二.幼い生徒会長
放課後。談子は一人、校内をコソコソと徘徊していた。
もちろん動機は一つ。鬼が存在すると胸を張って言うための確固たる証拠を掴むべく、学校中を探索しつくすためだ。
絶対に見つけて、あの談子を馬鹿にする連中にギャフンと言わせてやる、本当にギャフンと言った日には、それを録音して校内放送で盛大に流してやろうと意気込んでいた。
何か怪しそうなものはないかと、辺りを慎重に調査しながら前進していく。主に庭の石や木、教室なら古そうな教材設備などをチェックしていた。
が、熱中して周りが見えなくなってしまったために、自分がどこにいるのか、さっぱり分からなくなった。
まだ学校の地理にも慣れていない、少し方向音痴な談子は、すっかり道に迷っていた。
そんな談子が行き着いた、廊下の隅にひっそりと存在する、よく分からない古い教室。今は使われていないのか、生活感がなく閑散としている。
疲れたので休憩しようと、辺りに人がいないことを確認して、挙動不審に辺りを見回しながら中に忍び込んだ。
無人の教室を見渡す。背の低い、幅のある木製和箪笥が目に留まった。かなり古そうなもので、上にはうっすら埃が積もっている。
箪笥に意識を傾けると、頭の中に声が流れ込んでくる。
『この中には、なくてはならぬものが入っておる。それを扱うことができるのは、来たるべき時に現れた、選ばれし者のみ。
触れてはならぬ、開けてはならぬ。
中を覗いてはならぬ。中のものを取り出してはならぬ』
老人みたいな、しわがれた声が、談子の頭の中に響き渡る。辺りに人の気配はない。目の前の、この箪笥が語りかけてきているのだ。
談子には、鬼の手掛かりが得られるという確信があった。その理由がこれだ。
談子は時々、生物以外のモノの声が聞こえるのだった。幼い頃から無意識に使えた、ほとんど誰も知らない特殊な力だ。
今日もその力を頼りに、ずっと昔から学校に存在していたであろう、古い無機質なモノたちを探しては、耳を傾けてきた。
が、これと言って重要そうな話を聞くことはできなかった。モノは一方的に自己主張をするだけで、こちらから意図を伝えたり、尋ねることはできない。当てが外れて、お手上げ寸前になっていた。
しかし、この怪しい古箪笥は、何やら意味深な発言を繰り返している。
なくてはならないもの、とは何だろう。
ひょっとして、鬼に関係したモノだろうか。
と、勝手に都合のいいように解釈してしまうのは談子の悪い癖だが、手懸りが何もない今、とにかくがむしゃらにできることから実行するしか、自分の欲求を満たす方法は思いつかなかった。
そっと箪笥に歩み寄り、引き出しに手を触れる。三段ある内の、一番上の引き出しだ。鉄製の引き輪を掴み、ゆっくり引っ張った。
開かない。
鍵でもかかっているのだろうか。しかし鍵はもとより、それを差し込むべき鍵穴さえ、どこにも見当たらない。
色々な角度から箪笥を眺め回していると、今まで死角だった場所に低い台が置かれていて、その上に二体の人形が置かれていることに気付いた。
焼き物の陶器でできた置物は、向かい合って立っている。片方は全身が青く、腰に黄色と黒のトラ柄をした腰巻をつけている。
もう片方は赤い身体に大きな同柄の布を巻いていた。胸部の二つのふくらみが、それが女をかたどったものであることを示唆している。そして両方とも、頭から二本の角を生やし、手に釘バットのような鋭利な獲物を握り締めている。
考え直すまでもない。
この姿はどこから見ても、鬼。
談子は目を大きく開いて、緊張した。
手にとって暫く見回してみるものの、特に怪しい点は見当たらない。何やら話し声が聞こえるが、よく聞いてみれば、昔の少女マンガに出てきそうなロマンチックな愛の囁きというやつで、それほど重要な内容でもないし、興味もない会話だった。
少しがっかりした。しぶしぶと元の場所へ鬼たちを戻そうと手を伸ばした。
その時。
「これ、お主。そこで何をしておる!」
「ひゃあ!」
人気など全く感じられなかった背後から、突然の怒鳴り声。予期せぬ出来事に、談子の心臓が飛び上がり、手から鬼たちがするりと抜け落ちる。
陶器製だから、落とせば割れる。実際、高いところから落下して衝撃を受けた二つの鬼の人形は、ガシャンと大きな音を立てて砕け散った。
「のああっ!」
やってしまった。予定外の失態。学校の所有物を破損してしまうなんて、小学校のときにプロレスごっこをして窓ガラスを割ったとき以来だ。
高価なものだったらどうしよう。頭の上でヒヨコが回る。
「見たぞ。あーあ、壊しおったな」
後ろから、笑い声が聞こえた。嫌味っ気の混じった、子供の声。
談子を後ろから脅かした声だ。
