中学生になったら1
春休みの間に、蓮見とともに家を探して契約し、新居に引っ越しを済ませるといよいよ花丸中学校の入学式の日がやってきた。
新しい環境に対する不安と緊張、楽しみな気持ちとはべつに『テソロミオ』という少女漫画の舞台に足を踏み入れることに対する独特の高揚感も覚える。
東先輩も在学しているし、麻野ゆかりも今日入学する。
主人公のなつめちゃんや、ヒーローのミナトくんもきっと実在するだろう。ふたりの再会をできたら一ファンとして、目にしたいところである。
「聖地巡礼……」
「へっ?」
心の中を読まれたのかと思って横を向けば、蓮見はテレビを見ていたらしく、
「アニメや漫画の舞台に行くのって聖地巡礼っていうんですねえ」
なんて興味深げにつぶやきながらお茶を飲んでいる。
「そ、そうなんだ……」
「それより、ゆかりさん。朝ごはんヨーグルトだけで本当にいいんですか?」
「うん、最近ホテルだったり引っ越しだったりで店屋物食べすぎてるし」
そのうえ引っ越し祝いだとかこの間の食事のお礼だとかで、東真一からおいしいお菓子の詰め合わせがたくさん届いてもいた。とてもおいしかった。
ただでさえゆかりは小学生の頃コロコロ太っていて、身長が伸びたことでそれが解消したという過去を持っている。油断は禁物なのだ。
「確かに……。ゆかりさん太りやすいですもんね……」
「ううっ……そんなはっきりと……っ」
「中学で運動部に入ってみるのは?」
「ふむん……部活かあ」
顎に手を当て蓮見の提案を一考するゆかり。
そのおかげで、『テソロミオ』のゆかりはヒーローのミナトくん目当てで男子バスケ部のマネージャーになっていたことを思い出した。
東先輩とミナトくんはヒロインのなつめちゃんを巡って男子バスケ部でライバルするし、なつめちゃんは東先輩にしごきを受けるミナトくんが心配で女子バスケ部に入部する……。
(うん、ライバル視されたくないし、修羅場は怖いしバスケ部はなしっっ)
フルフルと首を振る。すると、生まれながら色素の薄くゆるくウェーブのかかった長い髪が頰に当たった。
それに指を巻きつけ、空中に透かしてみる。
蓮見がせっかくの入学式なのだからとサイドを編み込んでハーフアップにしてくれたこの女子力の高いヘアスタイルが嬉しくないと言えば嘘になるのだが、鏡に映った自分を見て、ゆかりは『テソロミオ』のゆかりそのものの自分の姿に驚いてしまった。
深緑のケープに同色のジャンバースカートは胸の下で切り替えになっている。体に沿ったラインの制服は、いわゆるスタイルの悪い人かわいそう仕様だ。これは悲しきかなダイエットがはかどってしまうデザインだ。
「それじゃあ、学校で。行ってらっしゃい、ゆかりさん」
「うん、行ってきます!」
ゆかりの新しい家は最寄りの駅からも学校からもほど近い場所に建っている築浅マンションだ。
マンション敷地内にあるゴミ回収所にいた管理人さんのおばさまに挨拶をして、徒歩で学校に向かう。しばらくするとこれから三年間お世話になる学び舎が見えてきた。段々と人も増えるに従い周辺のざわめきも強くなってくる。
入学式の看板の近くには、何人かの生徒が並んでいて、新入生の胸にコサージュをつけているようだった。
(あっちに行けばいいのかな)
ほてほてと近づいて行くと、ひとりの女生徒がゆかりに気づいてコサージュを片手にやってくる。
その横から、すっと割り入る人の影があった。
「それ、俺にやらせてくれないかな」
見知らぬ女生徒とゆかりの目が驚きに丸くなる。
(あ、東先輩……!)
「東くん……!」
「彼女、俺の知り合いなんだ。いいかな?」
雅臣のキラキラと爽やかな登場に周囲の女生徒の目が軒並みハートマークになっているような気がする。
少女漫画らしい場面に感心する気持ちもあるが、雅臣に話しかけられた女生徒の「ええ……っ、もちろん……っ(東くんならなんでも)いいわ……!」と今にも身体を投げ出さんばかりの反応に、ゆかりは少々冷ややかな面持ちである。
(さーすが『東先輩』、モテモテなんですね)
当然のように女生徒からコサージュを受け取った雅臣が、皮肉気な心境のゆかりに視線を移して、少し驚いた表情を浮かべたあと破顔した。
その笑顔にたじろぐゆかりに近づくと、あの夜と同じように屈んだ雅臣が笑顔のまま言う。
「入学おめでとう」
「あ……ありがとうございます」
「これ、つけていいかな?」
「え、じ、自分で……」
「ダメだよ。これは、在校生から新入生への歓迎の気持ちだから」
そういうと器用にゆかりの制服のケープには触れずにコサージュをつける雅臣に周囲のどよめきが増す。まわりをのんびり眺める余裕なんてみじんもないが、この反応からすると、かなり注目を集めている気がする。
悪目立ちはゆかりの本意じゃない。コサージュがつけ終わるや否やゆかりは飛びのくようにその場から逃げ出したかったが、そのまえに雅臣がゆかりを引き留めた。
「麻野さん、話があるんだけど」
「……」
「この間の夜のことで」
周囲のざわめきと好奇の視線がそろそろ痛くなってきた。
注目を浴びるのは好きじゃない。ゆかりはまわりの目から逃れるためにも、鞄で顔を隠しながら半分涙目で頷いた。
「ここなら誰もやってこないから」
とゆかりを伴った雅臣が向かったのは男子バスケ部の部室だった。
「ごめん。強引に連れてきて……どうしても話がしたくて」
強引だという自覚はあったらしい。そういえば、『テソロミオ』でもヒロインには結構強引に迫っていたことを思い出す。
「いえ……。でも東先輩って、とっても目立つ方みたいなので、人の目があるところでああいう風に女子に接するのはやめたほうがいいと思いますけど」
(これがきっかけで女子の先輩に目をつけられてないといいなあ……)とため息まじりに思いながら、告げると、雅臣はわずかに首をかしげ、顎の辺りに手を当てながら意外そうにつぶやいた。
「自覚してないのか……」
「え?」
目を瞬かせ、聞き返すゆかりに雅臣が愛想よく笑う。
「いや、それより俺言わなかった? 敬語は禁止だって」
「……それは、えーと」
「東先輩もなしって決めたはずだ。……麻野さんにとって、俺との約束ってそんなに軽いものなのかな……」
目線をやや下げて、悲しげな顔をする雅臣。たちまち罪悪感がこみあげ、ゆかりは慌てて否定する。
「えっ、そ、そういうわけじゃ……」
「それじゃあこれからは名前で呼んでくれるかな?」
「……」
「麻野さん?」
「っていうか、あの、それならそっちも私のことは名前で呼んでくれないと呼びにくいというか……」
「ゆかり?」
(そんなあっさり……! っていうか東先輩からの呼び捨て……こ、これは照れる……)
ん? とにっこり笑顔で迫られ、ゆかりは小さな声で、「雅臣……」と呼びかけた。