一話【調査士ファーレンの仕事】
「丘の街」と言う意味があるヒューゲル。僕が暮らす街であり、職場である〈イーゲル・騎士ギルド〉もここにある。
ギルドへ続く、整然と敷き詰められた石畳の道を駆ける。近所の人たち、仕事でお世話になった人たち、過去の依頼人たち、様々な人たちが声をかけてくれるが、僕は手を振るだけで懸命に足を動かす。
なぜなら寝坊して遅刻寸前だからだ。
「ねえ、イガグリ! 何で起こしてくれなかったんだよ!?」
肩に乗るハリネズミの相棒に声をかけるが、彼は「フシュフシュ」と鳴くだけだ。
「う~。ボスに怒られるのだけは勘弁だな……」
ヒューゲルの街中で少々異質な、堅牢な石造りの三階建ての建物がイーゲル・騎士ギルドの本部だ。
外壁に張られている分厚い木製看板には、ギルド名と共に赤いハリネズミが大きく描かれている。赤いハリネズミは「自分の身だけでなく、他人の身も守れる存在であれ」と言うボスのモットーを表している。僕がここで働き始めたのもボスのモットーに惹かれたからで、このハリネズミを見るたび勇気が湧いてくる。
「ボスに怒られる勇気までは湧いてこないけどな……」
時間ギリギリ、依頼の受付開始寸前だが間に合った。
本部の裏口から中に入り、数少ないスタッフに挨拶する。十人にも満たないギルド職員がこの街を魔物から守っているのは、誇らしくもありプレッシャーでもある。
「やあ! みんな、おはよう!」
二階に続く階段からボスが降りてきた。腰に達する漆黒のロングヘアを垂らしつつ、タバコを咥えながら現れるその姿は不良界の女王様のようだが、荒くれ者の相手をする騎士ギルドのギルドマスターにふさわしいとも思える。
僕たちも精いっぱいの声で「おはようございます!」と返す。ボスが普段どんな仕事をしているのかよく知らないが、こうしてギルド職員に喝を入れるのが毎朝の仕事なのは間違いない。
「みんな、今日も気合入れて働くぞ!」
「オォーッ!」
掛け声とともにボスが扉を開くのが、毎日の営業開始の合図だ。
〈騎士ギルド〉の主な仕事は魔物退治だ。魔物とは「人類に危害を加える妖精・怪物」の総称で、「人類が驕らないように戒める、大自然の使者」と言われている。そのため、何度退治しても時間が経てばどこからか湧いてくる。
そんな魔物を退治するのが戦士であり、依頼者とウォリアーをつなげる橋渡し役が騎士ギルドと言うわけだ。
僕が書類に目を通していると、さっそく本日一人目の依頼者と思しき男性がやって来た。横目で見ると、対応するのは新人受付嬢のハンナさんのようだ。
「ああ、お嬢ちゃん。また困ったことが起きてね……」
「はい。承ります!」
ハンナさんは男性の簡単な個人情報を手元の書類に記入し、詳しい依頼内容を訊ねる。僕も意識を半分そちらに向ける。
どうやら、依頼内容は畑を荒らすゴブリン退治のようだ。ゴブリンは世界中に存在する小型の魔物で、いたずら好きの妖精としても知られている。積極的に人間を襲ったりしないが、邪魔をされると手にした棍棒やら石やらで反撃するから、地味に厄介な存在だ。
ハンナさんが大まかな見積もり額を伝え、依頼者が了承したところで受付は終了する。
「それじゃ、よろしく頼んだよ」
「はい。退治後には当ギルド職員がご訪問しますので、その際に料金をお支払いください」
「ああ、早くしてくれよ」
ハンナさんは男性を見送ると、受付に戻って書類をまとめ始める。その内容をギルドマスターのボスに確認してもらい、OKが出れば正式な任務票を作成して掲示板に張り出す。
「ハンナさん、ちょっと待ってください」
彼女がボスのいる二階へ上がる前に呼び止めた。
「ファーレンさん? 何でしょう?」
澄んだ空色のどんぐり眼が僕を見つめる。少し視線を落とせば、白く細い首を彩るように真紅の宝石がはめ込まれたネックレスが煌めいている。
「ボスに提出する前に、ちょっと書類を見せてくれませんか?」
「ええ、構いませんが……」
おずおずと差し出された書類を受け取って目を通す。依頼人の名前や住所、連絡先などはいいとして、依頼内容の詳細を睨む。
「ゴブリン一匹の退治で、見積もり料金は五万ゲルトか……」
「あれっ? 見積もりおかしかったですか?」
「いや、見積もりについては問題無いと思います。気になったのは『ゴブリン一匹の退治』の方ですね」
ハンナさんの隣の席の、もう一人のベテラン受付嬢に「何で教えてあげないんです?」と視線を向けるが、彼女はただ意味深な笑みを返すだけだ。「新人とのコミュニケーションのチャンスよ~」と言っている気がする。
「……ゴブリンって言うのは、基本的に数匹が群れで行動するんです。一匹だけで畑を荒らすなんてめったに無い」
「……つまり、依頼人の方は一匹見つけただけで、他にも潜んでいる可能性があるってことですか?」
「その可能性が高いですね。それで、もしも『ゴブリン一匹の退治』のまま正式な任務にしたらどうなるか分かりますか?」
「……ウォリアーの方が危険になります」
「そういうこと」
任務票を作成する時、依頼内容に応じて〈任務ランク〉を設定する。そのランクに応じて、ウォリアーは自分の力量に見合った依頼を選ぶわけだ。
つまり、任務ランク設定のミスはウォリアーを危険に晒す原因となるし、逆に優秀なウォリアーを簡単な任務に派遣すると言う無駄が生じる。
だからこそ、僕のような調査士が必要なんだ。
「ハンナさん、その依頼書は保留にしておいてください」
「えっ? じゃあ、どうするんですか?」
「僕が調査に行ってきます。今日中に帰れると思うので、ボスへの提出はその後にしましょう」
書類の内容をメモして、ギルド内の物置で必要な物を手早くまとめる。念のためにシャワーを浴び、調査用に身だしなみを整えておく。
全ての準備を終えると、二階へ上がって扉越しにボスに一声かけ、了承を得たところで勝手口から外に出る。
依頼によれば、ゴブリンが現れたのは街の西側にある畑だ。さらに西側には小さな森があり、野草やキノコの採取に、ピクニックなどに人気の森ではあるが、魔物の発生率の高さから大人が必ず同伴しなければならない要注意地帯でもある。
僕も今までに何度も足を踏み入れた森だが、森は一つの大きな生き物に近い。過去の経験がそのまま活きるとは限らず、油断は禁物だ。
「さあ、行くか。他の仕事も溜まってるし、さっさと片付けるぞ」
肩に乗るイガグリが「フシュッ!」と気合を入れたように鼻を鳴らした。