六話【憧れの女性】
ペトラが地中に潜って五分。一秒ごとに焦燥感が増していく。のどがカラカラに乾いていくのは暑さと疲労のせいだけじゃない。
リュードさんは僕の隣で娘の無事を祈り続けている。僕もペトラの無事を祈りたいが、彼にそんな姿を見せても不安を煽るだけだ。僕自身に出来ることがあるとすれば、ただのポーズでもいい、毅然とした態度でペトラの帰還を待つことだけだ。
ボゴンッ!
突如、目の前の地面が爆発した。僕はひっくり返りそうになり、リュードさんは顔を上げた直後にモロに土を浴びた。
まさか、ペトラが敗北し、フラワーモールが次の獲物を捕らえに来たのか!? そう思い、彼の前に立って形だけでも構えてみせるが、穴からは何も出てこない。
おそるおそる穴の中を見下ろすと、僕が待ち望んでいた姿があった。
「ペトラ、無事だったか!」
彼女はジェーンちゃんを右肩に担ぎ、イガグリを左肩に乗せていた。僕の姿を認めると威勢よくガッツポーズを決めて見せる。
無理しやがって……そう思わずにはいられない。彼女は絶対に認めないだろうが、明らかに泣き腫らした跡があるじゃないか。
地上に戻ってきた二人と共に、僕等はリュードさんたちの家に迎え入れられた。ペトラは風呂に入れさせてもらい、気絶していたジェーンちゃんは父親が体を拭いて着替えさせた後ベッドに寝かされた。
「う……ん」
僕と父親に見守られている中、彼女が目を覚ました。自分の居場所を確認するかのように視線を泳がせている。
「ジェーン……良かった……!」
彼は娘に抱きつこうとしたが、まだ安静にさせなければならないと踏みとどまった。しかしその姿には深い愛情を感じた。
「おとう……さん……? ここは、おうち?」
「ああ、そうだよ。もう大丈夫だからな……!」
「わたし……えっと……大きなモグラに襲われて……」
「いいんだ、そんなこと思い出さなくて。今はゆっくり眠っていなさい」
あんな魔物に襲われ、命の危機にさらされるなんてトラウマになっても仕方ない。しかし彼女の様子を見ると、地中に連れ去られた後のことはほとんど覚えていないようだ。すぐに気絶してしまったのが幸いしたのかもしれない。
「ふう。いいお湯だったー!」
浴室から上気したペトラが現れた。ジェーンちゃんの洋服を借りているが、ペトラの方が小柄なので全体的にダボダボになり、もはや幼稚園児のように見える。しかしその正体はフラワーモールをパンチ一発で絶命させる怪力ハーフドワーフなのだから侮ってはいけない。
「あっ! ジェーンちゃんっ!」
父親が抱きつくのを躊躇したのに、ペトラは遠慮なくベッドに飛び込んで大胆に抱きつく。さすがに僕らは苦笑いだ。
「大丈夫!? どこも怪我してない!?」
「う、うん……大丈夫だよ」
「良かったあ~!」
ペトラが泣きそうなほど喜び、それを見たジェーンちゃんが抱き返す。もはやどちらが慰めているのか分からない。
「ペトラ、今はそっとしておくんだ。僕たちももう帰るぞ」
窓の外を見れば、すっかり日が暮れていた。紅く染まる空を背景に、多くの家々や街灯に光が灯っている。イーゲル・騎士ギルド本部もそろそろ営業終了の時間だ。
「分かったわよお」僕に不満げな顔を見せた後、振り返ってジェーンちゃんに満面の笑みを見せた。「じゃあね、ジェーンちゃん! お大事に!」
「うん。ペトラさん、ありがとうね」
親子の感謝の言葉を背に、僕たちはギルドへ帰った。疲労やら心労やらで足元をふらふらさせながら。
***
僕が騎士ギルド職員になってから、おそらく最も疲れ果てた一日だった。夕食を作る気力も無く、ペトラと二人で外食したのだが、料理が運ばれてくる前に寝落ちしそうになった。彼女は「わだすの初仕事のお祝いなのに!」と憤慨していたが、その記憶もおぼろげだ。
そんなわけで、帰宅して風呂に入ってベッドに潜り込んだ直後には眠りに落ちそうになったのだが、
「ねえ、ファーレン……今日はありがとね」
隣の部屋から感謝の言葉が聞こえてきたのだから、目が覚めてしまった。
「――何のこと?」
「とぼけなくっていいわよ。イガグリが助けに来てくれたってことは、あんたが助けてくれたのと同じでしょ?」
「ああ、そのことか」
ペトラが地中に潜った後、僕自身は彼女を助けに行く余力は無かった。
