五話【暗い穴の中】
目の前で人が魔物に襲われ、自分はそれを見ていただけ。騎士ギルド職員にとって、これほど悔しいことがあるだろうか! それがたとえ満身創痍だったとしても!
こぶしを握り締めながら二人に近づく。ペトラはすぐに気づいたが、リュードさんは素手で土を掘りながら自分の娘の名を呼び続けていた。
「ファーレン? 何でここに?」
「……ちょっと野暮用があって、偶然近くに来ていたんだ。それより、早くジェーンちゃんを助けないと」
「さっきの魔物、わだすは見たことないけど、どんな奴なの?」
「フラワーモールと呼ばれる、巨大なモグラの魔物だ」
僕はペトラと、おそらく落ち着いて聞ける状態じゃないだろうがリュードさんにも説明した。
フラワーモールは体長三メートルに達する巨大モグラ。鼻から伸びるセンサーの役割を持つ触手が花に見えることから「フラワーモール《花のモグラ》」と呼ばれる。獲物を狩る時以外は常に地中で暮らしているため、居場所がつかみにくい厄介な魔物だ。
個体差が大きいが、大型になると牛や馬、人間なども地中にさらって食ってしまう。歴史上初めて存在が確認された際は、巣の中に十人以上の人間の骨が残されていたと聞く。
今思えば、ペトラを挑発していた通常サイズのモグラはフラワーモールの手下の可能性が高い。巨体に似合わず臆病で警戒心が強いフラワーモールは、まずは手下を使って地上の様子を探ると聞いたことがある。
僕の話を聞き、リュードさんの顔がみるみる青ざめていく。
「それじゃあ……ジェーンは暗い穴の中で、あの化け物に食べられてしまうのか……?」
「いずれはそうなるでしょう。しかし、まだ助かる可能性はあります」
「ほ、本当か!?」
「先ほども言った通り、あの魔物は図体の割に臆病な性格なので、獲物をすぐに食べることはせず、まずは地中深くの安全なトンネルに連れていくのです。過去にも、トンネルから生きた人間が救出された事例もあります」
「そ、それならすぐに助けてくれ! 報酬は後でいくらでも払う!」
そう依頼されることは予想していた。
しかし、抱かせた希望をすぐに壊してしまうようで申し訳ないが、残念ながら不可能だ。
「……残念ですが、娘さんを救出することは難しいでしょう」
「なっ、なぜだ!?」
「僕にあの魔物を倒す力はありません。手の空いているウォリアーを呼んできたとしても数十分かかり、その頃には位置の特定は不可能になっています」
「ウォリアーならそこにいるじゃないか! お嬢ちゃん!」
ハンマーの柄を握りしめ、じっと地面を見下ろすペトラにつかみかかる。
「頼む、君だけが頼りなんだ! 私の大事な一人娘を助けてくれ!」
「わ、わだすは……」
「お願いだ! 君の力なら、きっとあの化け物にも勝てる!」
泣きじゃくる彼を前に、ペトラは困惑しながら歯を食いしばっていた。おそらくだが、僕にはペトラの気持ちが分かる。
彼女だって助けに行きたいはずだ。しかし、フラワーモールが身を隠しているのは光の届かない土の中。閉所恐怖症のペトラにとって、地中に続く狭いトンネルを通ることはそれだけで耐え難い苦痛のはずだ。
「ペトラ、お前は行かなくていい」僕は彼女の肩を叩く。「無理に突入しても、君まで連れ去られるだけだ。僕がこの近くに住んでいるウォリアーを呼んでくるから、これ以上被害が大きくならないように見張っていてくれ」
たとえ自分たちが無力でも、たとえ救出が絶望的でも、やれることをやるしかない。
彼女らを置いてイーゲル・騎士ギルド本部に走り出す――その時、冷たい手甲に腕をつかまれた。
「……ジェーンちゃんは」うつむいたままペトラがつぶやく。「ジェーンちゃんは、きっと怖がってるよね」
その言葉は僕に言っているのではなく、自分に言い聞かせているように聞こえた。
「わだすも怖かった……痛くて、暗くて、狭くて……怖かった。こんなに広い世界に、独りぼっちになっちゃったみたいで」
「ペトラ……?」
「…………すぐに行くからね、ジェーンちゃん!」
その直後、ペトラはハンマーを振り上げ、地面に向かってスイングした。尖っている側を下に向けていたため土が大きく抉られ、フラワーモールが掘ったトンネルが露わになる。
彼女は脂汗をにじませながら深呼吸すると、ハンマーを放り出してトンネルに頭から突っ込んだ。
「ば、馬鹿! 閉所恐怖症の上に、武器も無しで挑んで勝てる相手じゃないぞ! 僕の話を聞いていなかったのか!?」
聞こえているはずだろうが返事は無い。聞こえるのはザクザクと彼女が土を掘り進んでいく音だけだ。
「あのお嬢ちゃん、大丈夫なのか? 閉所恐怖症って……」
「大丈夫なわけありませんよ!」
つい依頼主に対して大きな声を出してしまう。話を聞かない奴だと思っていたが、まさかここまでとは!
