一話【イーゲル騎士ギルド、臨時休業】
ペトラが初めての任務を達成した二日後の朝。
「…………静かだ」
ベッドから起き上がり、壁に耳を当ててみて、ようやくゴソゴソと彼女が動く物音が聞こえる程度だ。
彼女が僕の家の居候になる前は静かな朝が当たり前だったのに、彼女のいびきがあまりに酷いので、静かな朝に違和感を覚えるようになってしまった。家主の僕以上に、この家における存在感が強すぎる。
このままでは、いつか僕の方が追い出されるのではないか……そんな予感にため息をついていると、隣の部屋から廊下に向かって慌ただしい足音が響き、僕の部屋のドアが乱暴に開けられた。
「ファーレン! さっさとギルドに行くわよ!」
相当気合が入っているのか、彼女は初対面の時の全身鎧を身に纏っていた。この重武装で苦も無く歩けるのは称賛に値するが、家の中だと床板が凹みそうなのでやめてもらいたい。
「君の部屋のドアは開けちゃいけないのに、僕のはいいのか?」
「あんたは男だから別にいいでしょ!」
「男にだってプライバシーや恥じらいと言うものがあるんだけど……まあいいや。それはそうと、水を差すようで悪いんだけど、ギルドは開いてないよ」
「ほんとに、あんたっていつも水を差すわよね」金属音を立てながら肩をすくめる。「適当にそこらへんで朝ごはんを買って食べながら行って、一番乗りするのよ! 他の雑魚ウォリアーなんかに先を越されてたまるもんか!」
彼女が史上最速でブロンズランクに上がったことは昨日伝えたが、それで得意になっているようだ。もっとも、やる気を上げるために持ち上げたのだが。
しかし、ちょっとタイミングが悪かった。
「いや、時間が早いとかじゃなくて、そもそも今日は臨時休業なんだ。教えてなくて悪かった」
「はあっ!? 臨時休業!? 何で急に!」
「君は知ったこっちゃないと思うけど、毎年この日はイーゲル・騎士ギルドは休みなんだ。余程緊急の依頼がなければ、ギルドに行っても誰もいないよ」
「ほ、ほんとに……?」
「ほんとに」
ペトラは糸が切れた人形のようにその場に倒れ、担いでいたハンマーが床板を一部凹ませた。
「ん? じゃあ、ファーレンも今日は休み? わだす、まだこの街のことよく知らないから、色々連れてって欲しいんだけど」
「ごめん、僕……と言うか、ギルド職員は一応仕事なんだ。ギルドマスターのご家族のお墓参りでね」
「ギルドマスターって、ファーレンが『ボス』って呼んでる、あのおっぱいとお尻の大きい人?」
「その覚え方は最悪だけど、そうだよ。これからお世話になるんだし、ペトラも来ないか? 古参のウォリアーも同伴するから、顔を覚えてもらうと後々得かもしれないよ」
「いいわよ、めんどくさい。他人のお墓参りなんて興味無いし、先輩ウォリアーに媚びなくても実力ですぐに追い抜くから」
それだけ言うと、ペトラはハンマーを引きずりながら自分の部屋に戻っていった。ガチャガチャと鎧を外す音が聞こえ、その数分後には大いびきが響いてきた。二度寝も豪快なんだな。
「さて、準備するか。今日の遅刻は洒落にならないからな」
とは言え、いつもと変わりない。ボスは堅苦しいことが嫌いなので、墓参りだからと言ってかしこまった服装を選ぶ必要も無い。そもそも、普段から依頼主やウォリアーと接する関係で身だしなみを整えているのだから、逆にラフな格好をする方が疲れる。
朝食を片付け、自分の身だしなみを整え、今日は特別にイガグリの体も優しく洗ってあげる。水に濡れることを嫌がる性格だが、彼も今日が何の日かは分かっているので、大人しく身をゆだねてくれる。
これで支度は済んだ。イガグリを肩に乗せ、玄関を出る――そうしようとして、思いとどまった。
僕の視線の先には、魔物調査に向かう際の道具を仕舞い込む、薄汚れたリュックがあった。
***
「みなさん、おはようございます」
「本日臨時休業」の札が掛けられたイーゲル・騎士ギルド本部前には、既に今回の墓参りのメンバーが集まっていた。ギルド職員は僕を含めた五名が全員参加。
他には、ギルド発足当時から契約している初老のウォリアーが二名。筋骨隆々の大男がゴルドさんで、二メートルに達する長身の男性がキームさん。かつては別の騎士ギルドに所属していたが、地元でボスがギルドを立ち上げたことをきっかけに移籍してくれたベテランだ。二人ともゴールドランクの実力者であり、若い頃は自分の娘のようにボスを可愛がっていたとか。
「おはよう、ファーレン君。今年は随分ゆっくりじゃない」
「おはようございます、イレーネさん。ちょっとじゃじゃ馬の相手をしていたら遅くなってしまって……。それはそうと、その格好は何ですか?」
イレーネさんの服は胸元が大きく露出し、タイトなスカートには大胆なスリットが入ってむっちりとした太ももがちらちら覗く。
「何って言われても、私の私服ってみんなこんな感じよ? 仕事に着ていくのは自重してるけどね~」
「服装自由だからって自由過ぎですよ!」
「わ、私ももっと大胆な服にした方が良かったかな……?」
「ハンナさんは変な影響受けなくていいですから!」
今回初参加のハンナさんは喪服のような白黒の地味な服装だ。僕が初めて参加した時を思い出す。
場違いな装いなのはイレーネさんぐらいか。いや、薄汚れたリュックを背負った僕も墓参りにはふさわしくない姿かもしれない。
「やあ、おはよう。今年も全員参加してくれて嬉しいよ」
集合時間の十時になると同時に、ギルド内からボスが現れた。
ハンナさんは喪服のような姿だったが、ボスはまさに喪服だった。足元まで覆う漆黒のドレスは彼女の心を、首元を飾る真珠のネックレスは大粒の涙を表しているように見える。
先ほどまで談笑していた僕らも、ボスの姿を見た瞬間に否が応にも痛感する。「僕たちは、私たちは、魔物から人々を守るために戦わなければならないのだ」と。
「いい天気だ。あの日は酷い雨だったのに、それ以降は毎年眩しいぐらいに空が青い。二人のプレゼントなのかもね」
ボスの表情は明るい。だけど、日の光を受けて真珠は濡れたように輝いている。
「さあ、行こうか。旦那と息子が待ちくたびれているだろうからね」