五話【平穏な夜】
霊園での戦いから三日後。あの日墓参りに赴いたメンバーで、イーゲル・騎士ギルド提携の酒場に行った。本当はその日の内に行く予定だったが、リッチ騒ぎで魔物の警戒や霊園の修復を務めていたからだ。
大人の社交場である酒場には多くの情報が集まるため、ギルド職員やウォリアーが足繁く通う。ギルドによっては施設内に小さな酒場を併設していることもあるが、既にある酒場と提携したり、ギルドの近くに酒場が作られたりするケースも多い。ギルドが酒場の集客に一役買っているため、職員に対して便宜が図られることも多い。双方にメリットがあるのだ。
「うあぁ……ロベルト……アーノルド……何で死んじゃったのよお……!」
カクテルのグラスをあおりながら、ボスはボロボロと涙を流す。「何でここのお酒はいつもしょっぱいのよお……」と悪態をつくが、その理由は明白だ。ここに来るのはいつもお墓参りの後で、そのたびあなたが泣き崩れ、涙が何滴もグラスに入ってしまうからですよ。
「あの、ファーレンさん。ディアナさん、大丈夫なんでしょうか? 一番度数の低いカクテル一杯で、あんなに酔っちゃうなんて……」
僕の隣に座るハンナさんが、耳元に顔を寄せてささやく。
「大丈夫ですよ、毎年のことですから。ボスはですね、見た目に反して酒が弱いうえに、泣き上戸なんです」
「お酒が弱いのに毎年酒場に来るんですか?」
「一職員の僕にはまだ分かりませんが、家族の無念を胸に、若くしてギルドマスターを務めるのは並大抵のことじゃないんでしょう。普段こらえていることを、お酒の力を借りて吐き出したいんじゃないですかね。その証拠に、翌日からは元気ハツラツのボスの雄姿が見られますよ」
「うえっ、それはちょっと怖いなあ……」
肩をすくめながら、三杯目のカクテルをあおるハンナさんの頬が赤く染まっている。これだけ飲めれば、ギルド職員としては及第点だ。もっとも、その隣に座るイレーネさんは既に大ジョッキを五杯は空にしているが。あの細い体のどこに収まっているのやら。
「それにしても驚きましたよ」
僕が店員に追加のお酒と肴を注文したところで、ハンナさんが改めて話しかけてきた。
「ファーレンさんって、実はものすごく強かったんですね! ベテランのゴルドさんが手も足も出なかったのに!」
アルコールが効いて彼女も陽気になってきたようだ。その声は向かいに座るゴルドさんの耳にも当然届いて、苦笑いしながら顔を背けた。慌ててハンナさんは何度も謝りながら頭を下げる。
「前にも少し言いましたが、僕も最初はウォリアーだったんです。だけど、血液恐怖症のせいで限界を感じて、リサーチャーを始めたんです」
「それじゃあ、どうしてこの前は戦えたんですか?」
「だって、ゴーストもリッチも血を流しませんからね。はじめの内逃げ回っていたのは、ゾンビのグロテスクな見た目が苦手だったからです」
「あっ、なるほど! それにしても、グナーデでしたっけ? あんな武器を持ってたのも驚きですけど、もしかして、リッチが出てくるって予想してたんですか?」
「いや、そんなまさか。あれは完全に予想外でしたよ」
僕はテーブルの上に置かれたペンとメモ用紙を手に取る。情報交換の場でもあるこの酒場には、テーブルやカウンターには筆記用具が置かれている。
短剣、爆竹、ハンマー、ロープ、殺虫剤、包帯、傷薬――その他諸々の単語を、彼女が見ている前で書き連ねていく。
「あの時、僕のリュックに入っていた物です。ヒューゲルの街近辺に現れる魔物に加え、十種類ほどの魔物に対応できる道具を揃えていました。出番がなければと願っていましたが、備えておいて良かったですね」
「ど、どうしてそんなに!?」
「最近、準備不足で魔物に後れを取ることが多かったので、その反省です。リッチもそうですが、特に最近は魔物の発生が異常ですからね。リサーチャーとして、これ以上の失態は許されませんから」