しかし、こうなっては仕方が無い。僕は僕でやるべきことをやらなくては。
***ペトラ***
怖い……怖い……怖い……。湧き上がる恐怖を、ひたすらに手足を動かしてごまかす。
魔物のことはよく知らないけど、モグラのことは知っている。モグラのトンネルは枝分かれしているけれど、移動に使う本道をたどれば、今も逃げ続けているフラワーモールに追いつけるはず。
わだすは子供みたいにちっちゃいドワーフの体が嫌い。だけど、そのおかげで狭いトンネルの中も余裕で通れるから、今は少しだけ感謝している。
トンネルの中は生き物の腐った臭いが満ちていた。何も見えないから分からないけど、たぶん被害に遭った人間や動物の死骸。
あの子を、ジェーンちゃんまで同じ目に遭わせるわけにはいかない。そのためなら、どれだけ体が震えても、どれだけ涙があふれてきても我慢出来る。
「……近い」
ずっと追いかけてきたフラワーモールの足音と体温を近くに感じる。
いや――あれ、変だ?
急に足音が止まった。それに、熱気と鼻息を目の前に感じるような?
「あうっ!?」
違和感を覚えた直後、手足とお腹に何かが巻き付いた。この太さ、感触――フラワーモールの鼻から伸びていた触手だ!
巻き付いたのは、たぶん六本。ジェーンちゃんを触手で捕まえている分、わだすに回す本数は少ない。
だけど、力負けしている。近づこうとすると足元からバランスを崩され、引きちぎろうとすると触手が暴れて力が分散する。
フラワーモールの触手は、元々はアイマー器官と呼ばれるもので振動を敏感に察知するセンサー。だから、わだすの体の動きを瞬時に察知して対応しているんだ。
「このっ! このぉっ!」
振りほどこうと暴れてみても、狭いトンネルの中じゃ動きが制限されて疲労が溜まっていくだけ。きっとそれが狙いなんだけど、力自慢のわだすにはこんなことしか出来ない。
やっぱり、ファーレンの言うとおりだったかもしれない。このままじゃわだすまで食べられてしまう……。
「……だからって、見捨てられるわけないじゃない!!」
お腹に巻かれた触手を両手で握り、手繰り寄せるように前進する。向こうも必死なのか、鎧で守られていないお腹が締め付けられて吐き気を催す。たかがモグラ退治だからと軽装を選んだことを後悔した。
涙がにじんでくる。怖いからじゃなく、自分が不甲斐ないから。最近泣いてばっかりだ。
わだすが憧れたあの人なら、そもそも目の前で人が魔物にさらわれることなど許さないだろうに……。
いや、今は憧れなんて忘れよう。後悔なんて、もっと後回しにすればいい!
ぐんっ!
「えっ!?」急にフラワーモールの力が抜け、一気にわだすに向かって引き寄せられる。顔の前から人の吐息を感じる。ジェーンちゃんだ。
「もうちょっと待っててね。こんな陰気な所、二人で早く脱出しよう」
わだすとジェーンちゃんを縛る触手も力が抜け、ボトボトと勝手に落ちていく。彼女を離れた所に寝かせた後、脱力するフラワーモールの眼前に立つ。こぶしを握り締め、残された力をありったけ注ぎ込む。
「うら……ああぁぁぁぁーーーーーーーー!!」
顎の下から天に向かって拳を打ち抜く。魔物の巨体がトンネルの天井に打ち付けられ、「ギュウッ!」と苦し気な悲鳴を上げる。
その勢いで天井が崩落し、真っ暗闇のトンネルの中に光が降り注いだ。命の危機を感じるほどわだすを追い詰めた魔物の体が、日の光を浴びて露わになる。その体はイメージしていたより一回り小さく見えた。
足でつついてみても、魔物はもう動かない。このまま放置しておけばすぐに土に還るはずだ。
だけど、どうしてフラワーモールは急に力を失ったんだろう? 体力が尽きた……とは思えないし。
「フッ……フッ……」
足元から空気の漏れるような音が聞こえてきた。
そちらを見ると、一匹のハリネズミが魔物の体の下から這い出てきた。
「あんた、ひょっとしてイガグリ? ファーレンのペットの」
「フシュッ!」
返事代わりに鳴くと、もこもこと体を揺らしながら歩み寄ってくる。肩に乗せると、しきりにジェーンちゃんと天井に空いた穴を交互に見た。
「……そうね、早く出よっか。ここは息苦しくて仕方ないわ」