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数日後、ゆかりは先日蓮見が行ったというホテルニューコタニのブッフェにどうしても行ってみたいとねだって連れて行ってもらうことにした。
「蓮見さん、ありがとう!」
「ふふ、まあ、ゆかりさんからのお願いってあまりないですからね。いいんですよ。こうしてゆかりさんとお出かけするのも、最後になるかもしれないですからね……」
流れゆくJRの車窓を眺めながら、そんなことを言い出す蓮見にゆかりは眉を下げる。
「蓮見さん……ほんとにうちを辞めちゃうの……?」
今までの蓮見との生活を思い返し、それがもうすぐ失われてしまうかもしれないと思っただけで、ゆかりはすぐにでも蓮見にすがりつきたい気持ちでいっぱいになる。
ゆかりを振り返った蓮見は驚いたような目をすると、すぐににこりと優しく微笑んだ。
「今すぐにってわけじゃありませんから」
「……」
子どもの頃からずっとそばにあった大好きな蓮見の笑顔。けれど、……否定は帰ってこなかった。
ホテルについてから言葉少なげなゆかりを蓮見が心配そうに見つめる。
「ゆかりさん? どこへ行くんですか?」
ブッフェとは違う方向へ向かうゆかりを蓮見が引き留めるが、ゆかりは何も言わず歩を進めた。
「ゆかりさん……?」
「こっちでいいの」
宿泊者用の扉を抜けるゆかりのあとを、いぶかしげな蓮見が続く。昼間だからなのか、誰にも会わずにエレベーターに乗り込むと、ゆかりはようやく蓮見を振り返った。
「ゆかりさん、どういうことなんですか」
「……蓮見さん、ごめんなさい!」
勢いよく頭を下げる。
「私、この間、商店街の中にある小さなカフェレストランに行ったの……」
蓮見が息をのむ。
「それは……『アルコバレーノ』ですか?」
ゆかりはうなずく。アルコバレーノというのは、ゆかりが雅臣に連れて行ってもらった店の店名だった。
「そこで……、おかみさんに、雅臣のアルバムを見せてもらって……蓮見さんが赤ちゃんの雅臣と一緒に写ってたの……」
「……それでこんなことを?」
「はじめは、蓮見さんが、雅臣のお母さんだと思ったの、私……。だから、だから、蓮見さんは、お母さんのために、うちを辞めようとしてるんだと思って……」
「そんなわけないじゃないですか」
蓮見が、呆れたように言うが、ゆかりはそのときは本当にそう思ったのだ。
そしてパニックになった。それを雅臣とおかみさんと店主さんになだめられて、改めて、おかみさんと店主のおじさまに教えてもらった。
「まさか、蓮見さんが、真一のおじさまのお姉さんだったなんて……」
赤ん坊の雅臣を抱えて笑う蓮見の写真を見て、おかみさんは懐かしそうに言ったのだ。
『これはね、雅臣くんのお父さんのお姉さんの薫子ちゃんだよ。放浪癖のある子でねえ、もう何年も会ってないよ。今頃どこで何をしてるのかねえ……え!? ゆかりちゃんの家で家政婦さんをやってるだって……!?』
「本当にごめんなさいっ!! 私、蓮見さんにいなくなって欲しくなかったから、こんなことしちゃったけど……蓮見さんには蓮見さんの都合があるのに……」
「この先に、真一たちが待ってるんですね」
ふう、とため息をつく蓮見に、ゆかりが泣きそうな顔でうなずく。
「ごめんなさい……。ご家族に会いたくないなら、このまま帰ってください。……でも、私……蓮見さんが辞めちゃうのいやだよぉ……」
ずっと堪えていた涙がゆかりの頬を滂沱のように伝う。
「蓮見さんは……蓮見さんは……わたしの、もうひとりのお母さん……だもん……っ」
「ゆかりさん……そんなに泣いたらかわいい顔が台無しですよ」
そう言って優しく顔をぬぐってくれる蓮見の目にも涙が光っている。
エレベーターが到着して扉が開くと、エレベーターホールに立っていた雅臣がわずかに目を見開く。
ゆかりの肩を抱いてエレベータを降りた蓮見が雅臣に部屋の場所を訊ね、ゆかりの背中を優しく押し出した。
「ゆかりさんは、雅臣とどこかで待っていてください」
「蓮見さん……?」
「そんなに泣いていたら、冷静に話もできませんからね。雅臣、ゆかりさんをよろしくお願いします」
「…………はい」
ゆかりと雅臣は、ホテルの部屋に消えていく蓮見の背中を黙って見送った。