五話【力を合わせれば恐怖だって乗り越えられる】
ようやく泣き止んだペトラに、僕は自分の作戦を伝えた。
この作戦の肝は、僕がどれだけロックサーペントの攻撃をかわせるかにかかっている。出会ったばかりで信頼関係も無い僕に命運を託すのが不安なのか、置いていかれるおそれがあるからか、彼女は終始不安そうだった。
一流のウォリアーは姿を見せるだけで安心感を与えるのだから、僕はまだまだ力不足だ。
岩の向こうからロックサーペントがはいずり回る音がカシャカシャと聞こえる。
硬い鱗による頑強さを備えたロックサーペントは、動くと音が出る欠点から待ち伏せて獲物を狩る。音を気にしなくなったと言うことは、力づくでも狩る意思表示でもある。
片時も離れない魔物の視線を感じながら、僕は合図を告げた。
「やれ、ペトラ!」
僕の下でうずくまっていたペトラが、パンチ一発で二人を覆う落石を吹っ飛ばした。同時に、まずは僕が一人で落石から脱出する。
「シャアッ!」
僕を丸呑みにしようと、正面から巨大な口が迎え入れる。
「うおっと!」
顔を地面にこすりそうになるほど姿勢を低くし、頭から魔物の背後に滑り込む。相手の動きは素早いが、どのような軌道で向かってくるか分かれば避けるのは不可能じゃない――とは言え肝を冷やしたが。
――三秒経過――
洞窟の隅に置かれていたランタンを回収し、交信魔術の詠唱を始める。
「静かに――ささやかに萌ゆる日陰の緑たちよ――」
意識の半分を目の前の魔物に、もう半分を詠唱と魔力の集中に割く。
視覚から無駄な情報が削ぎ落され、ランタンの橙色の光に照らされる洞窟の壁面が闇に染まっていく。闇の中に魔物の姿がくっきり浮かび、一方で僕の口が魔術を紡いでいく。
――六秒経過――
ロックサーペントが自分の体を鞭のように振る。しゃがんでかわした頭上をかすめ、壁面が音を立ててえぐれる。
直後、巻き付こうと周囲を囲まれる。上に跳んで逃げると、再び鞭のような一撃が襲う。両腕で防ぐが、硬く重い一撃に弾き飛ばされる。
それでも詠唱は止めない。この数秒間を無駄には出来ない!
――九秒経過――
――十秒経過――
「長い時を経て朽ち果てた緑たちよ――我が力を糧に再び芽吹きたまえ!」
交信魔術が成った直後、洞窟が光に包まれた。
地面から壁、天井に至るまでおびただしい量のコケが生え、洞窟中を緑色に染めていく。それらがランタンの橙色の光を反射し、朝日を浴びる森のように鮮やかに染まっていく。満天の星に包まれたような、もしくは宝石の中に飛び込んだような、神秘的な光景が僕らを包んだ。
ペトラと生き埋めになっている中、僕が見つけたのはわずかなヒカリゴケだった。
ヒカリゴケは名前のイメージと違って自分で発光することは出来ない。無数のレンズ状の細胞が光を反射し、光っているように見えるのだ。
つまり、交信魔術で一時的にありったけのヒカリゴケを復活させ、そこにランタンの光を当てれば洞窟を明るく照らすことが出来ると踏んだわけだ。
ただ、ヒカリゴケだって光合成が必要な植物なので、洞窟の奥のような真っ暗な場所には生育していない。この場所にどれだけのヒカリゴケが生育していたかは賭けだったが、賭けは僕らの勝ちだったようだ。
「ペトラ、出て来い! もう怖くないだろ!」
「はっ、はじめから怖くないわよっ!」
縮こまっていたペトラが弾け飛ぶ。現れたドワーフ娘は蛇の死角に入っていた巨大なハンマーの柄をつかみ、大きく横に振りかぶった。
「うああぁぁぁぁーーーーーーーーっ!!」
彼女の咆哮が轟く。空気が震え、全身の肌が痺れ、光が明滅する。知識としてのドワーフは知っているが、実物の迫力はこれほどなのか! 身長一メートル程度のペトラが、体長五メートル以上の魔物よりも一瞬大きく見えた。
全身に響く咆哮で平衡感覚を失ったのか、それとも彼女の気迫に押されたのか、遥かに大きいロックサーペントが怯んだ。
動きが止まった魔物の胴を彼女のハンマーが捉える。巨体と岩の鱗でかなりの重量を持つロックサーペントの体が浮き、ハンマーから逃れることも出来ず壁面に叩きつけられた。バキバキと音を立てて鱗が割れ、壁のヒカリゴケにおびただしいほどの魔物の血が降りかかる。
「あっ……」
しまった。こんなに明るいと、魔物の血がよく見えてしまうじゃないか。
「おっしゃ! 上手くいったわね!」
笑顔で振り返るペトラの顔にも血が付いて、猟奇殺人事件の犯人のような様相になっている。
それを見て、ついに限界が来てしまった……。
***
目覚めると青空が広がっていた。目に飛び込んできた日の光が眩しくて顔を背ける。