冷静に考えれば、あれさえなければ談子はこの鬼たちを壊すこともなかった。元はといえば、その声の主が悪い。
そう結論を導き出し、文句を言ってやろうと不機嫌に振り返った。
背後に立っていた人物の姿を見て、談子の頭は思考が停止した。怒鳴ることすら、忘れてしまうほどに。
目の前には、小さな童女がいた。見た目は、小学校低学年といったところ。
だが、腰までまっすぐ伸びた、長い艶やかな黒髪や、身に纏った紅白の巫女装束は、どう考えても今現代に生きる子供の普段着とは思えない。
「ま、まさか、鬼に食われた子供の幽霊?」
そんな噂もあったなと、由喜との会話を思い出す。
一気に血の気が引いた。まさか、こんなところで、そんなものに遭遇するとは、鬼を見つけるより、リアルに怖い。それ以前に、自分に幽霊が見えるほど霊感があったのだと、密かに感動もした。
「何を言っておる。わらわは生身の人間じゃ。足も付いておろう」
ずいぶん古風な口調で喋り、童女は袴の裾を持ち上げて見せた。小さな、かわいらしい足に、白い足袋と赤い鼻緒の下駄がくっついている。
おお、と談子は納得して、少し安心した。でも結構、がっかりもした。
「なんだ、生きてるのか。でも、どうして、あなたみたいな子供が、こんなところにいるの? ここは高校だよ、勝手に忍び込んだの? それとも、道に迷ったの? 先生の子供とかかな?」
談子の疑問には耳もくれず、童女の視線は常に談子の足元にあった。気になって、談子も下を向いてみる。
そして後悔。
さっき粉々にした、鬼の残骸を再び視界に入れてしまった。
見るんじゃなかった、このまま存在を忘れて部屋を立ち去ることができたなら、どれだけ楽だったか。
大きい、憂鬱な息が出る。しかし、目の前の童女が、はっきりとその一部始終を見ている。どちらにしても目撃者がいる限り、罪逃れはできないだろうと、トンズラは諦めた。
腹を括って、しぶしぶ鬼の破片を拾い集める。ご飯粒でもくっつけておけば元に戻るだろうか、と一瞬考えたが、あまりに原形を留めていないため、これを復元するのは談子には不可能だと考え直した。
大きな破片は全て拾い、元の場所に戻しておいた。
「……のう、それを壊したこと、内緒にしてやってもよいぞ」
背を丸めて暗い影を落とす談子に少し同情したのか、間を置いて童女が話しかけてきた。こんな子供に情けをかけられるとは、談子も落ちぶれたものだ。
「いいよ、別に。適当に似たような置物、百均で買ってきて置いとくし」
それくらい、安っぽくてもバレない程度のものだと思ったのだ。類似品がなければ、紙粘土で作って置いておいても、意外と気付かれなさそうだ。
そもそも、この教室自体、人の出入りがなさそうなのだから、そんな手の込んだ裏工作をしなくても、よさそうな気がする。
「その鬼は高いぞ、こんな場所にあるのがおかしいくらい、貴重な国宝級品じゃ。小遣いも乏しい小娘には、一生かかっても弁償しきれんじゃろう」
「こくほっ……、お願い、黙ってて」
童女の言葉に、談子の思考が一八〇度逆転する。万が一、バレた時のことを考えると、気が気でない。
両手を頭上で拝むように併せ、童女に頭を下げる。弱気になった談子を見て、童女は、にたりと笑った。立場が完全に逆転し、腰に手を当て、ふんぞり返って威張っていた。
「よいぞ、ただし条件がある。わらわは今、非常に暇を持て余しておる、これからお主は、わらわの馬となり、校内を駆け回るのじゃ」
そう言った時には、童女は既に談子の後ろへ回り、背中へよじ登っていた。
「さあ、行くのじゃ馬よ!」
「馬って何よ、馬って。でもまあいいか。下校時間までね」
やむなく、童女の足を肘で挟み、落ちないように固定し、談子は童女の指差す方へ歩き出した。すると何か思い出したように童女が談子の髪の毛を数本、ピンピンと引っ張る。
「その前に、名前を聞いておらなんだな。お主の名は?」
「あたし? 談子でいいよ。月見談子」
「談子か。わらわは本条綺羅姫。この学校の生徒会長じゃ」
「……は?」
思わず聞き返す。何やら、想像だにしなかった意外性MAXな言葉が聞こえてきて、談子は素早く、お得意の現実逃避に入る準備を始めた。
「生徒会長じゃ」
綺羅姫は再度、繰り返すが、もう談子の耳には入ってこない。
「ごめーん。お姉さん耳が遠いみたいで、何にも聞こえなーい」
談子は有無を言わさず走り出した。相手にしてもらえず、綺羅姫は背中の上で不機嫌そうに怒鳴る。
「信じておらんのじゃろ! 嘘ではないぞ、本当に、わらわはこの学校で一番偉いのじゃ!」
「聞こえなーい、聞こえなーい」
相変わらず無視し、談子は教室を後にした。
「わらわの話をちゃんと聞けー!」
綺羅姫の怒鳴り声だけが、無人の廊下に響き渡っていた。