう。動物由来の魔物が新たに見つかる場合、人間の活動範囲の拡大が原因になっていることは珍しくない。
「とはいえ、魔物は退治しないとな。僕たちは相いれない存在なんだから」
ストネの群生地と足跡をメモし、僕らは山を下りた。
* * *
翌日の昼過ぎ、宿に駐屯軍の使いが来て、物見櫓が完成したと告げた。場所は駐屯軍の本部とは逆側にある分所の敷地内。街の中央にほど近く、町全体を見張るには良好な立地だ。
さっそく三人で見に行くと、せいぜい五メートルほどの高さの家々が軒を連ねる中、まるで大木のような櫓がそびえ立っていた。
「さあ、どうぞ。試しに上ってみてください」
兵士の一人が笑顔で勧めてくる。
「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて」
第一印象として、物見櫓はかなり稚拙な造りに見えた。切り出した木材を、釘とロープで適当に組み立てただけの代物。強度よりも期日を重視させたのは自分だが、不安は拭えない。
意を決し、梯子に手をかける。まだ片足が地面についているのに、梯子はギシと軋んだ。
「どうされましたか?」
そう言う兵士は口角を上げている。何でもありませんと答え、ゆっくり手足を繰り出していく。
ガクンッ
半分ほど登ったところで、固定されていた横木が外れ、両足が宙に投げ出された。腕の力でどうにか体を持ち上げ、外れた横木を飛ばして足をかける。警戒していなければ落下していただろう。
姿勢が安定したところで、視線を下に向ける。見上げる兵士たちは、ペトラと兄さんに見えないように口元を歪めていた。故意に横木の固定を緩めていたのは明らかだった。
頼れるのは自分一人。心に刻んだ言葉が、鋭利な刃物でより深く刻まれたように感じた。任務達成に立ち塞がるのは魔物だけではないということか。