だから、イガグリに行かせた。地の妖精であるイガグリの方が、地中に潜った彼女の力になれると判断したからだ。
僕が回復したわずかな魔力を全てイガグリに注ぐと、彼は穴を掘って真上からフラワーモールに毒入りの針を刺した(地上の僕にはその姿は見えなかったが)。ハリネズミはネズミよりモグラに近く、妖精ハリネズミの彼も穴掘りは得意なのだ。
「感謝ならイガグリに言ってあげて。夜行性だからバッチリ起きてるよ」
「あ、そうなんだ。イガグリ、今日はありがとうね」
人間の言葉を理解しているイガグリは「ふひゅう」と自慢げに鼻を鳴らす。
「『構わん。それよりこれから一週間ミルワームを寄越せ』って言ってるよ」
「嘘つけ! でも仕方ないから一日分は買ってあげるわ」
意外と律儀だ。今日一日で、彼女の中でイガグリの株が相当上がったらしい。大好物をもらえると知って、イガグリは回し車をカラカラ回しながら興奮している。
「だけど、感謝するのは僕の方だ。ゴタゴタして言えなかったけど、本当にありがとう」
「なっ、何よ! 気持ち悪いわね!」
「ペトラが助けに行かなかったら、ジェーンちゃんはまず間違いなく魔物に食われていた。だから、君が穴に入った時は素直に尊敬したよ。だけど、どうして行けたんだ? 閉所恐怖症の君にとっては魔物以上に恐ろしい環境だったろうに」
彼女のトラウマに踏み込むのは気が引けたが、今後魔物退治を依頼するにあたって、ウォリアーの内情はなるべく把握しておきたい。冷酷なようだが。
静寂が続く。怒ってしまったか、それとも怯えさせてしまったか。
しかし、返ってきた答えは予想外のものだった。
「あの人みたいになりたいの。それが、わだすの夢だから」
「あの人?」
「この前言ったでしょ。小さい頃、落盤事故に巻き込まれたことがあるって。後で分かったんだけど、あれは鉱山に現れた魔物のせいで引き起こされたものだったの。わだすを落盤から助け出してくれたのは、その魔物を退治しに来たウォリアーだったのよ」
「あの人みたいにってことは、女性のウォリアーなのか? 珍しいな」
「それだけじゃないのよ? その女の人、エルフだったの。耳がとんがってたし、エルフにしか使えない魔術を使ってたから間違いないわ。ちょうど、あんたみたいな綺麗な緑色の瞳だったし」
ここまでの話を聞いて、僕は肝をつぶした。
「……そのエルフの女性の名前は?」
「聞けなかったわ。それどころじゃなかったし。特徴らしい特徴と言えば、変な文字が刻まれた剣を佩いていたことくらいかしら」
間違いない、母さんだ。エルフの女性ウォリアーなんて珍しい人物は母さん以外に知らない。
ペトラが言っている「文字が刻まれた剣」は、ドワーフの鍛冶屋に特注した、魔術の触媒にも使える特殊な剣に違いない。
昔から優秀なウォリアーだった両親は、街を離れて強大な魔物の討伐に赴くこともあった。まさか母さんが、とっくにペトラと面識があったとは……。
「ジェーンちゃんが魔物に連れ去られた時、思ったの。『ここで逃げたら、一生あの人に追いつくことは出来ないだろう』って。わだすはエルフみたいに魔術は使えないし、今はまだあんなナイスバディじゃないけど」
「ナイスバディは今後も無理だと思うけど」十六歳の少女に聞こえないようにつっこむ。
「わだすにはドワーフ譲りの怪力と手先の器用さがある! トラウマを克服する勇気だってあるわ! だから、さっさとランクを上げて、わだすも一流のウォリアーになるのよっ!」
ペトラはそんなことを考えていたのか。
僕はてっきり、彼女がウォリアーとして名を上げるのは、自分の自慢の武具を売ったり、人よりも上に立ちたいと言った自尊心を満たすためだと思っていた。
しかし、彼女の想いはもっと純粋なものだった。かつて自分を助けてくれた人のように、自分も誰かを助けたい。その想いこそ、ウォリアーにとって最も大切なことの一つなのではないか。
「……ペトラ、ごめん。僕は君のことを誤解してたみたいだ」
「…………」
「ペトラ?」
「……くかー。くおぉーっ!」
寝たのか……。まあ、疲労に関しては僕以上のはずだろうから、彼女の体力も尽きたんだろう。念願のステーキも食べられたことだし。
明日はゆっくり寝かせてやろう。また起こしに行って裸を見てしまうわけにもいかないからな。