乾いてきた喉をビールで潤す。口から喉を通過するビールの炭酸と、鼻に抜ける爽やかな香りがいつもより鮮烈に感じる。久々に刃を振るったことを思い出して気分が高揚しているのかもしれない。
「でも、残念ですよね。血が苦手じゃなければ、絶対に凄腕のウォリアーなれるのに」
「……いえ」鼻から大きく息を吐く。「僕は今のリサーチャーという立場も好きですよ。僕がギルド職員になってから、ウォリアーの任務達成率や死傷率、依頼一件あたりの単価も改善されているとボスから聞いています。自分一人の力で成果を上げることができないことに最初は不満を覚えましたが、今ではこの仕事に誇りを持っています」
「……そっか。すみません、差し出がましいことを言ってしまって」
「いや、いいんですよ。それより、今日はたっぷり飲みましょう! 支払いはボスが持ってくれますから」
そのボスは、泣きつかれたのかテーブルに突っ伏して眠っている。口に入れたのはカクテル一杯と肴を数口だけ。実質、ギルド職員におごりに来ただけになっている。
その姿を見て、僕とハンナさんは顔を見合わせて笑った。
「そういえば、ファーレンさんって私より年下ですよね。未成年の飲酒は禁止されているはずですけど?」
「大丈夫。ハーフエルフのアルコール分解能力はヒューマンより優れているので」
「あっ、ずるーい!」
* * *
「それじゃあ、みなさん。また明日から頑張りましょうね~」
酔いつぶれたボスの代わりに、イレーネさんが解散の音頭を取る。ゴルドさんがボスを背負い、ギルド本部へ彼女を送っていくのも毎年の光景だ。
僕もみんなとの別れを告げて帰路につく。両手には、酒場のマスターに頼んで包んでもらった料理と数本の酒瓶。家で大人しく留守番しているペトラへのお土産だ。彼女の治療のおかげで、リッチとの戦いで負った火傷はほぼ完治し、荒らされた霊園の修復も迅速に進んだ。感謝の気持ちは形で示さなければ。
すっかり夜も更けてしまった。家々から漏れる光はまばらになり、闇に染まりつつある街を無数の星々が見下ろしている。土地によっては、亡くなった人や動物は星になり、天から僕らを見守っていると聞く。ボスの家族も、魔物と戦う僕らを見守ってくれているのだろうか。
感傷に浸っていると、僕の家が見えてきた。
「ペトラ、まだ起きてたのか」
彼女には、僕が帰るのが遅くなっても、鍵をかけて先に寝ても構わないと伝えてある。僕の帰りを甲斐甲斐しく待っている……なんて、彼女の自己中心的な性格を考えればありえないだろう。
「さては、僕のお土産を待っているのか? こんな時間に食べたら太るかもしれないのに……」
そう思ったが、家の中の違和感に気付いた。
カーテンを通して人影が見える。二人分の影が。
誰だ、あれは!? まさか不審者か魔物か? いや、それならペトラが追い出すはずだ。それとも、不意打ちを受けて不覚を取ったか、言葉巧みに騙されて家の中に入れてしまったのか……。
「……イガグリ、いざという時は頼んだぞ」
「フシュッ!」
胸ポケットに入っていたイガグリを手に乗せる。酒場の隅でずっと餌を貪っていた彼は万全の状態だ。
気配と足音を消しながら玄関に近づき、そっとドアを開ける。ダイニングからペトラの楽しそうな声が聞こえる。誰かと会話している……となると、僕の知人の振りをして彼女に接近したのか?
ダイニングの入り口までにじり寄り、意を決して飛び出した。
「何者だ! ……あっ」
そこにいたのは、お菓子をつまみながら目を丸くするペトラ。
その向かい側には、金髪のミドルヘアの青年。尖った耳に、空色と鮮緑のオッドアイ。身に纏う神秘的な雰囲気はヒューマンのそれではない。
「おお、レン君! 久しぶりっ!」
僕の兄、ウェン・エアハルトが笑顔を弾けさせた。