四話【地中に潜む】
魔力も体力も使い果たした僕が目にしたのは、広大な畑の中央で仁王立ちするペトラの姿だった。本日二度目の光景だが、最後の任務は草むしりではなくモグラ退治だ。
モグラは魔物ではないが、害獣なので定期的に駆除依頼が寄せられる。主な被害は、良質な土壌を作ってくれるミミズを食べられてしまうことと、モグラが掘ったトンネルを利用してネズミが作物の根を食べてしまうこと。農家にとっては魔物以上にたちが悪い動物だ。
僕がモグラ退治をするなら、罠を仕掛けて捕獲する。モグラ塚を見れば居場所はすぐに分かるし、大食漢だから餌にも食いつきやすい。かわいそうだが、市民の胃袋と農家の懐を守るためにも徹底的に駆除すべきだ。
しかし、ペトラにそんな準備は無いし、駆除の知識だって無いだろう。持っているのは巨大なハンマーと怪力のみ――となれば、彼女のやることは容易に想像出来た。
「どっせぇーーーーいっ!!」
気合を入れながらハンマーを地面に叩きつける。僕とペトラは百メートル以上距離が離れているが、それでも地面からビリビリと振動が伝わってくる。近隣の家々からは驚いた市民が窓から身を乗り出して畑を見ている。
ピョコッ
穴の一つから驚いたモグラが顔を出し、ペトラと目が合う(モグラの目は退化しているのでイメージだけど)。
「モグラッ!」
「キューッ!」
モグラに向かって容赦なくハンマーが振り下ろされる。しかし潰される寸前に穴に潜り、攻撃を回避。
ピョコピョコッ
今度はペトラの背後の穴から二匹のモグラが顔を出す。彼女がそれに気づいて再びハンマーを振り上げるが、今度は余裕をもって穴に潜る。
彼女が憎々し気に穴を睨んでいると、また別の穴からモグラが顔を出す――それが何度も繰り返された。本人は真剣なんだろうが、こちらからは滑稽にしか見えない。『モグラ叩き』と言う名でおもちゃを作ったら売れるだろうか。
「あーもぉーーっ!!」
ペトラがハンマーをまっすぐ天に掲げる。彼女の細腕に筋肉と血管が盛り上がり、誰の目にも渾身の一撃が繰り出されるのは明らかだった。慌てて両耳を塞いでその場にしゃがみ込む。
「どおっっ……せええぇぇぇぇーーーーーーーいッッ!!」
大音声と共に打ち下ろされたハンマー。それはまるで、空から星が落ちて来たかのごとし。彼女を中心に爆発じみた轟音と土煙が発せられ、もうもうと空に上がっていく。地面は揺れ、街のそこかしこに潜んでいたネズミたちが災害から逃げ惑うように足元を走り抜ける。窓から見ていた人たちも轟音と揺れに驚き、家の中に姿を隠してしまった。
「ふふん! どんなもんよっ!」
爆心地の少女はどこ吹く風と、砂まみれで満面の笑みを浮かべている。
臆病者のモグラが彼女相手に挑発した理由は知らないが、モグラは視覚が退化した反面、嗅覚や聴覚に優れている。人間でも失神しそうな衝撃を送り込めば、地中のモグラたちも気絶するか逃げるかするだろう。
決して上手いやり方とは言えないが、モグラ退治は成功したはずだ。かなり乱暴だったが、無事に三つの任務はすべて完了。
気が重いが、後は穴と凹みだらけになった畑を僕が交信魔術で直すだけだ。ポケットに入れておいた木の実をかじりながら休めば、その程度の魔力はすぐに回復する。
いつの間にか気を失っていたイガグリを撫でていると、今回の依頼主のリュードさんと、その娘と思われる十歳ほどの少女がペトラに歩み寄っていた。
「お、お仕事お疲れさま。あれだけ脅かせば、しばらくは畑に近寄らないだろう。安心して畑を耕せるよ」
「ふふん、そうでしょう! 本来はこんなのわだすの仕事じゃないけど、結構スッキリするから、またモグラがやってきたら任せなさい!」
「は、はあ……機会があれば……」
ペトラが普通の女のことは全く違うことを痛感したであろうリュードさんは終始怯え、それに対し彼女は両手を腰に当てて胸を張る。とりあえず、二度とお前に同じ任務を任せるつもりは無いぞ。
対して少女の方は、父親の陰に隠れてペトラを盗み見ている。彼女の年齢では、自分より小さな女の子が怪力を発揮する理由なんて分からないだろう。
「フシュ……」
手の中がもぞもぞすると思ったら、イガグリが目を覚ましていた。彼は寝ぼけ眼のまま鼻をひくつかせ、何かを探すように周囲に鼻を向けた。
「どうした? 美味しい食べ物の匂いでも感じたか?」
しかし、それが見当違いだとすぐに分かった。イガグリは徐々に呼吸を荒らげ、背中の針を逆立てていく。
魔物がいる。それもかなりの大物が!
しかし、僕にはどこに魔物がいるのか全く分からない。ルーティンになっている朝の瞑想を邪魔されたからか、それとも疲労のせいか、もっと別の理由か。
「……地下にいるのか?」
最近噂になっている行方不明事件を思い出した。事件はいずれも街の外で発生し、現場と思われる場所は酷く荒らされている。犯人が人間ならばその理由が説明出来ず、魔物の仕業であることが濃厚だった。
そして、イガグリは地の妖精。地中の出来事なら僕以上に敏感に察知する。
疲労で力の入らない体に鞭を打って飛び出す。
「みんな! こっちに来るんだ!」
僕の声は、地中から噴き出した大量の土砂に掻き消された。
そこから現れたのは、熊よりもはるかに大きなクリーム色の前足。鋭い爪が生え、外側に向いているのは紛れもなくモグラの特徴。
しかしそれ以上に目を引いたのは、穴の中央から現れる十本以上のピンク色の触手。数メートルの長さを持つそれは、地上の空気を味わうように揺らめいた後、一ヶ所に向かって俊敏に動き出した。
「キャアッ!」
鞭のようにしなる触手は少女の体中に巻き付き、ふわりと地上から浮く。
「ジェ、ジェーンッ!」
「何よ、こいつ!?」
ジェーンと言う名の少女を救うべく、呆気にとられていた二人が動く。
リュードさんは触手の一本を引きちぎろうとするが、まるで歯が立たない。ペトラはハンマーを振り回そうとするが、大量の土を浴びせられて怯む。
「お父さん! ペトラさん!」
手を伸ばすことすら出来ないジェーンは悲痛な叫びを残しながら、触手によって地中に引き込まれた。直後に巨大モグラの前足が周囲の土を崩して穴を塞ぎ、ペトラとリュードさんだけがその場に残された。
わずか十秒ほどの出来事。これが行方不明事件の正体だった。