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約束の時間になると、ゆかりは蓮見に伴われて、ホテルの中庭に絵画のように佇む美しい洋館へと足を運んだ。
服は少しでも上品に見えるようにといつの間にか選別されていたインポートブランドの紺色のワンピースに、腰の高い位置で細い白いリボンが結ばれているクラシックなタイプのものだ。
金色の柵をピンクの薔薇が彩っているそのお屋敷は完全に貸し切られたレストランらしい。
案内の係の人にお辞儀をされて、中へと招かれる。
「……ゆかりさん、ファイト!」
「蓮見さんも来てよお」
思わず懇願するが、静かに首を横に振られる。
「私はブッフェの予約が……いえ、お部屋で待ってますから」
「ブッフェって聞こえましたけど……!?」
ブッフェってあれでしょ……お寿司とか天ぷらとかローストビーフとかあまつさえケーキが食べ放題のやつでしょ!?
う、羨ましい……。ジト目で見るが、蓮見は閉まる門の向こうで丁寧に腰を折っていたため、ケーキ私の分もお願い……というゆかりの気持ちはおそらく伝わっていまい。
涙をのんで案内係の人のあとをついていくと、美術品のような調度品が並ぶ室内を抜けて、ひとつしかないテーブル席へ案内された。
そこにいたのは、ダンディズム溢れるスーツの紳士と、フォーマルめな私服を着た東雅臣、さらには美しく微笑んでいるひかりの姿がある。
「東さん、紹介しますわ、娘のゆかりですの」
ゆかりの肩を優しく抱きながらはっきりと告げるひかりに息をのむ音が聞こえる。
「はじめまして。麻野ゆかりです」
心臓はいまにも弾け飛びそうなほど動き回っている。だがテソロミオを読んでいてよかった。麻野ゆかりは第一印象最強の笑顔を見せることができるのだから。
食らえ、主人公にはじめて対面したときに見せた美少女スマイル!
さっき自分でも知ったばかりだが、ゆかりは美少女キャラなのである。
「お母さんによく似てきれいなお嬢さんだ。はじめまして、ゆかりさん、東真一です」
ダンディズム溢れるダンディーから溢れるダンディーボイスにゆかりの顔が赤くなる。
そんなゆかりの肩に置かれたひかりの指先に微かに力が入った。
「……東さん、驚きませんの? 私……あなたを騙して……。失望したでしょう?」
「何を言うんです、ひかりさん。失望なんてしませんよ。むしろ嬉しいぐらいです。私はもっとあなたのことが深く知りたい」
「あら……」
「そしてあなたにも私を同じぐらい知ってほしい。互いをより知って、関係を深めていけたらと思っています」
「東さん……」
何やら良い雰囲気……になりかけたところを、わざとらしい咳払いが割って入る。全員の視線を集めた雅臣は、苦々しい顔でため息をついてみせた。
「父さん……息子のまえで堂々と女性を口説かないでくれ」
「ははは、すまん」
ダンディーなおじさまこと東真一はぐいっと豪快に息子の肩を抱いて、ゆかりに向かってウインクを決めてみせた。
(う、うわわ……さすが東先輩のお父様だけあって積極的だし、スマートでかっこいい……)
そして東親子の関係も良好のようだ。東真一は息子の頭を抱えると、わざと髪をくしゃくしゃにかき混ぜるように豪快に雅臣の頭を撫でている。
(お母さんもまんざらじゃなさそうだし、東先輩のお父様も良い人そう。ただ、東先輩はやっぱり複雑そうだなあ……)
髪をもみくちゃにされている雅臣を見つめていると、はたと目が合った。
「――父さん、食事にしよう」
父親の腕を押しのけた雅臣にいま、あからさまに顔を背けられたような気がする。
(う……。腹の立つ顔って思われたのかな……)
テソロミオの台詞を思い出して、気が沈んだゆかりである。
その後の会食はつつがなく始まった。
高級な雰囲気はあるがおいしいイタリア料理のコースで、どうやって食べたらいいのかと迷うようなものはなくてほっとする。
ただでさえ緊張するから、小難しい作法がいるものじゃなくてよかったと胸をなでおろすも、気を遣ってか、ゆかりに話しかけられることもあるものだがら、気を休めるひまはほとんどなかった。
それでもメインの魚料理を食べ終え、デザートとコーヒーが運ばれてくる頃になると、ようやく料理を味わう余裕が――。
「ゆかりさんはこの春から中学生なのか。学校はどちらに?」
……なかった。
「――花丸中学校です」
食べる手を止めて、にっこりと笑顔を浮かべながら答えたものの、内心は心臓が跳ね返りそうだ。なぜならば、ここが『テソロミオ』と同じ世界ならば――。
「そうか。雅臣と同じ学校だね。ゆかりさんさえよかったら、雅臣に色々聞くといいよ」
「……はい」
なるべく無邪気を装ってお返事するも内心では汗だくです……。
やっぱり同じ学校だったことを喜んでいいものか、悲しんでいいものか。
(いえ、うれしいんだけど、うれしいんだけどねえええ……っ……くう……っ)
このままでは遅かれ早かれ、嫌われる――。
いや、もうすでにその片鱗が見えて一緒にいるのが怖い……。そんなことをつらつら考えていると視界に何か近づいてくるのがわかって顔をあげれば、無表情の雅臣が隣に立っていた。
「送っていくよ」
「え……」
無表情だったのは束の間のことだったけど、嫌われる恐怖からいやに印象的に感じてしまって、ついひかりに助けの視線を送ってしまう。
「ごめんなさいね。私と一緒だと誰に見られるかわからないものだから。……ゆかりを、よろしくね? 雅臣くん」
「……はい」
「よかったらまた会おうね、ゆかりちゃん!」
「あっ、はい」
ゆかりが色々考えている間に東真一はアルコールが回ったのか、ダンディーおじさまから気さくなダンディーおじさまになっていた。無邪気に手を振ってくる東真一に、手を振り返しつつお辞儀をして、先を行く雅臣のあとを追いかける。
あけ放たれた瀟洒な扉の外はすっかり夜になっていた。