「おお! 目を覚ましたぞ!」
にわかに周囲がざわめく。何人もの人たちが僕の顔を覗き込んで安堵している。
体を起こすと、ペトラと初めて出会った広場のベンチに寝かされていたことが分かった。太陽の位置から考えると、ペトラとの競争を始めて二時間ぐらいか。往復の移動時間とロックサーペントとの戦いを除くと、僕が気絶していた時間は約一時間だろう。
「ファーレン! やっと起きたのね!」
ペトラの快活な声が聞こえる。
声の方向に目を向けると、近くの露店で買ってきたのか、二人分のレモネードのカップを手に持っていた。おそらくあのハンマーにはロックサーペントの血なり肉片なりがこびりついていると思うので、ハンマーではなく飲み物を持って来てくれたことが二重にありがたい。
「ありがとう、ペトラ。君が街まで運んでくれたんだろ?」
「もちろんよ! 感謝しなさい!」
「うん、ありがとう。勝負中だったのに迷惑かけたね」
「えっ? ど、どういたしまして……」
素直に感謝されたのがそんなに恥ずかしいのか、顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。今までどんな生活を送ってきたんだか。
自分で言って思い出したが、今は勝負中だった。気付けば、ペトラの後ろで指輪探しを依頼した男性が顔をしかめている。結果を聞きたいが、希少な種族の二人を前に尻込みしているんだろう。
ペトラに支えられながら依頼人の男性の前に立ち、ポケットに入れておいた指輪を差し出す。
「ご安心ください。ご覧の通り指輪は回収出来ました。持ち主へのご確認はお任せしてもよろしいでしょうか?」
「おお、助かったよ。ありがとうな。ところで、君たちは勝負をしていたようだが、君が指輪を持っていたと言うことは――」
「いえ」彼が言い終わる前に遮る。「残念ながら、僕の負けです。指輪を見つけたのは僕ですが、僕ごと指輪を街に運んできたのはペトラです。『指輪を回収した方の勝ち』と言う条件でしたから、それを満たしているのは彼女の方です」
正直、まさかこんな結果になるとは思わなかった。
しかし結果は結果だ。悔しいが敗北を認めなければならない。
「ペトラ、僕の負けだ。約束通りヒューゲルでの商売を認めてもらえるように手伝うよ。ここで話し合うのも落ち着かないし、近くのカフェかレストランにでも――」
「あんなの、わだすの勝ちじゃないわ!」
ペトラが声を張り上げ、家に帰ろうとしていた人々が目を丸くしてこちらを見る。
「わだす一人じゃ指輪を見つけられなかったし、あの魔物に食べられてたに違いないもの! わだすに恩を売ってるつもりなら、馬鹿にするんじゃないわよ!」
「い、いや……そう言うわけじゃなかったんだけど。最初に決めた勝敗の条件を鑑みれば、客観的に見て勝ったのはペトラじゃないか」
「難しいこと言っても分かんないわよ! とにかく、わだす一人の力で勝ったんじゃないんだから、今回は引き分け! それでいいでしょ!?」
「あ、ああ。分かったよ。それじゃ、引き分けと言うことで……」
これ以上反論したらあの怪力でぶん殴られそうだし、僕にとっても渡りに船だったので折れることにした。
ドワーフの性格上、場の雰囲気に流されて自分の勝ちを帳消しにすることは滅多に無いだろう。あるとすれば、心から相手の力を認めた時だ。
リサーチャーは仕事柄他人に褒められることは滅多に無い。ウォリアーにとってはただの情報提供者だし、依頼人にとっては依頼内容にケチをつけて報酬額を吊り上げる厄介者に近い。
だから、出会って間もない、しかも種族的にそりが合わない女の子に認められ、胸にこみあげるものがあった。
「あーあ。でも引き分けってことは、結局この街で商売するのは難しいってことよね。騒ぎも起こしちゃったし、次の街で許可を取るしかないか……」
ため息をつきながら荷物をまとめ始めるペトラ。
「待って!」そんな彼女を逃がすまいと肩をつかんだ。「引き分けだから、お互いに相手の言うことを一つ聞くのはどうだ?」
ペトラは僕を見上げながら逡巡している。その間も彼女が荷物をまとめる手は動いていた。
「それじゃあ、この街で商売出来るように手伝って欲しいけど、あんたは何がお望みなの? やっぱり、男の子だからスケベなこととか……」
「いやいや、そんなこと要求しないから!」
ハーフエルフとは言え、僕だって人並みに異性に興味がある。だからってそんな要求を突きつけるものか!
それに口が裂けても言えないが、こんな幼児体型の女の子に欲情するほど僕の性癖は特殊ではない。
「僕のギルドにウォリアーとして登録しないか?」