三話【魔物に怯える街】
翌日。
僕とペトラと兄さんの三人は四頭立ての駅馬車に乗り、コカトリスが現れるようになった街〈ベルク〉に向かった。
僕らが住む〈ヒューゲル〉の街の北部には、まるで壁のように東西に山々が連なっている。標高はせいぜい千メートル程度だが、崖のように急こう配の斜面は人を寄せ付けず、かつては国境の役割も果たしていたらしい。
山脈には切れ目のような細い谷間があり、数か所だけ馬車でも通行可能な平坦な箇所がある。そこにはかつて関所が設けられていたが、周辺の国々が統一されていく中、関所はその役目を終えた。しかし交通の要衝であることは変わらず、やがて関所は街に変わり、大陸を縦断する商人たちが行き交う活気ある街になった。ベルクもその内の一つである。
「――というわけだよ。ベルクの規模はヒューゲルと同程度だけど、その重要性は遥かに上なんだ。この王国の血管と言っても過言じゃない」
「ふーん、なるほどねえ」
馬車に乗るのは初めてなのか、ペトラは車体から景色と馬の尻を交互に眺めながら生返事する。今回彼女は手を出すことを極力禁止されているため、鎧を一部身に纏っているだけでハンマーは家に置いてきている。
「でも、そんなに重要な街ならとっくに騎士ギルドがあるんじゃないの?」
「騎士ギルドはないけど、代わりに国軍の兵士たちが守っているはずだ。昔から山賊のような人間による被害が目立つ街だからね。だけど、魔物と人間の相手の仕方は異なるから、今回は騎士ギルドにお鉢が回ってきたという感じだろうね」
「さすがレン君、よく分かっている!」
兄さんが大げさに拍手する。傍らに細身の直剣を置いている点以外は、ただの旅行者のような軽装に身を包んでいる。いざという時は助けてくれるとのことだったが、いくらミスリルランクのウォリアーとはいえ心もとなく感じる。
「レン君。なんだかんだで、俺を当てにしているんだろう?」
僕の視線から察したのか、兄さんは先んじて釘を刺す。
「全く手伝う気がない――というわけではないけれど、当てにしないでくれよ。これはあくまで君の仕事なんだから」
「……分かってるよ」
「それならいいけどね。街に着くまでまだ三時間はかかるから、俺はひと眠りするよ。ちょっと寝不足気味なんでね」
兄さんはそう言うと、腕を組んで座席の背もたれに体を預けて目を閉じ、すぐに寝息を立て始めた。ペトラのいびきによる不眠は思いの外深刻だったらしい。当の本人はどこ吹く風と、草原で草をはむ牛を眺めている。
僕らは三人だが、頼れるのは自分一人。そのことを胸に刻むと、頬を撫でる風が途端に冷たく感じた。
三時間後、少しずつ日が落ち始めた頃に、馬車はようやくベルクに着いた。野生動物や山賊などから街を守るためか、人の身長よりも高い壁が街を取り囲む。
門扉の横には国軍の衛兵が経ち、街を出入りする商人たちに目を光らせている。ペトラに「この街は王国の血管のようなもの」と例えたが、それで言うなら、彼らは不純物をろ過する腎臓のようなものか。
御者が通行許可証を衛兵に見せ、馬車は開け放たれた門扉から街の中に入っていく。その際、衛兵たちから突き刺さる冷たい視線を感じた。
「何か、わだすたち歓迎されてないみたいね? 何もしていないのに」
「そうだね。その理由は……何となく分かるけど」
「理由って?」
「僕が説明するより、自分の目で見た方がよく分かると思うよ」
ほどなくして、馬車は駅に着いた。車体から降り、凝り固まっていた体を伸ばすとポキポキと小気味いい音が全身で鳴る。
ベルクは「谷あいの街」「商人の街」とも呼ばれる活気ある街だ。駅の周囲には、御者や商人専用の宿や、大小の店舗が軒を連ねる。駆け出しの商人なのか、歩道には布の上に商品を並べただけの露店も多い。消費の多い食品や嗜好品などは各都市に運ばれるが、数の少ない掘り出し物などはベルクに来ないと手に入らない。もっとも、中には二束三文の安物を希少品と偽って売りさばく商人もいるため、ある程度の鑑定眼を備えていないと損するだけなのだが。
「うっわあ! ヒューゲルとは雰囲気が全然違うわね! わだすもこっちで商売を始めれば良かった……」
「ここには海千山千の商人も多いから、上手く言いくるめられて損して終わりだよ。人間っていうのは、時として魔物より怖いんだぞ」
それにしても、違和感を覚えずにはいられない。
仕事の関係でベルクに来たことは何度かあるが、そのときと比べて明らかに人通りが少ない。駅周辺は人が壁になって数メートル先も見えないほどだったが、今では商人たちが客を呼び込む声が鮮明に聞こえてくる。商人たちが顔に張り付けた笑顔も若干歪んで見える。
魔物の影響だろう。イーゲル・騎士ギルドの収入のために引き受けた依頼だったが、この街の活気を一日でも早く取り戻さなければ、その影響はやがて王国中の街に広がっていくだろう。
「さあレン君、どうする?」兄さんが値踏みするような目で僕を見る。「リーダーは君だ。というより、メンバーは実質レン君一人なんだが……まずは何をする?」
「そんな目で見ないでよ。心配しなくても、何をすべきかは馬車に乗る前から考えてあるから」
街の北部に首を向ける。
「まずは、この街を守る駐屯軍と接触する」